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2007.06.23

新選組血風録の風景 ~虎徹その5~


Sijyoukarasuma1

(新選組血風禄概要)

(その日の午後、鴻池京都別邸から使いが来て、主人の善右衛門が御礼をしたいという。大名ですらあいさつに出向くという鴻池の主人が、わざわざ京都まで足を運んで来るというので近藤も悪い気はしなかった。)

(近藤は、土方、山南、沖田、山崎、それに平隊士数人を供代わりにつれて鴻池別邸を訪れた。宴は無事に済み、なお大阪にてというあいさつだったから、近藤は日を改めて大阪に下った。)

(振る舞い茶屋にて饗宴に興じたあと、本邸に呼ばれた。鴻池では近藤に対し、刀を贈るという。続々と運ばれてくる刀にしきりと目移りしていた近藤だったが、箱書きに長曽禰虎徹入道興里と書かれた一本に眼が止まった。)

(抜いてみると、なるほど斉藤が言った様に、刀身に丸い数珠玉が浮かんでいる。近藤は天にも昇る気持ちで、この刀を受け取った。)

(こののち、新選組と鴻池の縁が深くなり、数度に渡り多額の献金が贈られた。近藤と鴻池の繋がりの深さを示すエピソードとして、後藤象二郎との逸話がある。)

(大政奉還の直前に後藤と会った近藤は、すっかり後藤の人柄が気に入り、天下の財物を動かす気概があるのなら、大阪の富商に面識があるので、周旋してあげても良いと語った。後藤はまさか新選組局長からそんな言葉を聞くとは思わなかったから、内心ひどく驚いたという。)

・鴻池と虎徹

「近藤が鴻池に押し入った不逞浪士を斬り、その御礼として虎徹を貰ったという話には幾つかの類型があります。以下、主なものを並べてみます。」

・新選組始末記

「土方(あるいは沖田)と共に大阪の夜を巡察中だった近藤は、鴻池本邸に押し入った4人の浪士を斬った。鴻池はその御礼として、ありったけの刀を並べ、好きな物を選んで欲しいと言った。近藤は武骨な虎徹を選び、武州生まれの武士が、武州の刀を差して奮闘するのは本懐であると喜んだ。」

・両雄士伝

「浪士から強請られた鴻池は巧みに日延べをし、その間に新選組に助けを求めた。近藤は土方と山南を大阪に派遣したところ、彼らは見事に期待に応えた。鴻池からは感謝の印として、各自に名刀一振りづつが贈られた。」

・剣侠実伝・近藤勇

「近藤と山南は、鴻池京都別邸に押し入った5人の賊を相手に戦った。このとき、山南は刀を折られてしまったまのだが、小刀を抜いて応戦し、見事に相手を倒した。たまたま京都に来ていた鴻池の主人は、二人に厚く礼を言って供応した。そして、山南の刀が折れた事を気の毒に思い、蔵から洗いざらいの刀を出して、好きな物を選ぶ様にと言った。このとき、近藤の目に止まったのが虎徹であった。どうしてもこの刀が欲しくなった近藤は、自分の差料を山南に与え、自らは虎徹を受け取った。」

・聞きがき新選組

「(近藤と山南が鴻池京都別邸で賊と戦ったところまでは前記と同じ。)後日、近藤は鴻池に招かれて供応を受けた。そのとき、山南の刀が折れた事が話題に上り、鴻池が刀を贈る事になった。(以下前記に同じ)。」

「この作品が下敷にしたのは、舞台と敵の人数が一致する「剣侠実伝・近藤勇」あたりでしょうか。ただ、これらの記述はすべて後年になってから書かれたもので、そのまま事実として認めるには無理があります。」

「では同時代資料ではどうかというと、「聞集録」にこの話の原型となったと思われる事件の記述がありました。」

「文久3年6月下旬に、尽忠報国の士と偽る石塚岩雄という人物が、大阪の鴻池を相手に3千両の押し借りを働こうとしました。鴻池では5両を出して石塚を追い返したのですが、石塚はそのまま長町の旅館に引き上げます。これに気付いた鴻池では、丁度大阪に来ていた壬生浪士組に通報しました。これを受けた浪士組では隊から3名の隊士を派遣し、見事石塚を召し捕らえたとあります。(7月2日)」

「この事件に呼応する様に、壬生浪士組は30両を鴻池から借りています。後の新選組と鴻池の繋がりは、この事件をきっかれに始まったと言えるでしょう。ただ、この事件からは虎徹のエピソードが出てきません。」

「実はこの鴻池事件とほぼ同じ時期に起こったと思われるもう一つの事件があります。それが岩城升屋事件と呼ばれる事件で、山南が愛刀「赤心沖光」を折った事で知られています。」

「岩城升屋は大阪船場高麗橋にあった呉服太物商で、江戸にも支店を持つという大店でした。多摩の小島家に残る記録に依ると、山南はこの店に押し入った浪士と戦い、佩刀を折られながらもこれを討ち取り、会津候から褒美として八両を受け取ったとあります。」

「鴻池と岩城升屋で相次いで起きた事件を合わせると、先に紹介したいくつかの虎徹のエピソードとほぼ重なる形ができあがります。恐らくはこの二つの事件が混同されて、山南の折れた刀の代わりとして、鴻池から虎徹が贈られたというストーリーが形作られたのではないでしょうか。」

「そうなると虎徹は実は岩城升屋からの贈り物だったという可能性が出てきますが、残念ながらそこまで証明できる資料はありません。」

(作品の舞台の紹介)

「作品によると鴻池京都別邸は、四条烏丸西入る南側にあった事になっています。しかし、古地図を見ると、その区画には阿波蜂須加藩邸が位置しており、とても巨邸が入るだけの余地はありません。一方、やはり虎徹のエピソードを伝える資料として大正時代に発行された維新史蹟図説があるのですが、そこには鴻池京都別邸は四条烏丸西入る北側にあったと記されています。」

「冒頭の写真は現在(と言っても1年前ですが)の四条烏丸の様子です。烏丸通は明治以後に大幅に拡幅されており、江戸期には現在の東の歩道幅程度の道であったろうと思われます。それを念頭に置くと、四条烏丸西入る北側とは現在の交差点の西北隅にあたり、写真の右側のビルの位置がそれにあたると考えられます。」

「ここはかつて三和銀行(鴻池銀行の後身)京都支店があった場所であり、鴻池京都別邸の跡地と考えるには最も無理の無い場所と言えそうですね。史実としては壬生浪士組が戦ったのは大阪である可能性が高いのですが、文久三年の春の夜に、月明かりを頼りに近藤、沖田、山南がここで戦った、そしてそこには虎徹があったと想像してみるのも一興かも知れません。」

(参考文献)
子母澤寛「新選組始末記」、新人物往来社「新選組銘々伝」、光村推古書院「京都時代MAP」


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