京都・洛中 巴の庭 ~本法寺~
寺之内界隈には、素敵な花や素晴らしい庭があるのに、なぜかあまり世に知られていないという寺が幾つも存在します。この本法寺もその一つで、「巴の庭」という名庭を持ちながら、観光コースからは全くと言って良いほど外れてしまっている寺です。
本法寺は日蓮宗の寺で、1436年(永享8年)に、東洞院綾小路の地において、日親上人によって開創されました。この日親上人という人は実に激しい人で、時の将軍足利義政の治世を非難し、さらには禅宗を捨てて日蓮宗に改宗する様に直談判を仕掛けたと言います。しかし、このことはかえって義政の逆鱗に触れてしまい、寺を焼かれた上に上人は投獄されてしまいした。義政の上人に対する怒りはすざまじく、焼けた鍋を頭に被せるという、ちょっと考えられないような刑罰をも与えています。それでも上人は屈することがなかったため、畏敬を込めて「鍋かむり上人」という別名で呼ばれる様になりました。
義政の死後日親上人は許され、御花園天皇から四条高倉の辺りに官地を賜って、1455年(康正元年)に本堂が再建されました。その後、寺域には変遷があって、一時は晴明神社のある場所に移転した事もあったようです。そして、1587年(天正15年)に豊臣秀吉の帰依を受け、現在の寺域と寺領千石を賜り、大寺と言って良い堂塔伽藍が整備されました。残念な事に、この頃の建物は天明の大火によってそのほとんどが失われており、現在見ることが出来る建物はその後に再建されたものです。
この巴の庭は、江戸時代初期の芸術家として知られる本阿弥光悦の作と伝わります。光悦の作とされる庭はここ以外には無く、本阿弥家と本法寺との深い関わりを物語っています。本阿弥家とこの寺の縁は日親上人の代にまで遡り、上人が投獄された時、同じ獄に光悦の祖父にあたる本光が繋がれていました。獄中で上人に帰依した本光は、本法寺の檀家となり、寺の再建に力を尽くすようになったと言います。その孫である光悦もまた、その父光二と共に私財を投じて伽藍を建立し、さらにはこの庭を築いたのでした。
「巴の庭」とは、この石組みのあたりに築かれた三つの築山が、過去・現在・未来を象徴し、三つ巴に渦を巻くとされるところから来ています。(この事から「三つ巴の庭」とも呼ばれています。)石組みは滝を象っており、縦に白い筋が入った青石が水の流れを表しているとされます。
庭の中央に丸い石がありますが、実はこれは半円形の石を二つ組み合わせたものなのですね。このため真ん中に筋が通っており、日蓮聖人の日の字を表したものとも言われます。そして、その背後にある蓮池と合わせて、「日蓮」と読ませるのだという説もありますが、いくら何でもそれはちょっと穿ちすぎの様ですね。
この蓮池は10本の切石で囲まれており、地獄界から仏界までの十界を表すとされています。実のところ、滝の石組みは樹木の陰になっていてあまり目立たず、予備知識が無ければこの蓮池が庭の中心の様に思ってしまう事でしょうね。
また、本法寺には、長谷川等伯が描いた「仏涅槃図」があります。この絵は早世した等伯の息子の供養の為に描いたものとも言われ、縦約8m、横約5.3mという巨大なものです。普段は写真複製したものが飾られており、毎年3月15日から4月15日までの間だけ本物が公開されます。私が見たのは複製の方ですが、とにかくその巨大さに圧倒されてしまいました。そして落ち着きを取り戻して子細に見ていくと、釈迦の入滅を悲しむ人や動物の姿が克明に描かれているのが判ってきます。これを本物で観賞出来れば、どんなにか素晴らしい事でしょうね。
本法寺には優美な多宝塔もあるのですが、残念ながら解体修理中で、その姿を見る事は出来ませんでした。また機会を設けて、紅葉の頃か、あるいは桜が咲く頃にもう一度訪れてみたいと思っています。
拝観料500円。
拝観時間 午前9時から午後17時まで。
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