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2007.02.09

新選組血風録の風景 ~芹沢鴨の暗殺その15~

Mibudera3
(壬生寺)

(新選組血風録概要)
(裸で寝ていた芹沢に、沖田の刀が一閃したところから殺戮が始まった。右肩を斬られた芹沢は、わっと言って立ち上がり、隣室へと転がり込んだ。その背後から原田が斬りつけたが、刀が鴨居に当たって止まってしまった。芹沢はそのまま廊下へと逃れたが、そこにあった文机に躓いて倒れたところを、土方の刀が背後から貫いた。)

「新選組始末記に依れば、刺客がやってきたのは、午後12時を20分ほども過ぎた頃でした。為三郎の母によれば、芹沢の高鼾が聞こえ、母もまたまどろみ掛けていたと言います。そこに4、5人が激しい勢いで玄関から入ってくると、芹沢の部屋の唐紙を蹴破って中に入って行きました。既に刀は抜いて手に持っていたという事です。」

「為三郎の母はこの4、5人の男達のうち、沖田と原田については確かに見たと証言しています。そして山南も居たのではないかとも言っていますが、確かには判らなかったそうです。」

「この証言から、当日の刺客は、最初に様子を見に現れたという土方と、為三郎の母が確かに見たという沖田と原田、それに山南を加えた4人だったというのが定説になっています。しかし、これには異説があります。」

「異説を唱えているのは他ならぬ永倉で、彼は浪士文久報国記事の中で、山南と原田の代わりに御倉伊勢武と藤堂平助を加えています。御倉伊勢武という隊士は長州藩の出身で、禁門の変の後、長州藩の行き過ぎた勤王論に付いて行けなくなったとして、新選組に加盟を申し込んできた人物でした。実は桂小五郎が送り込んだ間者だったと言い、新選組でもそれを承知で加盟させたと言われます。」

「この日刺客の一人として御倉が選ばれたのは、彼の剣の腕の程を知りたかった事が一つ、そして切り込みを行う場合、最初に突入する者が一番危険度が高いため、その役を間者である彼にやらせたのだとも言われています。」

「永倉は当日の切り込みには参加しておらず、後日の聞き込みから刺客の顔ぶれを想定したと思われますが、新撰組顛末記でも同じ名前を挙げており、なんらかの確証があったのでしょうか。」

「一方、切り込みは玄関から行われたとあるのですが、八木家に見学に行った時に聞いた説明では、刺客は庭から侵入したとありました。新選組!でも、4人は庭から入って行きましたよね。しかし、浪士文久報国記事では、土方が玄関の障子と門の扉を開けておいたとあり、襲撃は玄関から行われたと読みとれます。」

「このあたりもよく判らないところで、八木家の口伝では玄関からと伝わっていたのですが、その後の研究により庭から入って来たという説に変わったという事になるのでしょうか。芹沢が寝ていたとされる部屋は庭に面しており、刺客が狙うとすれば距離のある玄関からよりも、庭から直接部屋を襲ったと考えた方が合理的という気はしますけどね。」

以下、明日に続きます。

考文献
子母澤寛「新選組始末記」、木村幸比古「新選組日記」、新人物往来社「新選組資料集」

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