新選組血風録の風景 ~芹沢鴨の暗殺その6~
(新選組血風録の概要)
(芹沢鴨の横暴は、日を追う毎に激しくなっていった。ある日、新選組が島原の角屋で酒宴を開いていた時、芹沢は宴半ばで何か気にくわない事があったらしく、にわかに「亭主を呼べ!」と顔色を変えた。たまたま同席していた土方が隊士に耳打ちして階下にやり、亭主の徳衛門を逃がしてやった。そして仲居にも言い含めて、主人は他行中ですと答えさせたのだが、芹沢はこれは土方のさしがねであると見抜いしまう。その上で、土方を連れて主人の部屋へと討ち入り、主人が居ない事を確かめるや今から城割を行うと宣言し、鉄扇を振るって手当たり次第に調度・什器の類を壊し始めた。荒れ狂う芹沢を尻目に、席に戻って一人静かに酒を飲む土方。芹沢が荒れれば荒れるほど人望を失い、やがて自滅する時が来ると冷ややかに思案を巡らす。)
「角屋の一件は、芹沢の乱暴狼藉ぶりを示す事件として、最も良く知られたものの一つです。この事件を記録したのは永倉新八で、新撰組顛末記と浪士文久報国記事の両方に記載があります。顛末記の方が経過に詳しく、この事件の前段として水口藩との諍いが語られています。」
「文久3年6月末頃、水口藩の公用人が新選組の乱暴狼藉について会津藩に苦情を漏らした事がありました。これを聞きつけた芹沢は、その公用人を捕まえて来る様にと隊士に命じます。新選組に押しかけられた水口藩では八方陳弁に努め、ついには詫び状を書く事でその場を収めます。」
「しかし、冷静になってみると、詫び状を取られた事が藩主に伝われば、公用人は切腹を申しつけられる事になってしまいます。このため、水口藩では間に人を立てて、詫び状を取り返そうとしました。芹沢は角屋にて隊士一同と共に会うと約束し、当日隊士達に諮った上で詫び状を返してやりました。そして、水口藩からのお返しとして始まったのが件の宴会だったという訳です。」
「この席上、芹沢は隊士一同に対して、水口藩士の手前であり、いつもの喧嘩口論は慎む様にと申し渡しました。ところが荒くれ者が揃った隊士達がおとなしくしているはずもなく、酒が回るにつれて席上が乱れてきます。この様子を見て、酔うほどに不機嫌になる芹沢。」
「程なく、同席していた土方は、宴席に居るのは他の店の芸妓衆ばかりで、角屋の仲居は一人も居ない事に気が付きます。角屋の主人は普段から芹沢と仲が悪く、自分の店の従業員は彼の席には出さない様にしていたのでした。土方が案じる間もなく、芹沢もその事に気が付きます。そして、自分の言いつけを守らず騒ぎ立てる隊士達にいらついていた気持ちが、ついに爆発してしまったのでした。」
「癇癪を起こした芹沢は、鉄扇で自分の前の膳を叩き壊してしまいます。それを見た隊士達は、いつもの芹沢の発作が始まったと怖れをなし、我先に逃げ出しました。後に残ったのは土方と永倉の二人です。彼等が見ている前で芹沢はますますいきり立ち、階段の手すりを引き抜くと階下へと放り投げ、その破片を拾って角屋の瀬戸物の類をすべてたたき割ってしまいました。」
「芹沢は、逃げ遅れていた角屋の老従業員を見つけると7日間の営業停止を申しつけ、さらに破壊の限りを尽くして2階へと戻ってきました。そして、土方達を見かけると大笑いをし、これほど愉快な事はない、平素気に入らない徳衛門(角屋の主人)に対して鬱憤を晴らす事が出来た、これから町奉行所に行ってくると言い残して去って行ったのでした。」
「ここに描かれた芹沢は酒乱と言うより狂人と呼ぶに近く、土方ならずとも近い内に自滅すると予測が付きます。芹沢の酒乱については、一説に依れば彼が梅毒患者であった事に由来すると言われます。草野剛三が維新後に残した証言の中に、芹沢は瘡が出来て悩んでおり、病気だから京都に残したのだとあるのですが、これが芹沢=梅毒患者説の根拠になっています。芹沢はその病気の辛さから逃れるために酒に走り、ついには酒に溺れてしまったと言うのですね。」
「さらに穿った説では、芹沢は末期の梅毒患者であって脳を冒されており、既に正気を失っていたというものまであります。そのくらいの解釈をしたい乱行ぶりではありますが、草野の証言からそこまで断定するのは少し無理があると思います。芹沢の病気についての記録はこの証言の他には無く、また瘡が出来る病気は梅毒に限った事ではないでしょうしね。しかし、彼の酒の上での乱行は他にも記されており、酒乱であった事は間違いない様です。」
「この事件の舞台となった角屋は島原に現存しており、角屋もてなしの文化美術館として公開されています。芹沢が付けた刀傷も残っているとの事で、一見の価値は十分にあると思います。ただし、公開は通年ではないので訪れる時には注意が必要です。
開館期間 3月15日~7月18日、9月15日~12月15日
開館時間 午前10時~午後4時
休館日 月曜日(祝日の場合翌日)
入館料 一般1000円、中・高生800円、小学生500円(2階の特別公開料金を除く)
また、2階の特別公開の間の兼学には、電話による事前の申し込みが必要です。」
以下、明日に続きます。
考文献
新人物往来社「新選組銘々伝」、子母澤寛「新選組始末記」、永倉新八「新撰組顛末記」、木村幸比古「新選組日記」
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