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2007.08.12

夏の旅・尾道紀行 ~志賀直哉・暗夜行路~

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(新千光寺道の風景。青い道しるべの示す右奥に「志賀直哉旧居」がある。)

「「千光寺へ行くのはこれでいいの?」彼は行く手をさしてその子にきいた。立ち止まった子供は彼といっしょに山を見上げていたが、どう教えていいか迷うふうだった。
 「口で言うてもわからんけえ。わしがいっしょに行きやんしょう」
 子供は彼の返事も待たずに、今降りて来た細い坂道を前こごみのからだを快活に左右に振りながら、先へ立って登りだした。斜めに右へ右へと登って行った。」

志賀直哉が東京の家を出て尾道に移り住んだのは、1912年(大正元年)11月の事でした。そして、尾道を後にしたのは翌年の5月で、尾道に居たのはわずか半年足らずの事なのですね。意外に短い期間なのですが、この暗夜行路にその情景を描いた事で、彼と尾道との関係は不抜のものとなりました。

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(「志賀直哉旧居」。一番奥の部屋が直哉が住んでいた場所。)

「しばらく行くと左手に高く、二、三寸に延びた麦畑があって、その上に屋根の低い三軒長屋があり、その左の端に貸家の札が下がっていた。彼は子供に礼を言って別れ、その家を見に行った。日向で張り物をしていたかみさんが、いろいろと親切に教えてくれた。」

直哉が東京を後にしたのは父との不和が原因とされています。志賀家は代々相馬家の家老職を勤めてきたという家柄であり、父は総武鉄道の創始者の一人という資産家でした。不和に至る過程には様々な経緯があったのですが、その直接の原因は名家の子息が家柄も無い女中と結婚の約束をした事にあり、その事は作品にも取り入れられて克明に描かれています。

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(「志賀直哉旧居」近くの階段。尾道は坂と階段の町である。)

「それから斜めに一町ほど登って行って、彼はまた三軒長屋で、東の端が貸家になっているのを見つけた。見晴らしは前の家よりよかった。ここにも親切なおばあさんがいて、彼のきく事に親切に答えてくれた。彼には今の子供でも、かみさんでも、このばあさんでも、皆いい人間に思えた。こういうたまたま出会った二、三人の印象からすぐ、そう思うのは単純すぎる気もしたが、やはり彼はそれからこの初めての土地になんとなくいい感じを持った。」

志賀直哉も書いているとおり、尾道の人は旅人に対して親切な人が多かったですね。出会ったのは、タクシーの運転手、旅館の従業員、お寺の住職など商売柄人あしらいが上手い人達がほとんどだった事もあるでしょうけれども、根っからの親切さはこの土地ならではの美質なのだろうと感じました。

旅先においては、土地の人から親切にされると町そのものにも良い印象を持つというのは、いつまで経っても変わらない真実だと思います。

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(「おのみち文学の館・文学記念室」からの景色。)

「景色はいい所だった。寝ころんでいていろいろな物が見えた。前の島に造船所がある。そこで朝からカーンカーンと金槌を響かせている。同じ島の左手の山の中腹に石切り場があって、松林の中で石切り人足が絶えず唄を歌いながら石を切り出している。その声は市のはるか高い所を通って直接彼のいる所に聞こえて来た。」

暗夜行路の中でも白眉とされるこの一節に記された光景は、千光寺山の中腹にある「志賀直哉旧居」とその近くにある「おのみち文学の館・文学記念室」にて、ほぼその描写どおりに見る事が出来ます。

まず、対岸の中央に見える建物が造船所です。今でも稼働しており、文章中にもあるとおり、カーン、カーンという作業中である事を示す音が海を渡って聞こえてきます。

左端の山の中程で岩が露出しているあたりが、かつての石切場の跡と思われます。このあたりは古くから石の産地でもあり、大阪城の石垣に使われた石もここから運ばれたものがあるのだそうです。でも、この石切人足の唄とは、どんなふうだったのでしょうね。ちょっと聞いてみたかったという気がします。

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(「志賀直哉旧居」からの景色。)

「六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなるとすぐコーンと反響が一つ、また一つ、また一つ、それが遠くから帰って来る。そのころから、昼間は向かい島の山と山との間にちょっと頭を見せている百貫島の燈台が光りだす。それはピカリと光ってまた消える。」

尾道には寺が多いので、夕暮れ時になると千光寺とは限らず、どこからともなく鐘の音が聞こえてきます。いかにも尾道らしい風情ですね。これが前島にこだまして返ってくると言うのですが、残念ながら今は他の騒音にかき消されるせいでしょうか、そこまでは判りませんでした。車の無い大正の頃なら、きっと良い具合にこだましていたのでしょうね。

