新選組血風録の風景 ~池田屋異聞その6~
(新選組血風録概要)
(山崎はひたすらに人を斬った。殺人が新選組の隊務である。山崎は隊務を精勤にこなし、浮浪の士を斬るばかりでなく、隊内の非違もびしびしと取り締まった。)
(中でもすさまじい働きを示したのは池田屋の変である。この事件の以前から不穏の噂があり、長州は天子を奪って山口に行在所を設け、一気に国論を尊皇攘夷に持っていこうとしているという。その為に、長州人や長州系の志士達が、密かに京都に潜入しているらしかった。)
(松平容保候は、近藤と土方を呼んで、厳しく詮議する様に命じた。これは新選組にとっても、またとない功名の機会であった。)
・新選組の隊務とは?
「この作品中に、どうしても気になる箇所があります。それは、殺人が新選組の隊務であるという一節。確かに池田屋騒動を初めとして、芹沢鴨の暗殺、三条制札事件、油小路事件など、新選組史を飾る著名な事件は、どれも血生臭いものばかりです。」
「しかし、これらの事件はどれも例外的なものばかりで、新選組の隊務はあくまで市中取り締まりにありました。浪士と見れば誰彼構わず斬っていたというイメージがありますが、実際には捕縛して生け捕りにした事の方がずっと多いのです。このあたりは、少し詳しい年表を見るとよく判ります。」
「新選組に対しては、相手が抵抗して手に余れば斬り捨てても良いという特権が与えられていましたが、実際に刃を振るったのは、大勢の相手が刃向かってきた時に限られていた様です。あと、内部粛正の時もありますが...。」
「少なくとも、人殺しが隊務というのはあまりにも言い過ぎで、京の治安を預かる警察機構として、ちゃんと法に従って任務を遂行していたのです。」
・浪士の潜伏について
「8・18の政変で京を追われた長州藩でしたが、密かに舞い戻って市中に潜伏して居ました。幕府方もこれに気付き、文久3年12月に町触れを出し、宿屋の人別改めを徹底する事、刀を帯びた者は一泊しか認めてはいけない、など取り締まりの強化を図っていました。」
「長州系の浪士の潜伏が明らかになったのは、元治元年4月22日の事でした。新選組の見回り区域内にある木屋町において火事があったのですが、この時松原橋のたもとで市民の往来を妨害する不審な二人の人物が居ました。新選組ではこの二人を捕らえて尋問したのですが、なんと250名の同志が市中に潜伏しているという自白を得たのです。」
「この頃、浪士達が京に火を放ち、混乱に乗じて要人を殺害する計画があるという噂がありました。そこに250名もの不穏分子が潜伏している事が明らかになった訳ですから、幕府にとっては極めて憂慮すべき事態となったのです。」
「京都町奉行所はこの報告を受けて、「日暮れて後は辻々の木戸の取り締まりを厳重にする事」、「見回りを怠りなくし、不審な人物を見つければ必ず尋問をする事」、「万一相手が抵抗して手に負えない時は、打ち殺しても構わない」という内容の町触れを出しています。抵抗した相手を殺しても構わないという特権は、何も新選組に限った事ではなかったのですね。」
「新選組もまた、不審な人物が見つけたら、屯所に知らせる様にという触れを出しています。作品中でもまたとない功名の機会とありますが、実はこの頃、新選組もまた憂慮すべき事態にあったのです。」
以下、明日に続きます。
(参考文献)
伊東成郎「閃光の新選組」、松浦令「新選組」、新人物往来社「新選組を歩く」、木村幸比古「新選組日記」
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