新選組血風録の風景 ~虎徹その3~
(新選組血風禄概要)
(巡察は続く。蛸薬師の筋を一巡し、尾張藩邸で休息した。藩邸では公用人の間に通され、酒肴でもてなされた。接待に出たのは公用方の松井助五郎という老人である。)
(老人は刀の鑑定が出来た。自然、話題は刀剣の事になる。老人の話では、薩長土の尊攘過激派の間では村正が流行しているらしい。村正は代々徳川家に不吉な事件をもたらした妖刀として忌まれてきたが、ことさらにこれを買い求めて腰に帯びているという事実は、彼らが内心倒幕の意思を持っている証に他ならないという。)
(近藤は村正には興味が無かった。自分の佩刀を老人に渡し、虎徹ですが鑑定願いたいと言った。老人は受け取り刀身を一瞥したが、眼福ですと言っただけで特に批評を漏らさなかった。近藤も何も言わなかったが、腹の中では何の評語も言わない老人の不遜な態度を憎悪した。)
(藩邸を出ると、東山の上に十五夜の月が出ていた。4人は月に向かって歩いた。烏丸筋にまで出たとき、あちこちで犬が鳴き始めた。その声を聞いて沖田は妙だと言う。一匹だけ必死な声がするという沖田の言葉に、一同は烏丸筋を南に歩き始めた。)
(四条通にまで来たとき、沖田は四ツ辻に立ち止まった。西の角の二軒入った南側に土蔵造りの巨邸がある。鴻池の京都別邸である。犬は鴻池の邸内で鳴いているという。)
(近藤は山南を屋敷の西角、沖田を東角に潜ませ、自らは門前に立ち、ご用改めである、開門されよと呼ばわった。三度目の声に応じる様に、塀の内側から人影が現れた。全部で五つ。最初の二人が路上に飛び降りたとき、近藤は何者かと言いながら詰め寄った。)
(相手は、攘夷御用金を受け取り退散するところだ、邪魔立てするなと言う。近藤は新選組であると名乗り、不審があるから屯所まで同道せよと命じた。相手は応じるはずもなく、一斉に斬り掛かって来る。近藤はたちまちの内に二人を倒した。近藤の刀の切れ味は素晴らしく、ほとんど手応えさえ無かった。撃ちの凄まじさは胴田貫に似ている。)
(沖田と山南もそれぞれ一人づつを倒したが、この後山南の刀は刀身が曲がって鞘に収まらなかった。新選組が洛中で人を斬り始めたのはこの事件が最初である。)
・村正について
「村正と言えば、刀に興味の無い人でもその名を知っているという程有名な刀です。ロールプレイングのゲームにおいても高性能のアイテムとして登場する事があり、その世界で知った人も多いのではないでしょうか。そういえば、名探偵コナン「迷宮のクロスロード」において、服部平次が土壇場で手にした刀も村正でしたね。」
「村正は美濃出身の刀鍛冶で、後に伊勢に移って一流を開きました。村正は三代続き、特に二代が優れているとされますが、名工ではあるものの、他を押しのけて第一席に擬されるという程ではない様です。ではなぜ村正が有名かと言えば、妖刀という伝説に彩られて来たからに他なりません。」
「村正が妖刀と忌み嫌われてきたのは、別にこの刀が摩訶不思議な出来事を起こしたという訳ではなく、一重に徳川家にまつわるエピソードに因ります。」
「まず、家康の祖父清康と父の広忠は共に家臣の謀反によって殺害されているのですが、この時使われた刀がどちらも村正でした。次いで、家来が槍を落とした拍子に家康が怪我をした事があったのですが、この時の槍が村正でした。そして、嫡男信康が信長から謀反の嫌疑を掛けられ死罪となった時に、介錯に使われた刀がまた村正でした。この様に村正は家康にとって不吉をもたらす、忌み嫌うべき刀となったのですね。」
「以来、諸侯においても村正を所持する事は徳川家に逆意を持つ印と疑われかねないため、これを手放すか、銘を削って所有するという慣習が出来たのです。もっとも、中には在銘のまま所有していた鍋島氏の様な例外もあったようですね。」
「逆に、家康に敵対する武将にとっては、またとない差料となりました。その代表格が大阪の陣で豊臣方の武将として活躍した真田幸村です。また、幕末期には西郷隆盛が所有していたそうですね。しかし、それぞれ非業の最期を遂げており、かえって村正妖刀説を裏付けてしまっているのかも知れません。」
・同田貫とは
「また、胴田貫とあるのは、これも刀の名の一つです。正しくは同田貫といい、肥後の刀鍛冶の集団が作った刀の事を指します。この同田貫という名は地名から来ているそうで、幅広く堅牢な造りであり、実戦向きの刀として知られていました。一般には時代劇「三匹が斬る」で知られる様になり、さらに劇画「子連れ狼」の拝一刀の愛刀(胴田貫)として有名になっています。」
「胴田貫の名の由来として、死体を田圃に横たえてこれを斬ると、死体を両断した後もなお田を切り下げるという程の切れ味を示す事に因るという俗説があります。これは後世のこじつけらしいのですが、それほど強烈な威力を持った刀として世間に認識されていたという事なのでしょうね。」
「抜群の切れ味を示す同田貫ですが、美術的にはさして優れているとは言えず、現在の刀剣界ではあまり人気が無いそうです。子連れ狼の刀といえば売れそうなものですが、それは素人が考える事なのかも知れないですね。」
(作品の舞台の紹介)
「尾張藩京都藩邸は、作品中ではあたかも蛸薬師通に面しているかの様な印象を受けますが、実際には一筋南の錦小路に面していました。京都風の地名で言えば錦小路室町西入るの場所にあり、四方又は二方を通りで囲まれた大きな藩邸が多い中、一つの区画の3分1程度しかないという比較的小規模な藩邸だった様です。」
「現在で言えば、祇園祭の霰天神山がある界隈といえば比較的通りが良いでしょうか。付近に尾張藩邸があったという石碑の類は一切見あたりませんが、祇園祭に行く事があれば、近藤達が松井老人と話しをしたのはこのあたりだったのかなと思い浮かべてみて下さい。もっとも、あまりに賑やかすぎてとても小説の様な雰囲気にはなれないでしょうけどね...。」
光村推古書院「京都時代MAP」、新人物往来社「新選組を歩く」、子母澤寛「新選組始末記」
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