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2006.09.15

京都・洛南 深草少将邸跡 ~欣浄寺~

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伏見大仏の寺として紹介した欣浄寺はまた、小野小町とのロマンスで知られる深草少将の邸宅跡と伝えられます。

稀代の美女小野小町に懸想した深草少将は、小町の愛を求めて執拗に迫りました。小町の答えは、百夜自分の下に通えば願いを叶えようというもの。少将は毎夜深草の地から小野里までの山越えの道を通い続け、遂に九十九夜を数えました。やっと念願の百夜目という日、折からの大雪に閉ざされた道の途中、少将は寒さのあまり凍え死んでしまったのでした。亡くなったのは813年(弘仁三年)3月16日の事とされ、彼の遺骸はこの地に埋葬されたと伝えられます。

悲恋の人深草少将は、実は伝説上の人物に近く、その本名も人となりもすべて謎のままです。しかし、ここ欣浄寺には少将ゆかりの遺構が幾つも残っており、彼の実在を訴えて止みません。その最たるものの一つがこの「深草少将張文像」。少将が小町から貰った恋文を焼いた灰を固めて作ったとされるもので、いかにも平安貴族らしい下ぶくれの容貌が生き生きと表現されていますね。

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少将の邸は桓武天皇から授かったとされ、往時は八町四方の広さがあったと言われます。今では数分の1までに狭くなってしまいましたが、境内には当時から続くとされる小さな池があります。この池にはその昔、小町が少将の邸に来遊した折りに、自らの美しい容姿を水面に映して、

「おもかげの変らで年のつもれかし よしや命にかぎりありとも」

と詠んだとという伝説があり、その事から姿見の池と呼ばれています。きっと当時はもっと大きな池だった事なのでしょうね。

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この井戸は少将遺愛と伝えられる「墨染の井戸」です。別名「少将姿見の井戸」、さらには「涙の水」と言われ、少将の流す涙の故か今でも枯れる事無く水が湧き出ているそうです。

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そして、境内に仲良く並んだ小町と少将の塚。小町の墓と伝えられる塚は他にも多数あり、この塚にどこまで信憑性があるかは判りません。恐らくは少将の悲恋を哀れみ、せめて塚だけでも寄り添わせてやろうという後世の人の思いやりなのでしょうね。

遠い昔の伝説の中の人物に過ぎなかった深草少将も、この寺の境内に佇んでいると確かに彼はここに実在したのだという気にさせられます。

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コメント

おはようございます、なおくん様

欣浄寺、本当に懐かしいです。
大学時代、ゼミ研究課題で調査致しました。
当時はお寺も自由拝観でして、蚊と闘いながら、古文献・古地図と照らし合わせておりました。
謡曲「通小町」の通り、欣浄寺から小野の随心院まで辿ってみたのです。

投稿: いけこ | 2006.09.19 10:02

いけこさん、コメントありがとうございます。
おお、そうなのですか。なんとも楽しそうな調査ですね。
私も出来れば少将になった積もりで、随心院まで歩いてみたいものだと思ってました。
いつの日か少将について、いけこさんに講義して貰いたいところですね。

投稿: なおくん | 2006.09.19 19:45

はじめまして。
古い記事にコメント失礼いたします。
私も京都の寺社をいろいろまわっております。
欣浄寺も参拝したことがあるのですが、事前に予約していかなかったので
伏見大仏さまは拝むことができなかったのです。
こちらで写真を拝見することができ
大変うれしく思っています。

深草少将の話も大変興味深く拝読させていただきました。

『尊卑分脈』によれば小野小町は小野篁の息子・小野の娘となっています。

小野篁の生没年802年~853年です。
小野良真は実在が疑問視されていますが実在していたと仮定して
篁16歳のときにできた子だとしても818年の生まれとなります。
良真16歳のときに小町が生まれたとしても、小町が生まれたのは834年となります。
すると、深草少将がなくなった813年にはまだ小町は生まれていないということになってしまいます。

深草少将の百夜通いは伝説にすぎず、また『尊卑分脈』も信憑性が低いのですが
深草少将の没年813年というのは、どういった史料に基づくものなのかな、と気になりました。

深草少将が亡くなったのが813年3月16日というのは
欣浄寺さんの寺伝にあるのでしょうか?

投稿: ちーこ | 2013.11.22 09:38

>『尊卑分脈』によれば小野小町は小野篁の息子・小野の娘となっています

尊卑分脈』によれば小野小町は小野篁の息子・小野良真の娘となっています

に訂正させていただきます。

すいません~。

投稿: ちーこ | 2013.11.22 09:41

ちーこさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

もうこの記事を書いてから7年にもなるのですね。
月日の経つ早さを実感してしまいます。

さて、深草少将の没年ですが、欣浄寺のパンフレットに書かれています。
ですので、もしかしたら寺伝として伝わっているのかも知れません。
また、ネット上の情報では、後松日記という資料にも書かれているとか。

深草少将については伝説上の人物とする説が強いようですが、
実のところどうなのか私にも良く判りません。
小野小町との整合性が取れないというのも、そのあたりに要因があるのかも知れませんね。

あまり良い回答が出来なくて申し訳ありません。

投稿: なおくん | 2013.11.22 18:43

わーーー、返事ありがとうございます~。
すっごい嬉しいです!

深草少将の没年はパンフレットと後松日記に書かれてあるのですね~。
教えていただいてありがとうございます。

それにしても古いことなのに、日付まで書かれてあってビックリしますね!

それに深草少将百夜通いの道を通ると訴訟にご利益があるとか、どうしてこんな伝説があるのかと興味しんしんなのです。

7年前の記事なんですねー。
すごく長くブログ続けておられるのですね~。

京都方面に旅行することが好きなので
検索すると、よくこのブログが出てきます。

詳細に書いてくださってるので、以前からよく参考にさせていただいてました♪

新しい記事も読ませていただきました。
紅葉の写真、きれいですね!
私も先週、詩仙堂・金福寺・円光寺に行ってきました。
金福寺の猫ちゃんとも遊んできました。


投稿: ちーこ | 2013.11.23 20:49

ちーこさん、

日付に関しては、元々伝説と言われる人物ですから、
どこまで信憑性があるかは判りません。
後松日記にしても原本に当たった訳ではないので、
信用出来る資料かどうかは未知数です。
でも、案外それなりに根拠のある事なのかもしれませんね。

訴訟に関しては、そこを通ると負けてしまうという言い伝えだったと思います。
やはり、あと一日で挫折してしまったというところから来ているのでしょうか。

長い間ブログをやっていますが、最近はもっぱら京都ブログに特化しています。
また旅行の折には、見に来て頂ければ幸いです。

投稿: なおくん | 2013.11.23 21:13

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