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2007.05.16

新選組血風録の風景 ~鴨川銭取橋その5~

Akebonotei0606171

(新選組血風録概要)

(山崎の踏んだとおり、下手人は薩摩人と見て間違いなさそうだった。あの凄まじい切り口は、薩摩御流儀である示源流のものである。)

(示源流は何よりも太刀行きの速さを尊ぶ。敵の出方には委細構わず、一瞬でも速く相手を斬撃する。見事にその初太刀が決まれば、相手は間違いなく即死する。新選組では、近藤、土方がこの剣法を研究し、初太刀だけは何としてもはずせ、はずしてしまえば二の太刀からは他流儀の方が勝っていると隊士に教えた。)

(事件から3日目に、山崎は土方の部屋を訪れた。この日も土方は餅を焼いていた。山崎が下手人は薩摩人であるらしいと報告すると、土方はやはりそうかと答えた。土方の見方も山崎と同じだったらしい。しかし、そのあと土方は驚くべき事を口にした。下手人は観柳斎だという。直接手を下したのは薩摩人でも、手引きをしたのは観柳斎だと断定するのである。)

(山崎は驚いた。ただし、観柳斎に対する同情からではなく、監察の知らないところで副長が新たな証拠を手に入れたかと、自らの失策が気になったのである。証拠はと訊ねる山崎に、土方は観柳斎の人柄そのものが証拠だと答える。)

(武田は天才的な阿諛屋で、近藤、土方には猫がじゃれる様な接近の仕方をするくせに、同僚や下僚に対しては氷のように冷たい男だった。傍目には近藤も土方も観柳斎におだてられて良い気になっている様に見えた。しかし、どうやら土方は違っていたらしい。)

(土方は山崎に観柳斎の調査に対する方針を尋ねた。山崎は内心、観柳斎は薩摩藩に内通しているのではないかと疑っていた。その線に沿って調べを進めるつもりではあったが、山崎なりの考えがあってあえて言わなかった。果たして土方は観柳斎は薩摩藩に通じていると山崎に助言した。この言葉に、山崎はわざと驚いて見せた。山崎なりの土方に対する阿諛である。)

(その日の午後、花が山崎を訪ねてきた。話を聞いてみると、観柳斎はあけぼの亭の古くからの馴染み客であり、一元客として薩摩人に連れられてきたというのは花の勘違いであったという。花は奥勤めであり、常連客の事は実は良く知らないと言うのである。)

(しかし、そのあけぼの亭に来た薩摩人の事は、同僚から聞き出してくれていた。その男とは中村半次郎であるという。その名を聞いて山崎は驚いた。名うての人斬りである。)

(その上、かつて新選組を襲うという計画を立てた事もある男であった。当時は薩摩藩としても会津藩との協調を必要としていた時期であったため西郷が止めたが、倒幕色を露わにし始めた今となっては、中村をして新選組の切り崩しをさせたとしても不思議は無いのである。)

(山崎は花に念を押して確かめたが、観柳斎と中村が一緒に来た事は一度も無いと言う。これで観柳斎の薩摩臭は抜けた事になる。観柳斎が下手人であると決めつけている土方に何と言えばよいかと山崎は途方に暮れた。)

・観柳斎の評価

「観柳斎が近藤の信頼を得ていた事は既に触れたとおりですが、単なる阿諛の徒ではなく、確かな腕と頭脳に裏打ちされた一廉の人物だったからでした。阿諛だけの人物を重用するほど近藤はお人好しではありません。」

「ただ、観柳斎が尊大な人物であった事も確からしく、その事が観柳斎の後世の評価を曇らせている様ですね。また、何かと芝居がかった演出をする傾向があり、永倉はそのあたりが気に入らなかった様子です。一介の浪人が世に出るためには自らを大きく見せる必要があったのでしょうけれども、そのせいでせっかくの才能が評価される事無く埋もれてしまったのは惜しい気がしますね。」

・あけぼの亭について

「現在の明保野亭は三年坂の中程にあり、この小説でも狛野が斬られていた場所から推測すると、今の明保野亭を念頭に置いて書かれた様です。しかし、当時のあけぼの亭は現在の清龍苑の付近にあり、冒頭の写真にある茅葺きの門が当時の面影を今に伝えているとされています。」

「このあけぼの亭と観柳斎との間には深い因縁があります。池田屋事件から程ない時期に起こった「あけぼの亭事件」の時、新選組を率いていたのが観柳斎だったのです。この事件では罪無き土佐藩士と会津藩士が切腹して果てるという痛ましい結末を迎えるのですが、指揮官であった観柳斎は会津藩士柴司の葬儀に参列し、一首の弔歌を残しています。」

「司馬氏がこの事件の事を知らなかったはずは無いと思うのですが、あえて触れる事無くスルーしていますね。主題とは関わりないと判断したものか、この事件を踏まえてあけぼの亭を舞台としたのかは判りません。龍馬が行くでもあけぼの亭は出てきますから、司馬氏が幕末の主要な舞台として捉えていた事は間違いない様ですね。」

「歴史的には関係が無いとはいえ、三年坂と明保野亭は絶好のロケーションにあり、維新史を語るにはこの上ない舞台装置であると言えそうです。」

(参考文献)

新人物往来社「新選組銘々伝」、子母澤寛「新選組始末記」、伊東成郎「閃光の新選組」、永倉新八「新撰組顛末記」

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