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2007.01.30

新選組血風録の風景 ~芹沢鴨の暗殺その5~

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(壬生・前川荘司邸 )

「新選組血風禄には最初の募集で隊士が約100名集まり、その編成が出来たのは文久3年の初夏の頃だったとあります。これは子母沢寛の「新選組始末記」の記述に基づいており、さらに元を辿れば永倉新八の「新撰組顛末記」に行き着きます。それは新選組第一次編成と呼ばれる体制で、次の様な組織でした。

(局長)
芹沢鴨
新見錦
近藤勇

(副長)
山南敬助
土方歳三

(副長助勤)
沖田総司
永倉新八
原田左之助
藤堂平助
井上源三郎
平山五郎
野口健司
平間重助
斎藤一
尾形俊太郎
山崎蒸
谷三十郎
松原忠司
安藤早太郎

(調役監察)
島田魁
川島勝司
林信太郎

(勘定方並小荷駄方)
岸島由太郎
尾関弥兵衛
河合耆三郎
酒井兵庫

ここに掲げたのは幹部の名前であり、この他に役職に就かない平隊士が相当数居たものと思われます。ただし、総勢100人も居たのかどうかは疑問で、この2ヶ月後に起こった8.18の政変の時に出動した隊士は52名となっており、実数はその程度ではなかったかと思われます。」

「また小説では3月に会津藩に残留を届け出た後、すぐに新選組という名の看板を掲げたとありますが、新選組と名乗ったのは8.18の政変の後の事でした。この頃には、壬生浪士組又は精忠浪士組と名乗っていた様ですが、はっきりとは決まっていなかった様です。「新選組!」では、芹沢派が「精忠浪士組」、近藤派が「壬生浪士組」にそれぞれこだわり、子供じみた争いをする描写が面白かったですね。」

「小説においては最初から対立を含んでいる芹沢と近藤の両派ですが、実際は少し違っていた様です。浪士組を結成した頃の近藤は芹沢の水戸思想に強く惹かれていた様子で、芹沢にかなり入れ込んでいた形跡があるのです。実は、近藤の芹沢かぶれを心配した土方が、同郷の先輩である井上松五郎(井上源三郎の兄)に、近藤が天狗になってしまったと相談を持ちかけた事がありました。「天狗」とは増上慢という意味ではなく水戸天狗党の事を意味し、近藤が芹沢に影響されて天狗党寄りになってしまったと不満を漏らしているのですね。以前にも紹介しましたが、浪士文久報国記事に「浪士組の隊長には特に芹沢を選んだ」とある様に、初期の近藤は芹沢を崇拝していた気配が窺えます。故郷に当てた手紙でも、「芹沢鴨と申す仁、拙者と共に隊長相勤め」とあり、芹沢を立てる書き方をしていますしね。」

「近藤と言えば、武士になりたいと願った百姓であり、剣の腕は立つが頭脳的な事は苦手で、幕臣に取り立てられるまでのお膳立ては、全て土方に任せていた人というイメージがあります。これは他ならぬ「新選組血風禄」と「燃えよ剣」の2作で形作られたイメージかと思いますが、実際には思想家としての側面を強く持つ人物だった様です。」

「彼の残した手紙から読みとれる初期の行動原理は、すべて彼の持つ尊皇攘夷思想に基づいていました。浪士組に参加したのも、京に残って新選組を結成したのも、すべては尊皇攘夷を実現するために取った行動でした。彼に従った山南や永倉達はその思想に共鳴した同士であり、新選組とは尊皇攘夷の実現のために近藤の下に集まった思想集団だったのです。」

「ただし、近藤の学問は誰かに師事して学んだという訳ではなく、いわば自得に近いものでした。それだけに本物の学問を持つ人物に対する憧れが強く、初期には芹沢鴨、後には伊東甲子太郎と手を組んだのは、そういう心理が働いたのではないかという気がします。隊士の中で武田観柳斎や尾形俊太郎を重用したのも、同じ流れからだったのではないでしょうか。」

「当初は芹沢に傾倒していた近藤でしたが、時間の経過と共に芹沢から離れていった様です。この理由はよく判りませんが、京都における過激派志士との思想的対立が影響しているのかも知れません。芹沢は言うまでもなく天狗党の流れを汲んでおり、その点では京都の過激派志士との接点は多かったはずです。ところが彼等の取る行動はことごとく侮幕なものであり、幕府を第一に考える近藤の思想とは相容れないものがありました。過激派志士との対立が明確になればなるほど近藤は芹沢から離れざるを得ず、ついには粛正を決意するまでに至ったのかも知れません。」

「このあたり、芹沢の心境はどんなものだったのでしょうか。芹沢にすれば、清河が浪士組を支配した様に、壬生浪士組を天狗党の影響下に置き、京都における過激派志士達と連携するつもりだったのかも知れません。ところが、壬生浪士組が会津藩御預かりとなり、その経費まで会津藩に負担して貰う様になると、過激派志士達からは裏切り行為と見なされる様になります。一方、隊内では自分に傾倒していた近藤が距離を取り始め、組織自体も幕府の下部組織として成長して来ました。芹沢としては天下に身の置き所が無くなり、ついには自暴自棄の行動に走ったのではないかという気がしています。」

以下、明日に続きます。

考文献
新人物往来社「新選組銘々伝」、子母澤寛「新選組始末記」、永倉新八「新撰組顛末記」、松浦玲「新選組」

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