新選組血風録の風景 ~池田屋異聞その16~
(新選組血風録概要)
(浪士達は、階段を転げ落ちてきては、屋外へと逃れようとする。山崎は抜刀のまま、階下で待ち構えていた。)
(最初に落ちてきたのは宮部鼎蔵で、脇差を山崎に向かって投げつけたかと思うと、太刀を抜いて腹に突き立て、そのまま絶命した。次に落ちてきたのは杉山松助で、彼は既に死体になっていた。その杉山と重なる様に落ちてきてのが、大高忠兵衛である。)
(山崎は忠兵衛に斬りかかった。今宵、腰抜け将監の曾孫が義士の子孫を討つと山崎が言えば、犬畜生の血筋が何を言うと忠兵衛がやりかえす。怒りに狂った山崎だったが、忠兵衛に背後を取られて危機に陥る。思わず逃げ足になった時、逃げるか畜類の子という声が背後から襲った。山崎は怒りに駆られて振り返り、夢中で忠兵衛の首筋を割り付ける。倒れた忠兵衛の身体に何度も切りつけながら、将監様、ご覧じろと叫ぶ山崎。)
・土方隊の到着と井上分隊の突入
「危機に陥った近藤達を救ったのは土方隊の到着です。新選組!における土方の名セリフ、「待たせたな!」ではありませんが、実際においても待ちに待った援軍の到着でした。」
「土方隊のうち屋内に突入したのは、井上が率いていた分隊でした。永倉新八の「七カ所手負場所顕ス」に、「井上源三郎同志拾名引き連れ池田屋に這い入る」とあり、この井上隊の突入により形勢は一気に逆転しました。永倉の手記には続いて「長州人8名を召し捕った」と記されており、援軍を得て余裕の出来た近藤が、「斬り捨て」から「捕縛」に方針を変えた事が窺えます。」
「浪士文久報国記事によれば、この後戦いの場は池田屋の外へと移っていきます。そして浪士との争いの中で会津藩兵、それに京都所司代の家臣達が浪士に斬られたとあり、この頃には幕府方の援軍も池田屋周辺に到着していた事が窺えます。」
・池田屋騒動の実像
「この日出動した幕府方の勢力には諸説がありますが、総合すると新選組と会津藩のほか、彦根藩、松山藩、淀藩、桑名藩、町奉行所の与力同心などが参加していた模様です。その人数にも様々な説があってはっきりしないのですが、最大の説を採ると5千名にも上ったと言われています。」
「会合が行われていた池田屋に直接踏み込んだのは確かに新選組ですが、実はその周辺においても、京都における公武合体派が総力を挙げた大捜査網が展開されていたのですね。池田屋に集まっていた浪士のみならず、町中に潜伏していた浪士達があぶり出され、至る所で大捕物が繰り広げられました。そして多くの者が捕らえられ、あるいは斬殺されたのです。翌朝の池田屋周辺においては、あちこちに死体が散乱していたという目撃談が残っており、当夜の手入れのすさまじさが彷彿とされます。」
・池田屋騒動の戦果と新選組の飛躍
「池田屋騒動の記録は参加した機関によってまちまちで、正確な捕縛者、犠牲者の数は今もって判然とはしていません。近藤の手紙に依れば、新選組が討ち取った者7名、手傷を負わせた者4名、召し捕った者23名とあるのですが、これはいささか過剰申告の気味がある様ですね。しかし、この日最も目覚ましい活躍をしたのが新選組であった事には間違いはなく、新選組と近藤の名を世に轟かせる事になりました。」
「この事変後、それまで傾きかけていた新選組が、一気に飛躍の時を迎えます。元治元年末から慶応2年にかけてが新選組の最盛期であり、人員が膨れあがった事のみならず、組織的にも整備が進み、後の世に新選組として知られる姿が形作られて行く事になります。」
・新選組の変質
「その一方で、当初の攘夷派集団としての性格は次第に薄れて行きます。池田屋騒動における印象があまりに強く、幕府もそして尊攘過激派も、共に新選組を幕府の主要な治安維持部隊とみなす様になりました。そして、近藤自身もまた単純な攘夷実行に対する疑問を抱きはじめ、新選組を幕府擁護のための機関として方向転換させて行く事になります。」
「この方向転換は隊内、特に試衛館以来の同志が不満を募らせる原因となり、永倉の反乱や山南の死、ひいては後の永倉・原田の離脱へと繋がって行きます。池田屋騒動は幕末史における重大な事件の一つですが、新選組にとっても大きな転換点をもたらした事件であったのです。」
(参考文献)
木村幸比古「新選組日記」、子母澤寛「新選組始末記」、伊東成郎「閃光の新選組」、大石学「新選組」、松浦玲「新選組」
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