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2007.03.08

新選組血風録の風景 ~池田屋異聞その12~

Yoiyoiyama0703081
(祇園祭宵々山)

(新選組血風録概要)
(宵山の雑踏に紛れて、諸藩の脱藩浪士達らしい風体の武士達が、続々と池田屋に集まり始めた。その数、20余名。いずれも錚々たる面々である。最後に大高忠兵衛が現れ、宿の亭主に向かって、戸締まりと短く命じた。浪士達は全員2階に集まっている。)

・志士達の人数は?

「この日、池田屋に集結した浪士達の数については諸説があり、確定したものはありません。島田魁日記の様に80から90人とする向きもありますが、いくら何でも過大に過ぎます。せいぜい20名前後だったか、あるいはもう少し少数だったのかも知れません。」

「実は、池田屋騒動で死亡した者、捕縛された者、それに脱出したとされる者の人数を足し合わすと40数名に上ります。ではこれが池田屋に居た実数だったのかと言うと、そうでもありません。当日は池田屋だけではなくその周辺においても取り締まりが行われており、その網に掛かった総計が40数名という人数だったのです。」

・事件直前の情景

「池田屋騒動直前の様子を伝えるものに、池田屋の主人惣兵衛の息子が残した一文があります。それによると、当日の夜四つ頃、吉田稔麿がやってきて酒肴を出す様に頼んできた。そして、書簡を数通送りたいという事だったので、使いの者を手配して差し上げた。ほどなく、13、4人の者がやってきた、とあります。」

「池田屋での会合をセットしたのは、吉田稔麿だったのですね。そしてその場から手紙を送って同志を集めたのであり、まったく臨時かつ緊急の集まりだった事が判ります。予め、会合の時間と場所を設定していた訳ではなかった様ですね。」

「また、集合した人数についても13、4人とあり、それほどの大人数ではなかった事が窺われます。そして何より、吉田が現れた4つ頃という時間が問題になります。近藤が池田屋に討ち入ったのがまさに4つ頃であり、志士達が池田屋に集まった直後に、新選組もまた池田屋にたどり着いたのでした。どちらかが時間的にずれていれば池田屋騒動は起きていなかったかも知れず、全く凄い偶然だったと言うより無いですね。」

以下、明日に続きます。

(参考文献)
伊東成郎「閃光の新選組」、子母澤寛「新選組始末記」、大石学「新選組」、松浦令「新選組」


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コメント

こんにちは、なおくん様

ご無沙汰致しております。
宵山の提灯の佇まいが、いいですねぇ。
当時も宵山、大変な混雑にもかかわらず「池田屋騒動」があり、
あの瞬間に様々な偶然がすれ違ったかと思うと、感慨深いです。
ある意味、新選組の一つの目玉である「池田屋騒動」、
歴史の大きなうねりがなおくん様の文章に綴られますね。


投稿: いけこ | 2007.03.09 11:34

いけこさん、コメントありがとうございます。
この写真は池田屋騒動用にと、使わずに置いてあったものです。
ちょっとブレているのが残念なのですけどね、
なんとなく往年の池田屋の雰囲気がするでしょう?

池田屋騒動は有名な事件の割には不明な点が多く、
まとめるのが難しいです。
また、血風録でも複数回に渡って登場しますので、
何回にも分けて重層的に綴っていきたいと思っています。

投稿: なおくん | 2007.03.09 23:56

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