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2007.01.20

新選組血風録の風景 ~油小路の決闘その6~

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「伊東甲子太郎が襲われたのは慶応3年11月18日の事で、近藤の妾宅からほど近い木津屋橋通の路上においてでした。木津屋橋通は京都駅前を東西に走る塩小路通の一つ北の筋にあたり、その名は堀川に掛かっていた木津屋橋に由来するとも、材木を運ぶ船着き場があったからとも言われています。

新選組血風録では伊東がその木津屋橋を東に渡ったとあるのですが、当時の地図を見ると堀川が流れていたのは近藤の妾宅の西側であり、東山に帰る伊東がこの橋を渡るはずはありません。伊東殺害の場面に詳しい「新撰組始末記」には木津屋橋通を東に入ったとだけ記されており、司馬氏がわざわざ橋を渡ったと書いたのは小説技法上の演出という事なのでしょう。」

「伊東が襲われた場所は現在の堀川通から少し東に入ったところとされ、概ね上の写真のあたりになります。ご覧の通り今は静かな住宅街になっており、とても惨劇があったところとは思えないですね。この右手から槍が突き出されたのでしょうけど、現地に立ってその情景を想像すると、ちょっと怖い気がして来ますよ。

写真の中央に「止まれ」の路上標示があるところが、木津屋橋通と油小路通との交差点になります。伊東は重傷を負いながらもこの道を歩き、交差点を左に曲がって少しの所にある本光寺にまでたどり着いたとされています。距離にすればおおよそ50mほどでしょうか。」

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「伊東は、本光寺の門前にあったこの石塔に倒れ込み、「奸賊ばら!」と叫んで息を引き取ったと伝えられます。現在の本光寺の門前には伊東甲子太郎他数名殉難之跡と記した石碑が建っており、この南無妙法蓮華経と記された石塔は門内に移されています。しかし、門の脇にあるチャイムを押せば寺の人が応対に出て下さり、中に入って見る事が出来る様になっています。話には聞いていましたが見るのは始めてで、実際に目の前にすると何かぐっと来るものがありましたよ。

本光寺には、「新選組!」が放映されていた頃はかなりの人数が押し寄せて、大いに賑わったそうです。そして、少なくなったとはいえ、今でも訪ねてくる人はやはり後を絶たないという事でしたので、新選組の人気はまだまだ廃れてはいない様ですね。」

「本光寺で聞いた話に依れば、大河ドラマの撮影に先立ち、伊東甲子太郎を演じた谷原章介と、藤堂平助を演じた中村勘太郎が、二人で連れ立ってお参りに訪れたそうです。その時の写真も見せてもらいましたが、「功名が辻」の川上隆也と仲間由紀恵と同じく、役者はこういうお参りは欠かさないものの様ですね。谷原章介は後でもう一度訪ねて来たそうで、伊東役に対する入れ込み方は相当なものがあった様です。」

「もう一つのエピソードとして、「新選組!」で本光寺が紹介された際に門前を通る通行人が写っていたのですが、その役を演じたのがこの寺の奥さんだったそうです。ただ門前を通り過ぎるだけの事だったのですが、何度も撮り直しを指示されて、結構大変な目に遭ったのだそうですよ。間もなくBSハイビジョンで「新選組!」の再放送が行われますが、興味のある人は第43回「決戦!油小路」の回に注目しておいて下さい。」

以下、明日に続きます。

参考文献
新人物往来社「新選組銘々伝」「新選組資料集」、光文社文庫「新選組文庫」、子母澤寛「新選組始末記」

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