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2007.03.10

新選組血風録の風景 ~池田屋異聞その14~

Ikedayaura0606251
(池田屋裏手)

(新選組血風録概要)
(池田屋の軒下に到着した近藤は、討ち入る者を一人一人あごで示した。沖田、永倉、藤堂、それに倅周平である。出口は原田、谷三十郎らに固めさせた。)

・討ち入りのメンバーについて

「池田屋に討ち入ったメンバーは、作品では5人とされており、これは近藤自身が記した書簡に基づいています。この5人の内、沖田、永倉、藤堂は、いずれも近藤の四天王と呼ばれた剣客で、最も信頼が置かれていた試衛館以来の同志でした。」

「その中で、一人だけ異質な存在が含まれています。それが近藤周平で、事件の直前に近藤が養子として迎え入れた若者でした。周平については、「槍は宝蔵院流」で触れる事になりますのでここでは詳細は省きますが、実際には池田屋突入部隊には含まれていなかったと考えられています。報奨金の額が一番低いクラスに属しているからで、後から駆けつけた土方隊に属し、周辺の固めに従事していたものと思われます。」

「近藤がなぜ書簡の中で周平を突入メンバーに加えたかについては、天然理心流を支える故郷の有力者達には無断で養子に迎えており、それを憚っての事ではないかと考えられています。すなわち、周平は勇敢な武士の子であり、養子とするに相応しい相手であると強調するために、あえて筆を曲げたのではないかとされています。」

・池田屋の外を固めた隊士達

「近藤隊10名のうち、突入したのは4名、そして、表と裏の出口を固めた者がそれぞれ3名づつでした。表は武田観柳斎、浅野藤太郎、谷万太郎、裏は安藤早太郎、奥沢栄助、新田革左衛門という配置であったと思われます。作品中にある原田と谷三十郎は井上隊に属しており、近藤隊の中には含まれて居ませんでした。」

「討ち入った4人の内、体調を崩していた沖田が早期に離脱し、次いで藤堂もまた深手を負って退きます。しばらくの間、屋内で闘っていたのは近藤と永倉だけという状況でした。相手はおよそ20名の浪士達。いかに手練れの二人とはいえ、大苦戦に陥ります。浪士達の内、近藤達に手向かったのは約半数、残りの半数は池田屋からの脱出を図りました。」

・近藤の誤算と3人の隊士の死

「この日、池田屋から脱出に成功したのは10人とされています。中にはずっと風呂桶の中に隠れていて、翌朝に隙を見て脱出したという大沢逸平の様な人物も居ますが、多くは戦闘の初期に脱出を図ったものと思われます。そして、彼等が目指したのは長州藩邸であり、その方向にある裏口へと殺到しました。」

「裏口を守っていた3人のうち安藤が副長助勤であり、この場の指揮官であったと思われます。彼等は殺到してきた浪士達を相手に果敢に戦ったのでしょうけれども、多勢に無勢で、奥沢はその場で即死、安藤と新田も重傷を負い、その傷が元で後日に亡くなっています。そして、彼等を倒した浪士達は、長州藩邸へとたどり着く事が出来たのでした。」

「3人の隊士を失い、10人の浪士を逃した事は、どう見ても近藤の失策です。新選組の戦法は、常に多人数で少数の相手を攻撃するという形を取るのが定跡であり、これを卑怯とみなす向きもあります。しかし、彼等がしていたのは市中取り締まりであり、剣術の果たし合いでは無いのですから、これは当然の行動でした。ところが池田屋では少人数で多人数を相手にするという、原則に外れた行動に出てしまったのです。」

「こうなってしまったのは、まさか相手がこれほどの大人数だとは思っていなかった事に依るものでしょうか。池田屋に踏み込んだ時浪士達も驚いたでしょうけど、近藤はもっと驚いた事でしょうね。たった4人で5倍の人数の相手をしなければならなかったのですから。しかし、そこで踏みとどまって戦い抜いた事が、近藤の名を後世に残す事に繋がります。」

・出遅れた会津藩

「近藤にとっての最大の誤算は、すぐに現れると思っていた会津藩の援軍が、なかなか現れない事でした。この日、会津藩では出発の準備に手間取り、予定の刻限を大幅に遅れて出陣したのです。会津藩の中には、この期に及んで長州藩との軋轢を危惧する向きがあり、その議論に時間を費やしてしまったのでした。彼等の出遅れが、3人の新選組隊士の死と引き替えになってしまいます。」

「近藤が故郷に送った手紙の中には、新選組は藤堂と永倉が傷を負った他は無傷であったと記しており、3人の隊士の死去と負傷については触れられていません。やはり自らの見込み違いで隊士を死なせてしまった事に、忸怩たる思いがあったのでしょうか。あるいは、新選組始まって以来の快挙と言える戦果の報告に、傷を付けたくは無かったのかも知れません。」

「いずれにしても3人の隊士の死は事実であり、池田屋騒動は必ずしも新選組の一方的な勝利であったとは言い切れないと思われます。」

以下、明日に続きます。

(参考文献)
伊東成郎「閃光の新選組」、子母澤寛「新選組始末記」、大石学「新選組」、松浦令「新選組」


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