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2006.08.20

淀城跡 ~功名が辻~

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浅井長政とお市の方の娘にして、豊臣秀頼の母となった茶々。その通称である淀殿の名は、京都の南郊にある淀の地に城を賜った事からそう呼ばれる様になりました。

現在目にする事が出来る淀城は1623年(元和9年)に松平定綱によって築かれたもので、淀殿が居た城とは直接関係がありません。京都に対する押さえとして重要な役割を担ったこの城も、明治維新以後、城の建物は全て破却され、現在では堀と石垣の一部を残すのみとなっています。内部は児童公園があるだけで、荒れた感じのする寂しい城跡ですね。これまでも石垣の補修など保存のための手入れはされている様ですが、もう少しどうにかすれば良いのにとここを訪れるたびに思ってしまいます。しかし、どうやら京阪淀駅の立体化工事にあわせて整備する計画が立てられているようですね。どんな具合に生まれ変わるのか、今から楽しみです。

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淀殿が居た淀城は、今の城跡より500mほど北に行った納所(のうそ)という場所にあったと推定されています。城の遺構は全く残されておらず、妙教寺という寺にある石碑だけが、わずかにその存在を伝えています。

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これがその石碑で、現在の淀城と区別するために「淀古城」と呼ばれている事が判りますね。ここには、淀殿の城が築かれる前に、戦国時代に築かれた城がありました。石碑には、戦国時代の初めに細川管領家が築いたとあり、その後三好三人衆の一人である岩成友通の居城となり、さらに淀殿が住んだとあります。実際にはこの間に、山崎の合戦の際に明智光秀が拠点の一つとした事もありました。

淀殿がここに住んだのは1589年(天正17年)の事で、最初の子供である鶴松(お捨)を産むための城として与えられました。豊臣秀長によって修復が行われたとされるこの城は、産所とは言いながらも天守を持つ本格的なもので、近年の調査により城下町も形成されていたらしい事が判って来ました。石碑のある場所は、その本丸があった場所だと伝えられていますが、実際にどうだったかまでは定かではありません。

秀吉の後嗣の母となり淀殿と呼ばれる様になった茶々でしたが、鶴松はわずか3歳でこの世を去り、失意の淀殿は淀城を後にして大阪城へと移り住みました。主を無くした城は1594年(文禄3年)に廃城となり、城の廃材は伏見城の建材として流用されたと言います。

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妙教寺には、幕末の鳥羽伏見の戦いの際に東軍が放った砲弾の弾痕が残る柱などもあり、幕末史のファンにとっても是非押さえておきたい場所でもあります。ちょっと入り組んでいて判りにくい場所にあるのですが、付近には旧鳥羽街道の雰囲気が多分に残っており、昔の旅人気分で散策してみるのも良いと思いますよ。

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