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2006.09.10

伏見城遺構 豊国神社唐門 ~功名が辻~

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京都の東山、京都国立博物館の北隣に豊国神社があります。その名から連想されるごとく豊臣秀吉を祀った神社で、一般に「ホウコクさん」と呼ばれていますが、神社の名称としては「とよくに」と読むのが正しい呼称です。ちなみに、大阪城にある豊國神社は「ほうこく」と読むので、ちょっと混乱しそうですね。

秀吉は1598年(慶長3年)に63歳で亡くなった後、後陽成天皇より正一位の神階と豊国大明神の神号を賜ります。そして遺骸は遺命により阿弥陀ヶ峰の中腹に葬られ、その麓には壮麗な廟社が造営されました。この廟社が豊国神社の前身となる訳ですが、残念ながらこれは豊臣氏の滅亡後、徳川幕府の手によって破壊される事になってしまいます。徳川幕府にとっては前政権を連想させるものを残すのは都合が悪かったのでしょう、秀吉を葬った廟は跡地が平になるほどに破壊され、さらに秀吉の御霊は神号を奪った上で新日吉神社に移されてしまいました。その徹底した破壊ぶりから考えると、政治的配慮のみならず、家康は自分の上に君臨していた秀吉に対して激しい憎悪を抱いていたのかもしれないとも思えてきます。

時が遷り明治に至ると、秀吉は天下を統一しながらも幕府を開かなかった功臣として再評価され、豊国神社の再興が布告される事になります。そして、1880年(明治13年)に方広寺の跡地に社殿が再建され、別格官幣社として復興されました。また、廟についても阿弥陀ヶ峰の頂上に再建されています。このあたり、人の世の毀誉褒貶の移り変わりの激しさには、考えさせられるものがありますね。

現在の社殿の正面に聳える唐門は伏見城の遺構と伝えられているもので、二条城から南禅寺の金地院を経てここに移築されるという数奇な運命を辿ったとされています。安土桃山期を代表する建造物とされるだけあって、その大きさにも係わらず見るからに軽快な印象を受け、また随所に華麗な装飾が施された見事な門です。大徳寺、西本願寺の唐門と合わせて京都の三唐門とされており、この門を見るだけでもここを訪れる価値はあると言えるでしょう。

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現在では秀吉にあやかって出世開運の神様として慕われており、唐門には豊臣家の旗印であった瓢箪を象った絵馬が奉納されています。江戸期にはとても考えられなかった現象でしょうね。ちなみにこの絵馬は、一枚500円で奉納する事が出来ます。

すぐ隣には鐘銘事件で知られる方広寺もあり、豊臣家の栄枯盛衰を偲びに、合わせて訪れてみられてはいかがでしょうか。


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