新選組血風録の風景 ~池田屋異聞その9~
(新選組血風録概要)
(6月のある日、開けはなしにしてある山崎の部屋の前を大高忠兵衛が通った。その時、怒りとも不快ともつかない感情が山崎を戦慄させた。)
(その日、忠兵衛のあとをつけた山崎は、桝屋という古道具屋に入った事を確かめた。怪しいと睨んだ山崎は、さっそく周辺を洗ってみた。すると、桝屋では去年家の者が死に絶えたのだが、今年になって身内という者が入り込んだ。そして、その者と毘沙門堂門跡家来古高俊太郎が同じ顔だという。)
(6月4日の夕刻、近藤自ら隊士を率い、桝屋を急襲した。そして古高を捕らえ、夥しい武器弾薬と尊攘派志士達の往復書簡を手に入れた。)
・忠兵衛が主役に抜擢された理由
「以前にも書いた様に、忠兵衛の義兄(又は養父)である大高又次郎は古高と親交があり、池田屋騒動の直前まで桝屋の隣に住んでいました。恐らくは忠兵衛もまた、古高の下を訪れていた事でしょうね。」
「ところで「池田屋異聞その3」において、なぜ作者は大高源五の子孫と名乗る又次郎ではなく、養子の忠兵衛の方を主人公にしたのか不思議だと書いたのですが、もう一度新選組始末記を読み直して、やっとその原因が判りました。」
「新選組始末記では、池田屋において又次郎が斬られたという史実とは異なり、忠兵衛の方が討ち死にした事になっているのですね。この話の元を辿ればやはり新撰組始末記に至り、西村兼文の事実誤認がこの小説にまで影響を及ぼしていたのです。」
「しかし、独身の忠兵衛ではなく妻子持ちの又次郎を主人公に選んでいたとしたら、この小説もまたひと味違ったものになっていた事でしょう。明治のルポライターの誤謬がひとつの名作を生んだとも言え、巡る因果とはなかなか面白いものがありますね。」
・桝屋から押収された物件
「通常、桝屋からは夥しい武器弾薬が出てきたと表現されますが、実際に押収された物件は次のとおりでした。」
「木砲 4、5挺
小石、鉛玉を取り混ぜて樽に詰めた分
竹に詰めた火薬が大小数本
具足が十領
会津の印のある提灯が数個」
「このうち、木砲とは文字通り木製の大砲で、粘土の砲弾を撃ち出すものでした。大きな音はするでしょうけど、大して威力は無いと思われる武器です。京都の霊山歴史館に現物が展示されているのを見た事があるのですが、どちらかといえば花火筒と言った方がぴったり来ますね。」
「また、押収された具足については、大高又次郎が家業として制作した物を預かっていただけという説もあります。」
「実際に役に立ちそうな物と言えば数本の火薬くらいのものでしょうか。会津の印が入った提灯も、目くらましには使えそうですね。よく判らないのが樽に入った小石と鉛玉なのですが、木砲の砲弾代わりに使う予定だったのかも知れません。」
「それにしても、夥しい武器弾薬とは大げさに過ぎると思います。これだけで京都を火の海にするのはいくら何でも無理ですね。過剰反応というほかは無いのでしょうけれども、以前からあったテロの噂が実態より大きく見せたのでしょう。」
「それより重大なのは、志士達の往復書簡でした。そこには想像以上に密度の高い志士達の交流が記録されており、幕府の心胆を寒からしめるには十分な内容でした。そして、古高はその志士達を結びつけるキーパーソンだったのですね。新選組は捕縛してから初めて相手が予想以上の大物だった事に気付き、志士達はとんでもない人物が捕まってしまったと泡を喰ったのです。」
以下、明日に続きます。
(参考文献)
伊東成郎「閃光の新選組」、子母澤寛「新選組始末記」、新人物往来社「新選組資料集」、別冊歴史読本「新選組を歩く」、大石学「新選組」
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