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2007.02.04

新選組血風録の風景 ~芹沢鴨の暗殺その10~

Sijimibasi0602031
(大阪市北区・蜆橋跡)

(新選組血風録の概略)
(文久3年7月14日、新選組は京都守護職の特命で大阪へ下った。一行は芹沢を筆頭に、近藤、土方、沖田、山南、永倉など15名であった。翌日の午後、彼等は堂島川で船遊びに興じた。船に芸妓を乗せてさんざんに騒いだ後、夕刻になって芹沢が北の新地へ行こうと言い出した。)

(船頭が鍋島浜に船を着け、芹沢を先頭に上陸した。老松町へと抜ける狭い道を、ほろ酔い機嫌で端唄を歌いながら歩く芹沢。その向こう側から一人の大阪角力がやってきた。彼もしたたかに酔っており、芹沢の前で両手を広げて通せんぼをした。力士を無視して近づく芹沢。あわや二人の身体が触れそうになったとき、血煙が上がって力士が倒れた。抜く手も見せず、芹沢が斬ったのである。振り向きもせずに立ち去る芹沢。その切り口の鮮やかさに、ひそかに戦慄する土方。)

(新選組の一行が住吉屋で飲んでいると、にわかに階下が騒がしくなった。座興の相手が来た様だと刀を持って立ち上がる芹沢。土方が窓の下を見ると、巨漢達が手に手に八角棒を持ってひしめいていた。その数4、50人。新選組が怖くて大阪で角力が取れるかと叫ぶ声。やむを得ないと立ち上がる近藤。仲間を部署する土方。)

(凄惨な乱闘が始まった。土方の関心は唯一点、自分が芹沢と同じだけの太刀業を見せられるかどうかだけだった。一人斬り、二人斬り、三人目にして初めて満足の行く斬撃が出来た。しかし、芹沢は抜き打ちで斬っており、自分の腕は芹沢に及ばないと悟る土方。)

(乱闘は15分ほどで終わった。角力方の年寄りが駆けつけてきて、土下座して謝ったからである。下手に出られた芹沢はあっさりと刀を引き、住吉屋に戻って飲み直しをはじめた。この騒ぎで力士側に10名の死者、15、6人の重傷者が出たが、新選組側は平山五郎が打撲を負った程度で、ほとんど無傷であった。新選組の実力が天下を震わせたのは、実にこの時からである。)

(この事件については、大阪西町奉行所の与力である内山彦次郎が報告書を書き、大阪城代を通して京都守護職へと送られた。この事件は松平容保の心証を酷く害し、密かに近藤達を呼んで芹沢を除く様に示唆した。しかし、近藤はむしろ内山を憎んだ。国事に挺身する新選組に対し、わずかな瑕瑾でもって中傷するとは、許し難い俗吏だと思ったのである。近藤はこの事件から10ヶ月後の元治元年5月20日に、天満橋のたもとで内山を暗殺している。)

「壬生浪士組と大阪角力の喧嘩は、文久3年6月3日に起こっています。この2日前に大阪に不穏の動きがあるという風聞があり、壬生浪士組は京都守護職から大阪へ出張を命じられました。下阪した隊士は、芹沢、近藤、山南、沖田、永倉、斉藤、平山、野口、井上、島田の10名でした。彼等は3日の朝に2人の浪士を捕縛して任務を終えた後、堂島川で船遊びに興じています。この時、芹沢に同行したのは近藤と井上を除く8人でした。以下、浪士文久報国記事に依ると次の様な経過を辿っています。」

「その日は暑かったため、我らは稽古着一枚などまちまちの姿に脇差しを差しただけという軽装で船に乗り込んた。川の流れは思いのほか急で、船は次第に鍋島浜へと流されて行った。そのうちに斉藤が腹痛を訴えたため、一行はやむなく鍋島浜へと上陸した。

大阪は道が不案内であるために川岸に沿って歩いていたところ、ある橋で相撲取りと出会い、相手に無礼があったので斬り捨てるところを、殴り倒しただけで収めた。また暫く歩いていくと、蜆橋というところに差し掛かり、ここでも相撲取りが橋の中央を歩いて来た。こちらも中央を歩いていたので橋の中程ですれ違ったところ、相撲取りが無礼な言葉を吐いたため、これを捨てておく訳にも行かず、本来なら斬り捨てるべきところを、その場に打ち倒しただけにして新地へと急いで行った。

とりあえず茶屋に入って斉藤の看病をしていると、大勢の声が聞こえた。これは大阪の相撲取りで、彼等は攘夷の魁となるべく与力から八角棒を渡されており、これを持って茶屋の前に押し寄せて来たのだった。芹沢が表に出て、無礼があれば容赦なく斬り捨てると言うと、相撲取りは八角棒で撃ち掛かって来た。壬生浪士組の一同は抜刀し、月明かりの下での乱闘となった。相撲取りは3人が斬られ、手傷を負った者は数が知れない程だった。壬生浪士組は無傷で、そのまま近藤の待つ京屋へと引き上げた。

