京都・洛西 夏の嵯峨野路2008~清涼寺~
落柿舎から東に向かうと、やがて大きな仁王門の前に出ます。それが清涼寺、通称「嵯峨釈迦堂」と呼ばれて親しまれている浄土宗のお寺です。
この地には、かつて源融の別荘・栖霞観(せいかかん)がありました。融の一周忌(896年(寛平8年))に、その子息が阿弥陀三尊像を安置した阿弥陀堂を別荘内に建立して寺に改め、棲霞寺と号しました。下って945年(天慶8年)に、重明親王妃が棲霞寺の境内に新堂を建立し、藤原氏に寄進されています。このとき、等身大の阿弥陀如来像を安置され、一説にはこれが「釈迦堂」の名の起こりではないかと言われています。
さらに下って、奝然(ちょうねん)という東大寺出身の僧が居ました。宋へ渡航した奝然は、985年に一体の釈迦如来像と出会います。その像は、古代インドの優填王(うてんおう)が、釈迦の在世中に栴檀の木で生身の尊像を造らせたという由緒を持つものでした。奝然は現地の仏師に命じてこの霊像を模刻させて日本に持ち帰ったのですが、実は模刻像と霊像とが入れ替わったとする縁起を持つため、「インド~中国~日本」と伝来した「三国伝来の釈迦像」と呼ばれています。
奝然は、日本に帰国した後、愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦像を安置する寺を建立しようとしました。しかし、奝然はその願いを叶える前に没し、その遺志を継いだ弟子が棲霞寺の境内に建立したのが、現在の五台山清凉寺です。
御本尊の釈迦如来像は内部が空洞になっており、その中にこの像の由来を示す文書など多数のものが込められていました。中でも絹で作られた五臓六腑は有名で、本物かどうかは判りませんが、本堂の廊下に並んだ展示物の一つとして見る事が出来ます。
方丈前の枯山水の庭は、小堀遠州作と言われています。残念な事にあまりの暑さに苔が茶色に変色しており、本来のこの庭の美しさが損なわれていました。これが秋になると苔の緑が蘇り、さらに秋冷の頃には紅葉も加わって、とても見応えのある庭となる事でしょうね。
清涼寺は棲霞寺に仮寓する形で始まったのですが、三国伝来の釈迦如来像に対する信仰が広まり、次第に母屋をしのぐ存在となって行きました。現在では棲霞寺は姿を消し、わずかに阿弥陀三尊像にその名残を見る事ができるだけとなっています。そして清涼寺自身も華厳宗から浄土宗へと宗派を変え、今に至りました。
とても開放的な境内には見所がいくつもあり、とても一度だけでは把握仕切れるところでは無いですね。小倉山周辺から大覚寺へと向かう中間点でもあり、嵯峨野散策の折には一度は寄っておきたい所だと思います。
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