近藤勇の首塚考その1
慶応4年4月25日、近藤勇は板橋において斬首に処せられました。享年35歳。
彼の首は板橋で晒された後京都に送られ、三条河原において再び晒されました。場所は三条大橋の南50mほどの地点とされており、夏ともなれば多くの夕涼み客で賑わう所ですね。しかし、どれほどの人が、かつてその場所に近藤の首が晒されていた事を知っているのでしょうか。
彼の首級は三たび大阪の千日前で晒された後、粟田口の刑場に埋められたとも、行方知れずになったとも伝えられています。ここでは、その首級の行方を追ってみたいと思います。
まずは、近藤の墓所とされている場所を探ってみましょうか。近藤の墓とされるものは、全国に6カ所もあるのですね。
1 JR板橋駅前(東京都北区)
2 龍源寺(東京都三鷹市)
3 天寧寺(福島県会津若松市)
4 円通寺(東京都荒川区)
5 法蔵寺(愛知県岡崎市)
6 高国寺(山形県米沢市)
では、これらを個々に見ていく事にします。
1.板橋
ここにある墓は永倉新八等の奔走によって建立されたもので、石碑には近藤と土方のほか新選組隊士の名が列挙されています。ここは近藤終焉の地であり、最初に近藤の遺体が埋められた場所でもありました。その事から、永倉は近藤と新選組の供養の場としてふさわしいと考えたのでしょう。ですから、これは墓と言うより供養塔であり、ここには誰の骨も埋まってはいないはずです。
2.龍源寺
龍源寺は近藤家の菩提寺であり、近藤勇の名を刻んだ墓も現存しています。この墓は勇の甥であり、後に養子となった近藤勇五郎等によって掘り出された、首のない近藤の遺体が葬られていると伝えられます。ここは真性の勇の墓と言っても良いのでしょうけれども、残念ながら首塚ではあり得ません。
3.天寧寺
ここは「新選組!!土方歳三最後の一日」ですっかり有名になった場所ですね。山本耕史がドラマの撮影に先立ち参拝した時に、ここには何か埋まっていると感じたと言い、またドラマでは斉藤が容保候から与えられたミッションを果たし、持ち帰った近藤の首を埋めた場所の様に描かれていました。
実際には会津藩を取り巻く戦雲が急を告げる中、容保候の許可を得て土方が建立したもので、とても京都から近藤の首を取り戻してくる余裕は無かったものと思われます。
4.円通寺
ここの墓は三河屋幸三郎が建立したもので、「戦士墓」と「死節墓」があります。このうち、「戦士墓」は上野の戦いで散った彰義隊の隊士達を葬った墓で、「死節墓」は鳥羽伏見の戦い以来亡くなった幕臣を供養するための墓です。ここには幕臣の名が列挙されており、近藤、土方の名もありますが、だれかが埋葬されているという事は無い様です。
5.法蔵寺
ここは、今までの墓とは違って、近藤の首塚として広く知られる場所です。昭和33年に風雨によって土砂が流され、土方の名が刻まれた墓の台石が発見されました。そして、そこには土方の他に数多くの人名が刻まれており、恐らくは新選組隊士の変名ではないかと考えられました。そして、新選組隊士に支えられたこの墓主こそ近藤に違いないと断定されたのです。一説には京都の誓願寺から近藤の供養を頼まれ、ここにその首を葬ったとも伝えられている様です。
しかし、その後、墓に刻まれた名は土方と行動を共にした伝習隊員のものである事が判りました。このため、ここが本当に近藤の墓であるかどうかは疑問視される様になっています。
6.高国寺
ここもまた近藤の首塚としての伝承を持つ墓です。それに依れば、勇の従兄弟である近藤金太郎という人物が板橋の刑場から首級を盗み出し、赤羽根近くの河原で焼き、残った骨を砕いて米沢に持ち帰り、自分の墓に葬ったとされています。
金太郎は、彼の母が勇の師匠であり義父でもある近藤周助の妹にあたる事から、勇の従兄弟であると言っていた様ですね。
ですが、周助は五人兄弟の末子であり、妹の存在は確認されていません。また、板橋で盗まれたのなら、京都に送られた首は別人であるという事になりますが、そんな事になっていたのなら誰かが気付いて大騒ぎになっていた事でしょう。この事から、ここもまた近藤の首塚としては疑問視されている様です。
以上見てきた中には、確実に近藤の首塚だと言えるものは無いようです。全く否定された訳ではありませんが、根拠としては薄い様ですね。
では、他に候補が無いのかと言えば、実は京都にあるかも知れないとされているのです。明日は、その京都の首塚について検証してみたいと思います。
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