« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

2008.05.27

恋する京都 ロケ地案内~大沢池 石仏群~

Osawa0805283

恋する京都のロケ地案内、今回ご紹介するのは大沢池にある石仏群です。ドラマでは第3回「鹿ケ谷かぼちゃは初恋のときめき」において登場しました。

50年前にたった一度だけ出会ったあこがれの人「晴雄」を捜す斉藤菊が、その思い出の地として志乃と共に訪れたのがこの石仏群です。京都には何度も来ているという菊のために、晴雄がとっておきと言って連れてきてくれたのがこの場所だったのでした。

そしてまた、この石仏群は志乃にとっても思い入れがありました。タイの石仏に惚れ込んでいた太郎を、ここに案内した事があったからです。太郎はここがとても気に入り、その時撮った写真が菊の目に止まったのでした。

Osawa08052810

この石仏群は平安時代後期から鎌倉時代にかけてのものと推定されています。写真中央にある石仏が大日如来であり、左右に居並ぶ阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩と共に胎蔵界五仏を形成しているのではないかと言われています。

確かに趣のある石仏群ではあるのですが、これだけを見せる為にわざわざ連れてきたという設定は、いささか無理があります。石仏に対する強い思い入れがあった太郎相手ならともかく、単に京都通というだけで引っ張って来る程の場所とは思えないのです。無論、大覚寺や大沢池を見に来たついでというのなら判るのですけどね。

ここはやはりタイの石仏に似ているという理由で、ロケ地に選ばれたという事なのでしょう。志乃と太郎、タイと京都を結ぶエピソードを描くための舞台装置として、この石仏群が必要だったものと思われます。

Osawa0805288

どうせなら大沢池を巡って池越しに多宝塔でも眺めそうなものなのですが、そうしなかったのは50年前にはその塔がまだ無かったからなのでしょう。ドラマの中でも、石仏のすぐ背後に聳える多宝塔には、一言も触れていなかったですからね。

ドラマでは初冬の景色だった大沢池でしたが、訪れた日(5月17日)は初夏の光と緑に溢れていました。その池の景色は明日アップする事といたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.20

京都・洛北 葵祭~路頭の儀  女人列と勅使舞人陪従の列~

Aoi08051831

路頭の儀において、やはり一番華やかで人気があるのが女人列です。上賀茂神社までは行列の最後を飾っているのですが、ここでは勅使の列の前に登場します。

Aoi08051818

女人列を先導するのは平安雅楽会の一隊。音楽が入ると、急に雅やかな雰囲気に変わりますね。

Aoi08051811

この行列の主役というべき存在が斎王代。実を言えば、かつての賀茂祭には存在しなかった役どころで、昭和31年に女人行列と共に創設されました。多分に観光目的の要素が大きいのですが、今では葵祭そのものを代表する存在となっています。

斎王代とは斎王に代わる者という事。斎王は賀茂社の神に仕える女性であり、代々朝廷から主として内親王が派遣されてこれに当たりました。斎王が住む場所が斎院で、賀茂の社とは離れた場所(紫野の辺りらしい)にあったのですが、祭の時は出御して、一条大宮で合流したと伝えられます。この斎王のきらびやかな行列を見ようと見物人が集まったと言いますが、現在の女人行列はこの時の様子を再現したものなのでしょうね。

斎王は鎌倉時代に承久の乱が起こるまで400年間もの間続いていたのですが、それ以後は絶えて出る事は有りませんでした。現在の斎王代は葵祭の行列を華やかに盛り上げるべく創案されたもので、かつての斎王に代わる者として位置付けられ、祭りの行事がある日には古式に則って精進潔斎に努めるのだそうです。

今年の斎王代は料亭「菊の井」の若女将である村田紫帆さんが選ばれましたが、誰がどうやって決めているのかは公開されていません。未婚の女性である事の他は特に条件は示されておらず、京都人でなくてもなれる様ですね。ただし立候補制でもなく、選考はあくまで秘密裏に行われている様です。

斎王代に選ばれるのはとても名誉な事なのでしょうけれども、それに伴う経済的負担も半端ではない様ですね。斎王代として振る舞う為に必要な経費はほとんどが個人負担と言われていますし、生半可な家ではとうてい勤まらないのでしょう。丁度良い年頃の女性が居る名家を探さなければならない訳で、きっと選ぶ側も毎年大変なのでしょうね。