近藤はきっと今夜また襲ってくるに違いないと考え、事の顛末を認めて町奉行所へと届け出た。その末尾に、もし再び押し寄せてくる様な事があったら、一人残らず斬り捨てるとあったので、驚いた町奉行所は警備の者を差し向けた。翌日、相撲取り側からも届け出があり、5、60人の相手が無法にも撃ち掛かり、相手方にも1人の死者があったが、当方にも3人の死者と14人の怪我人が出た。これは当方に落ち度があるのだが、死者もある事なので届け出ると認められていた。

後になって、当夜の相手が壬生浪士組だったと知り、相撲取りは震え上がった。これ以後、大阪で相撲取りと行き会った時は、相手が道を譲ってあいさつする様になり、小野川、熊川の両年寄りと懇意になった。」

「小説とは似ていて異なるのですが、相違点をあげるとするなら、近藤と土方はこの喧嘩に参加していない事、そして、小説では芹沢が有無を言わさずに相手を斬った事になっていますが、永倉の記述に依れば最初は無礼討ちにすべきところを我慢をし、それでも相手が襲って来ためにやむなく斬ったとある事でしょうか。」

「一方、近藤が故郷に充てた手紙には、概略次のとおり記されています。」

「軽装で水稽古に出たところ、同士の一人が病を発し、やむなく上陸してとある住家で手当をしていた。すると、こちらの軽装を侮った2、30人の相撲取りが無法にも撃ち掛かってきた。やむなく脇差しを抜いて渡り合ったところ、相手に14人ほど傷を負わせ、当方は無傷だった。翌朝、関取の熊川熊次郎が亡くなり、他に3人が瀕死の重傷だと聞いている。奉行所には当夜のいきさつと、7、8人に薄手を負わせたと書いて届け出た。」

「また、島田魁の日記にも同様の記述があり、これらの記録では、すべて正当防衛だったという事で一致しています。芹沢が無礼討ちにしたとあるのは永倉新八が語り残した「新撰組顛末記」で、小説の元となった子母沢寛の「新選組始末記」もこれに依っている様です。」

「如何に世相が混乱していた幕末と言えども殺人は重罪であり、小説の様に有無を言わさずに斬ったとしたら、いくら芹沢とは言え無事には済まなかったでしょうね。恐らくは、「浪士文久報国記事」にある記述が事実に近いものと思われます。もっとも、近藤が事件直後に正当防衛で押し通せと隊士に言い含め、それが永倉と島田の記述に繋がっているとも考えられますが...。」

「一方、大阪町奉行所与力内山彦五郎については、小説にあるとおり元治元年5月20日に暗殺されています。ただし、場所は天満橋ではなく天神橋においてでした。」

「内山の暗殺については犯人は判らないままに終わったのですが、当時から新選組の仕業であるとの噂はありました。これを明らかにしたのが明治になってから書かれた西村兼文の「新撰組始末記」で、後に永倉新八が「新撰組顛末記」において追認するに至り、以後犯人は新選組だったという事にされています。」

「その理由として、西村兼文は、相撲取りとの一件について執拗に近藤にからんだ事を恨みに思ったからだとしており、小説もこの説に依っていますね。一方、永倉は内山は尊皇攘夷派の手先として米を買い集め、相場を上昇させて社会を不安に陥れた張本人だったからだと話しています。」

「島田の日記にも、大阪に風聞の悪い与力が居た事が記されており、不正をはたらく小役人が居た事は確かな様です。ただ、内山がそうだったという証拠は無い様ですね。」

「しかし、同じ永倉が書いた浪士文久報国記事には一言の言及もなく、近藤の手紙にも内山の事は出てこない様です。奉行所の与力を殺すなど公に出来る事ではないので口をつぐんでいたとも考えられますが、不自然さは否めません。内山暗殺は西国浪士の仕業だったとする説もあり、新選組の仕業と決めつけるのは少し早計ではないかという気がしています。」

「上の写真は、大阪市北区にある蜆橋の跡です。蜆橋は蜆川(曾根崎川)という川に架かっていた橋で、ここから西側に北新地と呼ばれる地域が広がっています。今では大阪の夜の町として有名ですが、当時はお茶屋が連なる花街でした。蜆橋は、その北新地の入り口にあたっているのですね。」

「現在では蜆川は埋め立てられ、ビルの角に「しじみばし」と書いた銘板だけが残されています。およそそんな史跡があるとは思えない場所で、ほとんどの人は気付かずに通り過ぎている事でしょう。」

「もし現地に行かれるなら、淀屋橋から御堂筋の西側の歩道を梅田に向かって歩き、新御堂筋との分岐点を目安にすると判りやすいと思います。滋賀銀行とコーヒーの青山の看板が目印ですよ。」

以下、明日に続きます。

考文献
子母澤寛「新選組始末記」、新人物往来社「新選組資料集」、木村幸比古「新選組日記」、別冊歴史読本「新選組を歩く」、文藝別冊「新選組人物誌」

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