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2007.02.12

新選組血風録の風景 ~長州の間者~

Biwako0702121
(琵琶湖)

(新選組血風録概要)
(幕末の頃、京で竹生島弁財天を家に勧請する事が流行った。この弁財天は貨殖、縁結びに験があるとされ、信仰を集めていた。蛸薬師麩屋町上がるの小間物屋の娘おそのは、わざわざ家の庭に池を作って真ん中に石を置き、朱塗りの祠を築いた。そして、その祠に収める御札を授かるべく竹生島参りに出かけた。一方、京都浪人である深町新作は、姉婿の泉涌寺家来吉田掃部に頼まれて、竹生島に代参に行った。島に渡る船中で一緒になった二人はすぐに親しくなり、島の宿坊で結ばれた。京へ帰る道中では夫婦約束を交わす仲にまでになっていた。)

(しかし、新作にとって難題だったのは、おそのが町人になって店を継いでくれと言ったことであった。新作の父は長州の出で、家老益田家に仕えていた岸という姓の武士であった。しかし、国元で何か不都合があったらしく、浪々の身となって京都にたどり着いた。そして柳ノ馬場に住む内に京女をめとり、新作が生まれたのである。長州の出であった事を隠すため、新作の母方の姓である深町を名乗っていた。)

(父は死の間際にこのことを明かし、岸姓であった事は他人には漏らすなと伝えた。そして、新作に立派な武士になれと告げてこの世を去った。その後の新作は父の教えを守り、柳ノ馬場綾小路下がるにある道場に通い詰め、17歳にして目録を得、20歳を過ぎて間もなく皆伝を与えられるというところまで修行を積んできた。新作は、そうした自分が武士を捨てて町人になる事が耐えられなかったのである。)

(しかしおそのは承知せず、浪人の妻になるのは嫌だと言い張った。やむなく新作は、主取りをすれば良いのだなと譲ったが、おそのはそれでも「はい」とは言わなかった。この節、歴とした家に仕えるのは難しく、門跡や公家の家来では食べていくのも難しいとおそのは知っていたのである。石取りの武士になる自信は新作にもなかった。)

・小説の舞台の紹介(竹生島)

「竹生島は琵琶湖の北の湖心に浮かぶ島で、弁財天を祀る宝厳寺という寺がある事で知られています。宝厳寺の起源は古く、724年に遡るとされます。ある日、聖武天皇の夢枕に天照大神が立ち、江州の小島に弁財天の聖地がある、そこに寺院を建立せよ。さすれば、五穀豊穣、国家泰平、万民豊楽となるであろうとお告げがありました。天皇はさっそく僧行基を使わし、堂塔を開基させたと伝わります。」

「その成立からしても神仏混淆であった事が判る竹生島ですが、明治の神仏分離令によって都久夫須麻神社と宝厳寺とに別れ、現在に至っています。江戸時代には蓄財の神として信仰を集め、元が蛇の姿をした神とされていた事から、水に縁のある場所に祀られました。小説の中で池の中に祠を建てたとあるのはこの事に依っています。」

・深町新作のモデル

「この作品に登場する深町新作もおそのも創作上の人物です。深町のモデルとなった隊士は見あたりませんが、あえてあてはめるとすれば越後三郎でしょうか。越後は京都浪人と伝えられ、御倉伊勢武らと共に新選組に入隊した人物でした。桂小五郎が送り込んだ間者と言われ、祇園一力で永倉新八の暗殺を企てたものの失敗に終わり、反対に粛正されそうになったところを危うく逃れたとされます。」

「新作と共通する部分はこの他にもあり、後からこの物語に出てくる松永主膳(実在の隊士は松永主計)と一緒に粛正されかかったという点が揚げられます。まあ、そういう隊士が実在したという事を念頭に、司馬氏が創作したのかもしれないという程度の推測なのですけどね。この「長州の間者」は前2作と違って、創作性がかなり強い作品となっています。」

以下、明日に続きます。

考文献
新人物往来社「新選組の謎」、永倉新八「新撰組顛末記」

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コメント

こんにちは、なおくん様

お祝いコメント、有難うございました。

京都からは近い滋賀、ですが、浜大津までは出掛けても、
竹生島まではまだ足を運んだことがございません。
この「長州の間者」のお話は、私、主人公の新作より、おそのの方が印象に残っているのです。
京女のしたたかさ、たくましさと言うのでしょうか。
男は過去、未来の夢に生き、女は今、この瞬間の現在を生きる。
(これは池波先生のお言葉ですが笑)
新作にモデル?が実在したのですね。
初めて知りました。面白いですね。

投稿: いけこ | 2007.02.13 15:56

いけこさん、コメントありがとうございます。
竹生島は、私もはるか湖面に望んだ事があるだけで、
まだ渡った事はありません。
この記事のために比叡山から撮ろうとしたのですが、
さすがに遠く霞んでいて上手く写らなかったですね。
いつか湖上を渡って行ってみたいと思ってます。

おそのは確かにしたたかですよね。
この血風録には他にも何人かの京女が出てきますが、
いずれも芯のしっかりした女性ばかりです。
現実はともかくとして、
概念としてある京女の姿を作者は的確に描いていると思います。

新作のモデルについては私の思いつきですので、
あまり本気に取らないで下さい。
史実として伝わる長州の間者と小説中に現れる人物とを比べて、
消去法で残るのが越後三郎かなという程度の根拠です。
越後の事績をなぞったという事はありませんので、
念のため。


投稿: なおくん | 2007.02.13 22:59

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