Aoi08051820

斎王代に続くのは、女別当(おんなべっとう)、内侍(ないし)、命婦(みょうぶ)、女嬬(にょじゅ)、采女(うねめ)、童女(わらわめ)、騎女(むねのりおんな)など斎院に仕えた女官たちです。ただ、見ている限りでは、どの女性がどの役かはまるで判りませんでした...。

Aoi08051821

その中で、唯一区別が付いたのがこの采女です。斎院の神事を司った女性で、そういう意味では斎王に最も近い存在だったのかも知れません。それが証拠に、斎王代と同じく頭に日陰糸を垂らしていますよね。これは本来は日陰葛という植物だったのですが、何時の頃からかこの組紐に代わりました。清浄な存在である事を示すためのものだそうで、神に仕える女性としての象徴なのでしょう。私的には、斎王代に次いで存在感を感じました。

Aoi08051826

斎王代と共にこの行列の主役を務めるのが勅使です。四位の位を持つ近衛中将が勤めたとされ、この行列の中では最高位の人ですね。かつては、藤原道長の息子であり、宇治の平等院を建てた事で知られる頼通も勤めた事があるそうです。今年の勅使は宮内庁京都事務所の所長さんだったそうですね。

この勅使が前を通る時には立礼を求められるのですが、この時ちょっとしたハプニングがありました。場内アナウンスに応じて立とうとすると、立つな!と叫ぶ人が居るのです。どうやら写真を撮りたかったアマチュアカメラマンだった様ですが、かなりの人がとまどった様子で、座ったままになっていました。仮にも勅使と名の付く人よりカメラマンの方が偉いという訳ですから驚きですね。マナーの悪いカメラマンの存在は今に始まった事ではありませんが、ここまで酷いとあきれるほかありません。

そのうち、カメラの持ち込みは禁止されてしまうのじゃないかしらん?

Aoi0805188

勅使を立礼で迎えていたので、行列の最後は後ろ姿しかありません。一番前に見える橙色の一団が舞人(まいびと)です。近衛府に勤める五位の武官で、歌舞に練達した人達なのだそうですね。この舞人はこの後「東游(あずまあそび)」という舞を舞われます。

その後ろに居る紫の一団が陪従(べいじゅう)で、雅楽を演奏する人達です。この人達も近衛府の五位の武官で、着物に丸く図案化された動物の絵が描かれているのが面白いです。そして、ちょっと驚いたのが大きな箏を数人掛かりで持ちながら演奏していた事で、なるほどこういう演奏法もありなのかと感心した次第です。

そして、最後尾の赤い衣装の人が内蔵使(くらづかい)。内蔵寮の次官であり、現在の財務副大臣に相当するのだそうです。役目としては、勅使が奏上される御祭文を維持するとの事ですが、そのあたりは一般客は見る事が出来ない世界ですね。

以上が上賀茂神社における、路頭の儀の全容です。実はビデオに撮って置いた葵祭の中継を見直したのですが、やはり行列の順番はかなり入れ替わっている様ですね。それに偉いさんが馬から下りてしまっているので、ちょっと権威が損なわれた感じもしないではありません。そのぶん、斎王代は間近で見る事が出来た訳だし、ここでも十分に楽しむ事は出来ました。

でも、次はやはり本来の行列をみてみたいですね。早めに御所に行くか、有料席のチケットを買うか、何か手を考えなくては。それになにより、今年は見る事が出来なかった数々の神事を見る事が出来たら良いなと思ってます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.19

京都・洛北 葵祭~路頭の儀  警護の列から馬寮の列まで~

Aoi08051812

一口に葵祭と言っても前儀までを含めると実に多岐に渡る行事があるのですが、一般には斎王代を初めとする行列「路頭の儀」の事を指すでしょう。この路頭の儀とは、天皇が国家の平安を願うために行った、上賀茂・下鴨両神社に弊物(お供え物)を奉納するための巡邏行が始まりとされます。現在では多分に観光目的となっていますが、神事そのものは継承されており、参加者にしても古代の職制、装束を忠実に再現した内容となっています。