なお、百貫島燈台は前島からさらに南の島にある灯台の事ですが、残念ながらこの場所からでは確認する事が出来ませんでした。ただ、もう少し上の千光寺山から撮った写真にはわずかに見えていますので、後日掲載する事にいたします。と言っても、ほんの少しの光の点が写っているだけなのですけどね。

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(千光寺山からの夜景。)

「造船所の銅を溶かしたような火が水に映りだす。
 十時になると多度津通いの連絡船が汽笛をならしながら帰って来る。ともの赤と緑の灯り、看板の黄色く見える電灯、それらを美しい縄でも振るように水に映しながら進んで来る。もう市からはなんの騒がしい音も聞こえなくなって、船頭たちのする高話の声が手に取るように彼の所まで聞こえて来る。 」

この造船所は日が暮れてからもまだ操業しているらしく、遅くまで灯りが付いていました。さすがに船員達の話し声が聞こえてくる事はありませんでしたが、夜中に町が寝静まった頃になると、尾道水道を通る汽船の音が良く響いていました。町の人たちは慣れているでしょうけれども、最初の夜に正体不明の機械音が聞こえて来た時には、何事だろうと不安になったものです。

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(志賀直哉の住んでいた部屋。机と文箱、それに旅行カバンだけが置いてある。)

「彼の家は表が六畳、裏が三畳、それに土間の台所、それだけの家だった。畳や障子は新しくしたが、壁はきずだらけだった。彼は町から美しい更紗の布を買ってきて、そのきたない場所を隠した。」

「とにかく家は安普請で、ガスストーブとガスのカンテキとをいっしょにたけば狭いだけに八十度までは温める事ができたが、それを消すとすぐ冷えてしまう。寒い風の吹く夜などには二枚続きの毛布を二枚障子の内側につるして、戸外からの寒さを防いだ。」

「畳は新しかったが、台が波打っているので、うっかりすわりをみずに平ったいらっきょうのびんを置くと、倒した。その上畳と畳の間がすいていて、そこから風を吹き上げてくるので、彼は読みかけの雑誌を読んだところから、ちぎりちぎり、それを巻いて火箸でそのすきへ押し込んだ。」

志賀直哉の実家は先に書いたとおり資産家であり、こういう棟割り長屋での暮らしは初めての事だった様ですね。この長屋での暮らしは物珍しくもあり、なかなか楽しめた様ですが、尾道市のパンフレットに依れば、この年に直哉が支払ったガス代は尾道市で2番目の額だったそうで、安普請の家に住みながらも、その生活は資産家の子息らしく、かなり贅沢なものだった事を伺わせます。

この志賀直哉旧居では、ここで書かれたという「清兵衛と瓢箪」を印刷したチラシを受け取りました。当時尾道で流行していたという瓢箪趣味にヒントを得たもので、子供ながら瓢箪の目利きである清兵衛と、それが気にくわない父親との確執を描いた短編です。これは直哉と父との関係を題材にしていると言われ、小説家としての自分の価値を認めようとしない父に対する非難を表した作品とされます。

展示室ではこの作品にちなんだ瓢箪が置かれていたのですが、今の尾道には瓢箪文化というものは残っていないそうですね。一説には四国に渡る船の中で聞いた話が元になっているとも言い、もしかすると現実の尾道とは直接には関係ない話なのかも知れないですね。

直哉が尾道を去ったのは、作品中にもあるとおり中耳炎になった事がきっかけだった様です。当時の尾道には専門医が居らず、治療の為には広島か岡山に出るしかなく、それならばいっそ東京に帰ろうという事になった様です。

この尾道において、直哉は「暗夜行路」の前身である「時任謙作」に着手していました。題材は父と子の確執にあったのですが、現実の葛藤が大きすぎて、あまり書き進める事が出来なかったそうです。そして、数年後に父と和解するとさらに書く必要が無くなり、一時はお蔵入り寸前になったそうですね。しかし、ある時自分が祖父の子であったとしたらという発想が浮かび、主人公をその境遇に置く事で「暗夜行路」という作品に仕上げる事が出来たとされます。

書き始めてから実に12年を要したという長編が世に出たおかげで、私たちはこの美しい風景を、居ながらにして思い浮かべる事が出来ます。今回の旅行ではそれを実地に見る事が出来た訳で、それだけでもここに来ただけの価値はあったと思っています。

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コメント

facebookから、リンクさせていただきました。

投稿: 岸本益実 | 2012.08.18 01:07

岸本益実さん、はじめまして。
リンクの連絡ありがとうございます。

この記事を書いてからもう5年になるのですね。
尾道を懐かしく感じます。

投稿: なおくん | 2012.08.18 11:16

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