新選組血風録の風景 ~長州の間者その10~
(新選組血風録概要)
(元治元年6月4日の朝、新作は土方の部屋に呼ばれた。新作が部屋に入ると、どういう訳か沖田も居た。いつになく微笑を浮かべて話しかける土方を見て、胸騒ぎを覚える新作。)
(土方の命令は、四条河原町一筋上がるにある書店井筒屋の店先で通りを見張り、桝屋という店から出てくる男を斬れというものだった。その男とは新作も知っている同士の一人だという。そして、検分役として沖田も同行する。)
(四条通に出て東洞院を過ぎると、街が賑やかになってきた。気が付くと、明日は祇園会の宵宮になる。沖田は組み立て中の鉾や山の中を見ては、子供の様にはしゃいでいた。)
(井筒屋の場所はすぐに知れた。土州屋敷の少し北にあたる。店の中はひどく暗く、外からは何も見えない。往来を見張るには、もってこいの場所だった。)
・祇園祭について
「祇園祭の山鉾巡行は、現在では7月17日行われていますが、この日付は時代によって変遷があります。幕末の頃には巡行は前後2度に渡って行われており、それぞれ先の祭、後の祭と呼ばれていました。そして、先の祭は6月7日、後の祭は6月14日が本宮とされていました。」
「池田屋騒動があったのは元治元年6月5日の事であり、現在で言う宵々山に当たります。この小説では5日が宵宮とありますが、その元を辿れば子母澤寛の「新選組始末記」の記述に行き着きます。」
「現在の祇園祭では14日の宵々々山から祇園囃子が囃され、大勢の人出で賑わいますが、当時の夜の祭は宵宮しかありませんでした。ですから、ドラマや映画にある様に、町中に祇園囃子が流れていたという事もなく、いたって静かな夜だったと思われます。しかし、そう思うと何だか物足りない気がしますよね。」
「子母澤寛がことさらに5日を宵宮としたのは、雰囲気を盛り上げるための演出だったと思われます。やはり、祇園囃子を背景に、隊士が懸命の捜索を行っている方が絵になりますからね。あるいは、子母澤寛がこの本を書いたのは昭和の初め頃でしたから、単なる勘違いだったのかも知れませんが...。」
(お詫びと訂正:その後の調べで、祇園祭の宵々山は、幕末の頃から既に賑やかだった事が判りました。よって、この部分はお詫びの上、訂正させて頂きます。詳しくは「新選組血風録の風景 ~池田屋異聞その11~」を参照して下さい。)
・小説の舞台の紹介(四条河原町一筋上がる)
「小説に出てくる書店井筒屋という店は現存していません。かつて河原町通は本屋がずらりと並んでいた通りでしたから、あるいは井筒屋という書店もあったのかも知れませんね。しかし、今では本屋そのものがほとんど無くなり、この通り沿いには数えるほどしか残っていません。」
「小説の舞台設定はここでもおかしな事が書かれており、井筒屋があるのは土佐藩邸の少し北とあります。しかし、実際には土佐藩邸跡は蛸薬師通の辺りに位置しており、井筒屋がその北側にあったとすると四条一筋上がるどころではなくなってしまいます。このあたり、なまじの地理的知識を持っていると、余計な混乱を招ねく元になってしまいますね。」
「上の写真は、新作が見ていたであろう場所の現在の様子です。この細い道の名前は何というのでしょうね。当時はこの道の左手に、高瀬川から船を入れる為の水路「舟入」がありました。この道の奥に桝屋跡があるのですが、ここからでは、はっきりそれとは判りません。当時と今とでは景色がまるで違っていおり、かつてはもっと見通しが良く、桝屋もちゃんと見えたのでしょう。そして、そこには高瀬舟から荷を上げ下ろしする光景もあった事でしょうね。」
以下、明日に続きます。
参考文献
子母澤寛「新選組始末記」、新人物往来社「新選組を歩く」、新創社編「京都時代MAP 幕末・維新編」
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