新選組血風録の風景 ~油小路の決闘その7~
(新選組血風録概略)
伊東を倒した大石等は、死体を七条油小路の辻にまで運び、そこに捨てました。やがて、辻々の影から新選組隊士が現れ、その数は40人に上ったと言います。彼等は鎖を着込んだ上に鉢金を被り、完全な戦闘態勢でした。そして各組長の指揮の下に四方に散り、あたりの軒かげ、家の土間などに潜みます。やがて伊東の死体を収容来るであろう御陵衛士達を待ち伏せまるためでした。
半刻ほど経った頃、町役人が伊東の死体を見つけ、それが御陵衛士の頭取であることを知ると、月真院の本営に通報しましす。
「上の写真は現在の七条油小路の様子です。当時とは七条通の道幅が大きく変わっており、ここが事件のあった四つ辻だと言われててもピンと来ません。当時の道幅は油小路通と大差はなく、おそらくは今の道路の1車線分ほどではなかったかと思われます。
本光寺からこの四つ辻まではおよそ100mの距離なのですが、その間を、小説にある様に、死体の襟髪を掴んで引きずっていったとすれば、なんともおぞましい光景だった事でしょうね。」
「月真院に知らせたのは、油小路の町役人だったとされています。彼等は巡邏中に偶然伊東の死体を見つけ、菊桐の定紋が入った提灯を見て倒れているのが御陵衛士の伊東だと判断したと従来は説明されてきました。しかし、新選組が罠を仕掛けたにしては、町役人が見つけるまで待つというのは悠長に過ぎます。
この事について、浪士文久報国記事には、通りにある馬屋の別当を町役人に仕立てて高台寺に知らせたとあります。ここでいう別当とは馬丁の事で、馬を世話する店の従業員に対して、町役人になりすまして高台寺に知らせに行く様にと命じたと記されているのです。これについての裏付けとして、新選組の金銀出納帳の慶応3年11月19日(事件の翌日)の支出の欄に、「七条一件に付き、下男ども遣わし」として一両を使った事が記されています。つまり、新選組は場丁を一両で雇って、月真院へと使いに送ったという訳ですね。これならば、わざわざ伊東の死体を運んで囮にした事とも辻褄が合いそうです。」
(新選組血風録概略)
知らせを受けた月真院では、当夜は7人が居合わせていました。今後の善後策として、
「知らぬ仲では無いので、礼を尽くして(伊東の死体を)受け取ってくればどうか。」
と言ったのは三木三郎。それを遮って、
「無駄だ。我々7人の死体が並んだところで戦が終わる。」
と言ったのは服部武雄。
その服部が具足櫃を持ってきたのを見て、
「路上で具足を着て死んでは、後日臆病者のそしりを受ける。どうせ死ぬなら、素肌が良い。」
と止めたのは篠原。
一同は篠原の声に賛同し、羽織の下にたすき掛けをしただけの支度で、油小路へと出かけていきます。
月が煌々と道を照らす中、緊張と寒さで震える御陵衛士達。
「たった7人で40人に向かって斬り込むなど、かつてなかった事だ。」
と言ったのは藤堂平助。
「当夜、月真院に居たのは、三木三郎、篠原泰之進、加納道之助、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助、富山弥兵衛の7人でした。
他の御陵衛士達のうち、
阿部十郎と内海次郎の二人は小椋池に鳥打ちに出かけていた
新井忠雄は同士募集に行った江戸からの帰り道
清原清は伊勢に出張中
のため、それぞれ不在でした。
残る中西登についてはよく判っていません。阿部十郎は彼を同士を殺した裏切り者とまで言っているのですが、詳細は不明です。また、資料によっては橋本皆助が当夜居合わせたとするものもありますが、彼はこの時期には既に陸援隊に移籍しており、月真院には居なかったものと思われます。」
「篠原が服部が武装しようとするのを止めて素肌(平服)で行こうと言ったのは、彼の日記に記されているところです。実際には服部一人だけが鎖を着込んで行った様ですが、他の6人は篠原の言に従って平服のまま現場に向かっています。
私が篠原をどうにも好きになれないのはこの下りがあるからで、どうせ死ぬのだから武装などは無用だと格好を付けた割に、彼は現場に踏みとどまることなく逃走しています。結果として御陵衛士からは3人の犠牲者が出る訳ですが、篠原が余計な事を言わなければまた違った経過を辿ったろうにと思うと残念でなりません。
篠原のためにあえて穿った見方をしてやれば、彼は武士の意地に賭けてもここは一戦はしなければならない、しかし、多勢に無勢である事から抵抗するだけ無駄とも判っていました。そのため、包囲を破って脱出するには、なまじ重い武装をするよりも、軽装の方が逃げやすいと、そこまで考えての発言だったというのなら判らなくもないのですけどねえ...。」
以下、明日に続きます。
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