Aoi0805181_2

行列は、警護、内蔵寮の官、馬寮の官、女人列、勅使舞人陪従の5つからなり、全てを見終わるまで約1時間程掛かります。全てを一度に紹介するととても長くなってしまうので、今回は2度に分けてアップしたいと思います。

Aoi0805182

行列は京都御所を出発した後、丸太町通と河原町通を経て下鴨神社へと至ります。そこで一通りの神事を済ませた後、下鴨本通から北大路通、そして賀茂街道を経て上賀茂神社へと向かうのですが、問題はどこで見るかですね。

最も人気があるのは京都御所と糺の森で、それぞれ御所の建物や森の緑を背景にすると、とても絵になる事でしょう。しかし、この2箇所については有料観覧席になっており、事前のチケット購入が必要となるため、注意が必要です。まだ御所の方は自由に見る事が出来る場所がある様ですが、糺の森については全く言って良い程自由なスペースは無く、チケットが無い場合は入り口で警官によって止められてしまいます。後で聞いたところでは、部分的には見る事が出来る場所もあったようですけどね。

ですから多くの人は手前の参道に陣取って見て居られるのですが、私は何も様子を知らずに糺の森に行ったものですから、森の入り口に出来た人垣の後ろから見る羽目に陥りました。おかけで、行列の全体の様子は判らず、撮れた写真もわずかです。これではならじと、上賀茂神社に向かう事にしました。

それにしても有料観覧席の事は両神社のホームページでは触れられておらず、京都新聞の特集ページにもありません。一体どこに書かれているのかと思ったのですが、京都市観光協会のページにありました。これって、随分と不親切ではありません事?私の様な初心者には、判りにくい事この上ないです。

もう一つのスポットは、賀茂街道になりますが、上賀茂神社に向かう途中に見た所、2時間以上前から場所取りが始まっていました。車が沢山行き交う所での場所取りはさぞかし大変だと思いますが、それくらいの根性が無いと良い写真は撮れないという事なのでしょうね。

Aoi08051828

上賀茂神社の場合は、先の3つのポイントに比べると条件が少し悪くなります。見やすいという点では多分ここが一番ではないかと思うのですが、一の鳥居から先は下乗・下馬となっているため、全ての行列が徒歩になってしまうのです。当然牛車も入ってこられず、行列本来の姿を見る事が出来ません。ただし、斎王代が歩くのはここだけですし、割り切ってしまえばちゃんと祭を楽しむ事は可能です。それに、近くにはカキツバタの名所である大田神社社家の西村邸があり、待ち時間をつぶすにはもってこいの場所ではあります。そして、運が良ければやすらい花にも出会えますしね。

なお、ここも参道脇は有料席となっており、1人千円が必要です。(御所と糺の森は2千円で事前の購入が必要。上賀茂神社の場合は当日の購入。)でも、見るだけなら有料席の後ろからでも十分に可能ですよ。

さて、行列の紹介と行きましょう。あらかじめお断りしておきますが、何しろ初めて見た行列であるため、誰がどの役に該当するのかについては、少し心許ない部分があります。無論、一通り調べた上でアップしていますが、もし間違っている箇所があれば、コメント願えれば幸いです。

まず、行列の最初を行くのは、賀茂競馬でおなじみの乗尻です。ここまで騎乗にて行列を先導して来た彼らですが、ここからは馬を下りて徒歩での先導となります。今日もまたこの衣装で走馬の儀を行うのかと思っていたのですが、それは違ってましたね。

Aoi08051813

ここからが行列の本番となります。まずは警護の列。

先頭を行くのは神社の神職の方で、その後ろに二人並んでいるのが素襖(すおう)という幕府から派遣された役人です。行列の先頭を行き、警護をするのが役目ですね。その後方の4人の桃色の衣装の人達は、火長(かちょう)という検非違使の下級役人で、素襖に従って警護の実務に当たる人達です。

Aoi08051823

その後方から歩いて来るのは検非違使志(けびいしのさかん)であり、検非違使の長官から数えて四番目の位で六位に相当する官職なのだそうです。先頭の人がそうですが、いかにも警察官僚にふさわしい貫禄の持ち主ですね。

その背後に歩いているのは童であり、こういう偉いさんには必ず付いている様ですね。昔は主人の雑用を勤めたものなのでしょうか。なかなか可愛い化粧であり、沿道のご婦人方には大層な人気ぶりでしたよ。

