京都・洛中 駒止地蔵 ~蓮光寺~
世継地蔵のある上徳寺の近くに、長曽我部盛親の墓がある蓮光寺があります。住所で言えば、「富小路通六条上る本塩竈町」となりますから、上徳寺と同じ町内とも言えますね。
蓮光寺は、1492年(明応元年)に天台宗の寺として開創されました。当初は新町高辻の地にあり、高野山の苅萱堂を模した事から、萱堂と称していたと言います。その後、1591年(天正19年)に豊臣秀吉の命で現在の地に移り、玉譽光順上人によって浄土宗に改められています。そして、盛親と親交があったという二世順譽蓮光上人のときに、寺号を蓮光寺と改称しました。
蓮光寺は「負別山」(ふべつさん)と号しています。何のことだかすぐには意味が判りかねるのですが、これは御本尊の「負別如来」(おいわけにょらい)の由緒に由来しています。
この御本尊は仏師快慶の作とされているのですが、始めは東国の寺からの依頼で彫られた仏像でした。しかし、あまりに会心の出来であったために一旦は引き渡したものの手離すのが惜しくなり、引き取りに来た東国の僧の後を追って、山科の追分にまで来ました。そこで追いついた快慶は相手に訳を言い、引き取って帰ろうとしたのですが、その時、突然仏像を入れた笈が輝きだし、辺りに紫雲が漂います。不思議に思って笈の蓋を開けてみると、中の仏像が瓜二つの二体の仏像に別れていました。そこで、それぞれが一体づつを背負い、東と西に持ち帰ったのです。この奇瑞からこの仏像を「負別如来」と称し、この仏像を本尊としたこの寺を「負別山」と号する様になったのでした。
ちなみに東国に行った仏像は「笈分如来」と称し、今でも仙台市の阿弥陀堂に安置されているそうです。何だか、「日本昔ばなし」にでも出てきそうな話ではありますね。
また、この寺には「駒止地蔵」が祀られています。この地蔵は弘法大師作と伝えられ、六条河原の刑場に祀られていたと言われます。一時、鴨川の氾濫によって埋もれてしまっていたのですが、1158年(保元3年)に近くを通った平清盛の乗馬が急に動けなくなったので、あたりを掘ってみると、この地蔵尊が出て来ました。以来、駒止地蔵尊と呼ばれ、信奉を集めるようになっています。また、盗賊に襲われた信奉者の身代わりとなって首を切られたという伝説もあり、首切り地蔵とも呼ばれています。
この駒止地蔵は昨年の大河ドラマ「義経」の義経紀行で紹介された事もありますので、覚えている方も多いのではないでしょうか。
興味深い寺伝と御本尊、駒止地蔵、長曽我部盛親の墓と、見所が沢山ある蓮光寺ですが、訪れる人はあまり居ない様です。ホームページはあるものの、観光化の波には乗っていない様ですね。一見して入りにくい門のせいもあってか、中はとても静かな境内が広がっています。物思いに耽るにはもってこいの環境とも言え、歴史好きな人にはお勧めの寺だと思いますよ。
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