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2007.02.16

新選組血風録の風景 ~長州の間者その5~

Yagitei0702161

(新選組血風録概要)
(新作は原田の十番隊に配属された。彼の思惑とは反して十番隊は最も活発な隊の一つで、毎日の様に巡察に出かけては人を斬った。)

・新選組の分隊システム

「新選組はとてもシステム化された、近代的な組織だったと言われます。その象徴が組長制で、沖田の一番隊から原田の十番隊まであったとされています。これは西村兼文が著した「新撰組始末記」に記された編成で、各組には1人の組長の下に2人の伍長と10人の隊員を配属させていたとあります。」

「ただし、この編成は慶応元年以降に実施されたもので、新選組の隊士も100名を遙かに越え、名実共に最盛期に達した頃のものでした。これに対して、新作が入隊した文久3年の夏頃には新選組(壬生浪士組)もまだ小規模なもので、この様な分隊制は実施されていませんでした。その頃は局長、副長の下に複数の副長助勤が置かれ、平隊士は出動の都度に適宜助勤の下に配置されていたものと思われます。」

「もっとも、このあたりの設定は血風録にはよくある手法で、小説を判りやすくするための技法と言うべきなのかも知れませんね。」

・原田の十番隊は存在しなかった?

「さて、ここから本題に入ります。新作が配置された原田の十番隊(組)というのは「新撰組始末記」だけに記されているものですが、従来はその存在が疑われた事が無く、ほとんどの資料に引用されて来ました。ところが、平成15年12月に発表された「新選組金談一件」という資料によって、新選組の組織にあったのは八番隊までで、九番、十番という組は存在しなかったらしい事が判って来たのです。」

・原田は勘定役?

「新選組金談一件は新選組から千両の借用を求められた三井両替店が、苦心惨憺の末にその要求を回避するまでを綴った記録なのですが、その中に慶応2年9月現在の新選組の組織が掲載されています。そこには助勤は1番から8番まであり、各組の人員は10人であると記されています。そして、問題の原田は勘定役と明記されていました。」

「この情報を三井に伝えたのは、他ならぬ西村兼文でした。西村は難題を吹きかけられた三井から相談を受け、何かと力を貸していた様です。西村が三井に与えた助言の中に、新選組の組織や、隊士の人となりなども含まれていたのですね。」

・行軍録との類似性

「この編成の確からしさについては、もう一つ元治元年12月に作成された「行軍録」の編成との類似性が揚げられます。この行軍録とは長州征伐への従軍を前提に作成された編成であり、平時に適用されたものではありません。」

「行軍録では近藤と土方の下に1番から8番までの組長が編成されているのですが、原田はその中には入って居らず、河合、酒井といった勘定方と共に小荷駄隊に配属されています。そして、行軍録は慶応元年9月にもう一度作成されているのですが、そこでも原田の配置はやはり小荷駄隊です。」

「従来は原田のこの配置について、原田の十番隊は新選組の殿軍であり、殿軍は小荷駄隊を率いるのが常道とされていた、あるいは戦闘力に優れた彼を小荷駄隊に配置する事で、殿軍としての機能を果たす事を期待していたなどという説明がされていました。」

「しかし、新選組金談一件の記述に沿えば、原田は元から小荷駄隊を監督する勘定役であり、この配置はごく当然なものであった事になります。この方が説明としては自然ですし、なるほどと納得が行くというものですね。行軍録は平時の編成と無関係に作られた訳ではなく、幹部の配置など、ある程度は関連したものだった様です。」

・原田が組頭になった時期は?

「なお、新選組金談一件に依れば組長という呼称も無く、組頭と呼ばれていた様です。原田は慶応2年12月に起きた三条制札事件に参加しており、その時の肩書きが七番組頭でした。この直前の10月に武田観柳斎が新選組から離脱しており、おそらくはその後任として原田が充てられたのではないかと考えられます。」

・10番編成と記された理由は?

「新選組を10番隊編成とした「新撰組始末記」は明治22年に書かれたもので、新選組が存在した当時とは20年以上の時間の隔たりがあります。そこに記された編成は西村の記憶違いか、あるいは原田と三木三郎(九番組長とされている)が後に組頭になった事を混同してしまったのかも知れません。」

「以上は、伊東成郎氏が書かれた「閃光の新選組」を元にした要約であり、「新選組金談一件」を直接読んだ訳ではありません。この資料は三井文庫論叢に収録されているそうですが、残念ながら手元には無いのです。この資料には他にも様々な興味深い情報が掲載されているらしいので、いつか手に入れたいと思っているところです。」

「それにしても、最も基本的な事項と思われていた組織編成にも、意外な事実が隠されているものですね。また原田にしても、従来は短気な武辺者というイメージだったのが、実は緻密さを要求される勘定方に在籍していたとは思いも掛けない事で、その人物像をもう一度見直す必要が出てきそうです。」

以下、明日に続きます。

考文献
子母澤寛「新選組始末記」、伊東成郎「閃光の新選組」、新人物往来社「新選組銘々伝」、「新選組資料集」


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