左の緑の衣装の人は志に使える調度掛(ちょうどがけ)と呼ばれる役目で、志が馬に乗っている間は弓を持ち、矢を背負って歩行にて従います。

Aoi08051825

検非違使の一隊はまだ続きます。この列の先頭を行くのが検非違使尉(けびいしのじょう)で、志の上役にあたり、五位の位に相当します。事実上この行列の警護の責任者になるのですね。

その背後に従うのが鉾持(ほこもち)で、尉の武器である鎖を持っているのだそうです。手にしているのは一見するとただの棒きれの様に見えるのですが、良く見ると先端になにやら金具が付いているらしく、やはり武器としての鉾なのでしょう。この方の衣装はとにかく奇抜で、行列の中でも一番ポップで目立っていました。

その後ろの二人が看督長(かどのおさ)で、現在で言えば巡査部長クラスなのかな。

Aoi08051816

ここから内蔵寮の列に変わります。ここで先頭を行くのが山城使(やましろづかい)。山城国の次官であり、洛外(都の外は山城国司の管轄になる)に出た行列の警護の為に派遣されるのだそうです。

その背後の4人が手振(てぶり)と呼ばれる従者達で、鹿皮の敷物など、山城使のための調度品を運ぶ役目を持っています。

Aoi08051817

ここから馬寮の官の列になります。ただし、本来これより前に居るべき衛士や内蔵寮史生が後から来ていたので、その区別が正しいのかどうかは良く判りません。また、この記事は上賀茂神社で配布されていたパンフレットを参考にしているのですが、もしかすると上賀茂に来るまでの行列とは順序が入れ替わっている可能性もあります。そのあたりの事情を、ご存知の方はおられませんか。

それはともかくとして、この写真の先頭を行くのが馬寮使(めりょうつかい)。左馬允(さまのじょう)という六位の武官で、神に照覧するための2頭の御馬を率いる役目を負います。

その後ろの薄赤い装束の人達が馬部(めぶ)と呼ばれる馬の世話役で、4人で一頭の馬を牽いていきます。2頭の御馬はそれぞれ左馬寮と右馬寮から一頭ずつ選ばれた馬との事で、菊の御紋が入った布で飾られていますね。

Aoi08051830

パンフレットでは馬寮使より前になっているのですが、なぜか後から来た衛士(えじ 黒装束の二人)達です。彼らは御幣物唐櫃を守護する役目を負います。

その後ろの人物が内蔵寮史生(くらりょうのししょう) 、だと思います、たぶん。七位の文官で、下鴨、上賀茂の両社に各一名ずつ派遣され、上職の内蔵使に御幣物を手渡す役目を負います。

そして判らないのが、そのさらに後方に居る人物です。それなりの位を持った役人の様なのですが、調べた限りでは出てきません。どなたか教えて頂けませんか?

Aoi08051815

行列に彩りを添えるための風流傘(ふりゅうがさ)です。いくつかあるのですが、これは大きい方の傘で、相当な重さがあるらしく、巡行中には4人が順番に交代して持ち手に当たる様です。糺の森の前ではこの傘が大きく傾いたので、驚きの声が上がっていました。これを運ぶのは結構大変みたいですよ。

以下、明日に続きます。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008.05.17

京都・洛北 上賀茂やすらい花

Yasurai0805171

葵祭の当日、5月15日の上賀茂一帯は、祭り一色で染められています。家の軒先には双葉葵の紋が入った提灯が飾り付けられ、普段は人気がない路地にまで、観光客が押し寄せます。その上賀茂において、葵祭とは別の、もう一つの祭礼が行われていました。それがこの上賀茂やすらい花です。

Yasurai0805173

「やすらい」と言えば今宮神社のやすらい祭が有名ですが、このやすらい花もルーツは同じで、平安時代に桜の散る頃に流行る疫病を退散させるため、風流の扮装をして鉦、太鼓を叩き、かつ踊った事が始まりとされます。現在京都には、今宮、玄武、川上、上賀茂の4つの地区で伝承されており、他の3箇所が4月の第2日曜に行われるの対し、上賀茂では葵祭に合わせたのでしょう、5月15日に行われる決まりになっています。

