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2007.01.14

新選組血風録の風景 ~油小路の決闘~

数ある新選組の小説の中でも、最も人気の高い作品の一つが司馬遼太郎氏の「新選組血風録」でしょう。現在の新選組ファンは大河ドラマ「新選組!」から入った方も多いと思いますが、それ以前の新選組のイメージを決定付けたのはこの作品と「燃えよ剣」の2作品だったと言っても過言ではありません。私の最も好きな愛読書の一つであり、これまで何度となく読み返してはその世界に浸っています。

実は以前からこの小説の世界を写真で再現してみようと、その舞台となった場所を撮り貯めていました。そして、どうにか記事としてまとめられるところまで来ましたので、これから順次アップして行こうと思います。ただし、定期的にアップしていくかどうかまでは未定でして、出来るものなら15ある作品を1年かけて紹介出来れば良いなと思ってますが、果たしてどうなるでしょうか。

記事としてまとめるにあたっては、著作権の関係がありますので小説からは舞台設定を紹介する程度に止め、本文の引用はいたしません。ですから、出来れば「新選組血風録」を手元に置いて見て頂ければ判りやすいかと思います。また、作品中に描かれている隊士の紹介や事件の背景などもアップして行こうと思いますが、記述の誤りや新しい情報についてなど、お気づきの点についてご指摘頂ければ幸いです。

「新選組血風録」は言うまでもなく小説であり、史実を記録した史書ではありません。従って舞台の設定や登場人物には架空のものが多く登場しますが、かと言って全てが空想に基づくものではなく、ベースとなる資料が存在しています。それが子母澤寛氏が著した「新選組始末記」であり、この小説が書かれた昭和37年当時においては、新選組の全てを網羅したバイブルの様に思われていました。それゆえ、作品中に描かれた人物像あるいは事件の展開などについては、「新選組始末記」の記述に沿ったものが多く見受けられます。ところが、その後の研究により「新選組始末記」もまた子母澤氏が取材した事実に基づいて創作した一種の小説であり、その内容には虚構も多く含まれている事が知られる様になっています。いわば、「新選組血風録」は虚構の上に虚構を重ねた様なもので、その作品について史実云々を言っても仕方が無い様にも思いますが、ここでは出来るだけ小説の趣意に沿いつつ、手持ち地の資料を基に事件の背景などを紹介したいと考えています。また合わせて、舞台となる京都の街の紹介も出来ればとも思っています。

それでは小説の順番に従って、「油小路の決闘」から始めます。

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「油小路の決闘」は、篠原泰之進の休息所から始まります。場所は東寺の塔を見上げる九条村の百姓家で、篠原は妾のおけいと一緒に暮らしていました。

篠原には耳をたらいで洗うという妙な癖があり、中耳炎になる事を心配したおけいがこれを止めようとしますが、篠原は子供の様な仕草で拒絶し、どうしても言う事を聞来ません。

慶応2年3月30日朝、篠原は明日の夜に伊東甲子太郎が来るので、豚鍋の用意をしておく様にとおけいに言い捨てて出かけていきます。


「写真は現在の東寺界隈の様子です。南大門の前に国道1号(九条通)が通るという交通の要衝で、周辺はほとんど市街化しています。幕末の頃には通り名の数え歌に「九条大路で止め差す」とある様にまさしく京の果てであり、東寺より南には田畑が広がっていました。

九条村で有名なのは九条ネギですね。太さはや大きさは根深ネギに似ていますが、全体のほとんどが緑で白い部分が少なく、葉の部分を食べる葉ネギと呼ばれる種類に属します。京野菜の一種でもありますが、この九条村周辺が主産地とされています。実は現在でもこの付近で栽培されており、東寺の周辺を歩くと住宅街の中に残った畑で栽培されている九条ネギを見る事が出来ます。」


「篠原に耳を水で洗うという癖があったというのはどの資料にも記述が無く、司馬氏に依る創作ですね。後に篠原は中耳炎が元で死んだともありますが、実際には84歳という年齢から来る自然死だった様です。どうやら篠原が性格の中に子供っぽい部分を残している人物である事を表現するための仕掛けの様ですが、こうした癖を描く事で人物像を作り上げていく手法は、司馬氏の小説の中では数多く見受けられますね。
(と書いてしまいましたが、中耳炎で亡くなった事は新選組始末記に記述がありました。とすると、この記述を元に司馬氏が水で耳を洗うという癖を創作したと言うのが正しいのかも知れません。平成19年1月15日追記。)

豚鍋については、新選組始末記に、西本願寺の屯所において、隊士達が猪鍋を好んで食べたという記述があります。寺において獣肉を食べるのは最も禁忌とされる事で、西本願寺では何よりも迷惑に思ったとあり、この小説においても京女であるおけいが豚を好む篠原に閉口するという描写がされています。」

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この日篠原が出かけた先は清水寺祇園でした。祇園はまたおけいと出会った場所でもあり、おけいは祇園のお茶屋でお膳を運ぶお運びをしていたところを篠原に身受けされたとあります。

「血風録には祇園が多く登場します。幕末の頃の祇園町のほとんどは四条通の北側にあり、現在最も祇園らしいと言われる南側は大半が建仁寺の境内でした。そしてこの一力亭の様に、わずかに四条通に面した部分にだけお茶屋街が並んでいた様です。

現在の一力亭の玄関は花見小路に面していますが、江戸時代には四条通に面していました。そもそも、花見小路が出来たのは明治になってからの事であり、祇園町の発展のために建仁寺の境内が公収され、利便の為に南北に貫く道が付けられたのです。そしてさらに四条通に電車が走るに際して通が拡幅され、一力亭もまた敷地が削られたために玄関の位置を花見小路側に変えたという次第です。」

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篠原は祇園で鈴木三樹三郎と昼酒を飲み、輝く様な夕陽に照らされた三条大橋へとやって来ます。三樹三郎はほとんど泥酔しており、橋上で三人の脱藩浪士達にいきなり喧嘩をふっかけ、斬り合いになってしまいました。ところが、三樹三郎は新選組の伍長にも係わらず剣技は未熟であり、たちまちの内に危機に陥ってしまいます。そこで少し遅れて歩いていた篠原が助太刀に入り、一人の腕を切り落とし、残る二人も蹴散らしてしまいました。しかし、悪い事にその時背中に刀傷を負ってしまったのです。

「鈴木三樹三郎とは伊東甲子太郎の弟で、新選組に居た当時は三木三郎と名乗っていました。作品中では伍長とあるのですが、実際には入隊の翌年に九番組長に任命されています。その後すぐに諸士取調役兼監察に降格されたとも言われていますが、実態ははっきりとしていません。

作品中では酒にだらしのない人物として描かれていますが、実際にも大酒家で、新選組入隊以前に酒癖の悪さから養家先から離縁されたという履歴を持っています。また剣技についてはよく判っておらず、兄とは違う神道無念流を学んだ事だけは確かですが、どれたけの腕の持ち主だったかは記録にありません。作品中の三木三郎は、こうした事実に基づいて設定されたものなのかも知れないですね。

新選組における事績はほとんど伝わっておらず、わずかに大阪に出張して天満宮の宮司達と祭りの挙行について話し合ったという記録だけが残されています。その際の三木三郎の応対について、非常に丁寧で親切だったと記されており、彼の人柄を偲ばせるものとされています。やはり武の人というイメージとは程遠い人ではある様ですね。

なお、鈴木三樹三郎と改名したのは慶応四年になってからの事です。」

以下、明日に続きます。


参考文献
新人物往来社「新選組銘々伝」「新選組資料集」「新選組の謎」、光文社文庫「新選組文庫」、子母澤寛「新選組始末記」、歴史読本平成9年12月号「幕末最強新選組10人の組長」、河出書房新社「新選組人物誌」

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コメント

私は「新撰組!」から入った人間で、司馬遼太郎氏の「新選組血風録」も読んでいませんが、小説の跡を辿るという企画、面白いと思います。
今後の展開が楽しみです。


投稿: ヒロ子 | 2007.01.15 19:05

ヒロ子さん、コメントありがとうございます。
ずっと暖めていた企画ではありますが、
実際に始めて見ると思っていた以上に大変そうです。
始めたばかりでいきなり弱気になるのもどうかと思うのですが、
本文を引用しないでどれだけの人に判って貰えるのかと疑問に思えてきました。
しかし、著作権を考えるとどうしようも無いのですけどね。

とは言いつつ、走り始めた以上、とりあえず続けていく事にします。
なかなか判りにくいかも知れませんが、おつきあい願えたらありがたいです。

投稿: なおくん | 2007.01.15 23:59

新選組血風録の新企画、これからがとても楽しみです!
1年かけて紹介し終わったら、1冊の本にまとめたら素晴らしいですね。

伊東甲子太郎……このたび結婚を発表した谷原章介の顔が浮かびます(^^)。

江戸時代のお話をたどって「現場」を撮影しても、当時の情景につながるところが京都のいいところですね。
例えば、東京にて「鬼平」で同じことをしても、何の風情もない街の写真ばかりになりそうです。

末筆ながら、3周年おめでとうございます。

投稿: Tompei | 2007.01.18 15:23

Tompeiさん、コメントありがとうございます。

新企画と言いながら、始めたばかりなのに四苦八苦しています。
どうしても以前に書いた内容と重複しますし、
どうやって新味を出そうかと悪戦苦闘中です。
ましてや、一冊の本にまとめるなんて、そんな大それた事は考えていません。
下手をすると著作権に絡んで来かねませんし...。

そう、偶然ながら谷原章介さんの話題はタイムリーでしたね。
おめでたい話ではあるし、
ドラマの中の伊東甲子太郎が蘇る様な気がしてなんだか嬉しいです。

Tompeiさんは、江戸検定に合格されたほどの江戸通ですよね。
いつか東京に残る新選組の史跡を見て歩けたらと思ってます。
その時にはまた江戸の情報を教えて下さいね。


投稿: なおくん | 2007.01.19 01:03

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