« 京都・洛東 本因坊の寺 ~寂光寺~ | トップページ | ドイツクリスマスマーケット ~新梅田スカイビル~ »

2006.12.10

一豊と千代が眠る寺 妙心寺塔頭・大通院 ~功名が辻~

Daituuin0612101_1

一年間に渡って山内一豊・千代夫妻の生涯を描いてきた大河ドラマ「功名が辻」も、いよいよ最終回を迎えます。その最後にあたって紹介すべきは、やはり二人の霊が眠る大通院を措いて他には無いでしょう。

現在では土佐の太守・山内家の菩提寺として知られる大通院ですが、意外な事にその開基は一柳直末という豊臣政権下の一大名でした。直末は一豊の同僚とでも呼ぶべき人物で、ドラマにこそ出てきませんでしたが、共に豊臣秀次の宿老を勤めたという経歴の持ち主です。当時の石高は美濃で三万石を領しており、この点でも長浜で二万石を領していた一豊とほぼ同格ですね。この直末が1586年(天正14年)に妙心寺第五十八世南化国師を開山に迎え、開創したのが大通院の始まりとされています。この寺を前の大通院と呼び、現在の大通院と区別している様ですね。

Daituuin0612105_1

一豊夫妻は、この南化国師に帰依するところが深く、国師から禅の教えを受けていました。ドラマにあった様に、一豊と千代はその義子である「拾」を後継者争いの渦に巻き込まない様にと出家させるのですが、その預けた先が国師の居るこの大通院でした。「拾」は南化国師の下で修行に励み、後に湘南国師と呼ばれる迄に大成しています。そして大通院の二世となり、以後この寺は山内家の菩提寺となったのでした。これを後の大通院と呼ぶ様です。

Daituuin0612102_1

現在の大通院の境内に残る霊屋(みたまや)は、千代の17回忌(1633年(寛永10年))に、湘南国師が建立したものです。その内部には、写真の様に一豊夫妻の無縫塔が並んでいます。無縫塔とは禅僧の墓石に用いられる形式なのですが、二人が生前から禅宗に帰依していた事によるものとされています。右が一豊の墓で左が千代の墓なのですが、一説に依ると千代の墓石の方が大きいそうですね。これは一豊夫妻の力関係を表しているとも言いますが、果たしてどんなものなのでしょうね。

背後には二人の戒名を刻んだ位牌が安置されています。千代の戒名は「見性院殿潙宗紹劉大姉」であり、この法名からこの霊屋は「見性閣」と呼ばれています。また、一豊の戒名は「大通院心峰宗大居士」と言い、この寺の名の由来になったと言いますが、すると以前の名称は何だったのでしょうね?

千代はこの石塔の下に眠り、先に亡くなった一豊は土佐にある墓から分骨をして千代の隣に葬られています。夫婦二人が仲良く並ぶ墓は、大名としては珍しい存在なのだそうですね。それだけ山内家にとっては、千代の存在が大きかったという事なのでしょう。

Daituuin0612106_1

境内には大河ドラマの主役の二人である川上隆也と仲間由紀恵が、一豊夫妻を演じるにあたって参拝に訪れた際のパネルが掲示してありました。時代劇を演じる俳優は、こういうところを必ずきちんと押さえる様ですね。ちなみに、川上隆也はこの後も大通院を訪れたそうなのですが、本人が名乗るまではだれもそうとは気付かなかったそうです。いくら何でもと思いますが、やっぱり一豊公の影はどこまで行っても薄いままなのかなあ...。

Daituuin0612108_1

現在の大通院は、本堂の他に見性閣と墓地がある程度なのですが、かつては妙心寺の塔頭群の中でも一・二を争う大寺でした。その庭も都林泉名所図絵に依れば非常に広大なもので、湘南国師が各地の奇岩奇木を集めて山水の景勝を形作ったという名庭でした。しかし、残念な事に、明治維新の際の廃仏毀釈のあおりを受けて書院などの殿舎は破却され、庭石は平安神宮の庭園の造営の為に持ち去られたという事です。

Daituuin0612103_1

大通院を訪れたのは平成18年12月9日の事で、名残の紅葉がまだありました。折からの雨で散ったもみじの葉が綺麗でしたよ。ここの紅葉も盛りの頃には、さぞかし見事だった事でしょうね。