Yasurai0805172

この祭りには二つの主役があって、一つはこの花笠です。花の精の力によって疫病を封じ込めるという花鎮めがこの祭りの本質の一つであり、それを具現化したのがこの花笠という事なのでしょう。この傘の下に入ると一年間の厄が祓われるとされ、誰でもこの下に入る事が許されているので、見物人が我も我もと集まり、この状態となります。


Yasurai0805178

当然私も傘に入れて貰い、その際に傘の中を撮ってきました。果たして御利益があるかどうかは判りませんが、これをごらんになった方に、厄払いのお裾分けが出来ますように。

Yasurai0805175

このやすらい花は、上賀茂神社の祭りか、あるいは葵祭の神事の一つかと思ったのですが、どうやら違う様です。世話役の人に伺ったところ、この地域のお祭りという事で、特定の神社に繋がるものではないとの事でした。ただ、当日の朝には上賀茂神社に奉納すべく訪れているそうなので、全く無関係という訳でも無いようです。

他の地区と共に重要無形民俗文化財に指定されており、保存の手もさしのべられている様ですね。

Yasurai0805176

もう一つの主役が、この赤熊(しゃぐま)を被った鬼達です。この鬼が鐘や太鼓を叩いて辻々で踊り、その踊りの中に災厄を封じ込めてしまうのだと言われています。

Yasurai0805177

この踊りは結構絵になっていたのですが、なにしろ初めて見たものですから様子が判らず、まともな写真が撮れなかったのが残念です。次の機会には、もう少しましな写真を撮れると良いのですが。

上賀茂やすらい花は、葵祭と比べると随分とこぢんまりとしていますが、その分親しみやすく、かつ参加も出来る、ほのぼのとした気分にさせてくれるお祭りですよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.16

京都・洛北 葵祭~走馬の儀~

Souma

京都三大祭の一つ葵祭が、5月15日に行われました。祭りのメインは斎王代を初めとする行列(路頭の儀)にあるのですが、まだ写真を整理仕切れていないため、最後の行事である走馬の儀を先にアップします。

Souma0805153

走馬の儀は葵祭を締めくくる神事であり、馬が疾駆する姿を神に奉納するという意味を持つそうです。形としては5日に行われる賀茂競馬に似ていますが、その起源は賀茂祭(葵祭)始原のご神託に依るとパンフレットにあり、宮中の行事を引き継いだ競馬とは性格が異なる様ですね。

Souma0805152

当日は馬寮から2頭、賀茂の馬5頭の計7頭が一の鳥居から二の鳥居までの間の参道を駆け抜けました。途中鞭を上げて神の座を指し示し、大声で叫ぶ事でその走る姿を神に捧げるという事らしいですね。

Souma0805157

競馬の時もそうだったのですが、下手に馬を刺激するととんでも無い事になると繰り返し場内アナウンスがありました。くどい程の警告だったものの、まさかそんな事は起こらないだろうと高を括っていたのですが、それが現実のものとなりかねないアクシデントが発生しました。最後の馬が暴れて乗尻が振り落とされてしまったのですね。

Souma0805156

乗尻は馬から落ちながらも手綱にしがみつき、引きずられながらも何とか態勢を立てなおそうと頑張ります。

Souma0805158

そして、あわや柵に激突するかという所まで来て、やっと身体を張って馬の暴走を食い止める事が出来ました。良くもまあ乗尻が倒れ込まなかったもので、下手をすると暴走した馬が観客席に飛び込んでいたかも知れません。

Souma0805155

ひやっとする光景でしたが、神職の叱責を受けた乗尻が再度馬を走らせると観客席から暖かい拍手が巻き起こり、一番大きな賞賛を受けていました。やっぱり失敗から立ち直る姿を見るのは、誰しも嬉しい様ですね。でも、当人は複雑な気分だっただろうなあ。

走馬の儀はこれで終わりではなく、御阿礼野高館という場所において後半が行われます。これは馬が山を駆け上がる事から山駆けと呼ばれるそうなのですが、残念ながら時間の関係でそこまでは見る事が出来ませんでした。もしかしたらこの部分は一般には公開されていないのかも、です。

賀茂競馬もそうでしたが、やはり馬が駆ける姿というのは、迫力があって良いものです。神に捧げるというのも頷けますね。この行事は下鴨神社でも行われており、来年はそちらも見てみたいものだと思っています。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »