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2007.02.05

新選組血風録の風景 ~芹沢鴨の暗殺その11~

Hisiya1
(京都市上京区山名町・菱屋跡)

(新選組血風録の概要)
(9月に入った頃、土方は沖田から芹沢の下に毎日の様に通って来る女の話を聞いた。女は四条堀川の呉服商菱屋太兵衛の妾で、名をお梅という。太兵衛の正妻は死んで居なかったたため、お梅は菱屋の御寮人同様の存在だった。)

(芹沢は菱屋で次々と着物を誂えたのは良いが、その支払いを全くしていなかった。困った太兵衛は番頭を遣って催促をさせたのだが、芹沢に恫喝されて逃げ帰ってしまう。そこで太兵衛は一計を案じ、女相手なら芹沢も乱暴は出来まいとお梅を使いに出したのである。この策は頭に当たり、芹沢は困り果て、お梅の顔を見ると逃げ廻っているという。)

(その翌日、土方は井戸端でお梅と偶然出会った。ふと見たお梅のあまりの美しさに目を瞠る土方。お梅は土方に菱屋をご贔屓にと愛想を振る舞い、そして芹沢の存否を訪ねた。軽い失望を覚えながら、居ない様だと答える土方。土方はお梅に胸をときめかせた自分に驚き、剣の稽古に打ち込んでその気持ちを抑え込む。)

(数日後、沖田が驚くべき話を持ち込んできた。お梅が芹沢に犯されたと言うのである。あまりの出来事に、顔色が変わる土方。とっさに、他の隊士には言うなという土方だが、沖田は近藤の馬丁まで知っている話だと言う。この時初めて土方に芹沢に対する殺意が芽生えた。)

(ところが、さらに驚くべき事が起こった。お梅が毎日、おめかしをして芹沢に会いに来る様になったという。お梅に嬲られたかと思う土方。近藤もこの話を聞き、いよいよ芹沢を殺す時が来たと土方に持ちかける。これほど悪事が明白になった以上、芹沢が殺されたとしても隊内に動揺はないだろうと言う近藤に、同意する土方。)

「お梅が囲われていたという菱屋太兵衛は実在の商人で、従来は四条堀川に住んでいたとされていましたが、その後の研究で西陣山名町(上の写真の左手あたり)の住人だった事が判っています。そして、新選組が屯所としていた前川邸の主である前川荘司の従兄弟にあたる人物でした。新選組!ではこの史実をふまえ、太兵衛の手に余ったお梅を親戚筋の前川家で預かるという設定になっていましたね。」

「お梅は、元は島原で茶屋働きをしていた女だとも言い、年の頃は22、3だったとされています。隊士が口を揃えて褒めるほどの垢抜けた美人で、菱屋太兵衛が島原から落籍せて愛妾としていたものなのでしょう。」

「太兵衛が芹沢の借金取りに使わしたところを反対に寝取られてしまったというのは、「新選組始末記」にだけ記されている話です。永倉新八の「浪士文久報国記事」では愛人にしていたとあり、また西村兼文の「新撰組始末記」には強奪したと記されているだけで、借金取りの話は出てきません。もしかするとこの部分については、子母沢寛の脚色が入っているのかも知れませんね。」

「ただ、菱屋が前川家の縁戚だったというのは偶然にしては出来すぎており、おそらくは前川家が芹沢に、呉服の商人として菱屋を紹介したのが縁の始まりだったのでしょう。そしてお梅に惚れた芹沢が、強引に自分の妾にしたのも確かな様です。」

「新選組始末記に依れば、お梅もまた自分を菱屋から奪った芹沢を、憎からず思っていた様です。芹沢が暗殺された日も早くから八木家を訪れており、女中達と一緒に遊びながら芹沢の帰りを待ちわびていたのでした。そして新選組物語に依れば、お梅は芹沢と夫婦になる約束までしていたともあります。」

「このあたり、当時の道徳的観念とのかねあいもありますが、案外この二人は仲睦まじい関係だったのかも知れないという気もします。新選組!で描かれた二人も、紅葉狩りのシーンは良い雰囲気でしたよね。もしも芹沢が後にまで生きていたら、お梅もまた新選組局長夫人として、今とは違った評価を受けていたかも知れません。」

以下、明日に続きます。

考文献
子母澤寛「新選組始末記」、「新選組物語」、新人物往来社「新選組資料集」、木村幸比古「新選組日記」、「新選組全史」


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