Daituuin0612107_1

本堂の前では、寒ボケが花を咲かせていました。いかにも冬に咲く花らしく、淡淡とした色合いですね。これから春まで、冬枯れの景色の中で、貴重な彩りとなって咲き続ける事でしょう。

大通院は普段は非公開寺院なのですが、現在は特別公開期間中であり、平成18年12月17日まで拝観が可能です。拝観料は600円、拝観時間は10時から16時までとなっています。大河ドラマの締めくくりとして、一度訪れてみられてはいかがでしょうか。


|

« 京都・洛東 本因坊の寺 ~寂光寺~ | トップページ | ドイツクリスマスマーケット ~新梅田スカイビル~ »

功名が辻」カテゴリの記事

コメント

山内家の菩提寺が妙心寺にあったのですか( ..)φメモメモ

歴史にも疎いので勉強になりますわヾ(^^;)
京都を知れば知るほど奥が深くて
京都にハマります(^◇^)

投稿: Milk | 2006.12.10 19:15

Milkさん、コメントありがとうございます。
大通院にはもう少し早く行きたかったのですが、なかなか機会がなく、
なんとか大河ドラマの最終回に間に合わす事が出来ました。
ご存じのとおり、京阪沿線に住んでいると洛西は遠いのですよね。
大通院ははっきり言って見性閣以外は見るべきものが少なく、
一豊と千代が大河ドラマの主人公に取り上げられなければ、
まず注目される事は無かったでしょう。
反対に、このドラマにはまったという人なら、是非見ておくべき場所だと思います。
千代と一豊の墓が仲良く並んでいる光景は、やはりこの二人ならではのものですからね。
普段は非公開ですが、門の外からでも見性閣の外観だけなら見る事は出来ますよ。


投稿: なおくん | 2006.12.10 21:38

特別公開は2月17日まで、ですか・・・残念・・・。

土佐の国主なのに菩提寺が京にある、というところに、昨夜は少し違和感を感じました。晩年千代さんは京に住んでいたし、拾君もいたから、理解はできるのですが。

投稿: ヒロ子 | 2006.12.11 17:38

ヒロ子さん、コメントありがとうございます。
功名が辻にはまっていたヒロ子さんには、是非見て頂きたかった寺院ですね。
このお墓を見ると、仲の良かった二人の在りし日が彷彿とされて、
ドラマのシーンが蘇る様でした。
菩提寺が遠く離れてあるというのは、確かに不自然ですよね。
以下推測ですが、菩提寺を京都の本山寺院に持つという事は、
当時のステータスシンボルだったという事もあるかもしれません。
大徳寺の塔頭なんかは、ほとんどが流行に乗った大名絡みですからね。
山内家もその流れに乗って、
拾の居た妙心寺山内に菩提寺を定めたのかも知れないですね。

投稿: なおくん | 2006.12.11 22:27

高雄の帰りに功名が辻ブログを一緒に書いていた
仲間と共にここを訪れたのですが、わずかに公開時間が
過ぎていて中に入れませんでした。(涙)
でも門の外から紅葉の様子はわかりました。
人が少なくなった妙心寺の境内をゆっくり歩くのも
良いですね。

投稿: しずか | 2006.12.13 22:40

しずかさん、コメントありがとうございます。
功名が辻ブログはずっと拝見させて頂きました。
とても濃い内容で、読み応え十分でしたよ。
もしかしたらドラマと共に終わってしまうのでしょうか。
だとしたらちょっと残念ですね。

大通院に入れなかったのは惜しかったですね。
二人が眠る見性閣は、さぞ見たかった事でしょう。
またいつか公開される事もあると思いますので、
今度は機会を逃さず二人の墓にお参りしあげて下さい。

投稿: なおくん | 2006.12.13 23:06

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14874/13011108

この記事へのトラックバック一覧です: 一豊と千代が眠る寺 妙心寺塔頭・大通院 ~功名が辻~:

« 京都・洛東 本因坊の寺 ~寂光寺~ | トップページ | ドイツクリスマスマーケット ~新梅田スカイビル~ »