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2006.08.14

坊ちゃんの世界 ~ターナー島~

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『「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。...
すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々はこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑だ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。』(夏目漱石 「坊ちゃん」より)

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坊ちゃんに登場したターナー島が現実にあります。それがこの四十島。三津浜の西北、高浜町一丁目横山の沖合150mに浮かぶ無人島です。

一見して、松がわずかに生えているだけで、赤シャツが激賞した風景には程遠い様に映ります。実は、かつてはこの島に見事な松が生えていたのですが、残念なことに枯れてしまったのですね。

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こちらが古写真に見るターナー島。作品に描かれたのはこの光景だったのですね。ところが、昭和50年代の初め頃、全国的に猛威を振った松食い虫の被害によって、この松が枯れてしまったのです。そして、荒波に揉まれる四十島自体もまた、浸食によっていつしかやせ細ってしまったのでした。

一時は四十島には一本の木も無くなってしまっていたのですが、わずかずつながら松の木が蘇りつつあります。これは、地元の篤志家が、長年に渡って努力を積み重ねて来た結果なのですね。土壌の無い岩だらけの島に、土を運んでは苗を植え、台風や渇水による度重なる被害を乗り越えて、やっと現状にまで至っているのです。この努力がやがて実を結び、ターナー島の名にふさわしい姿にまで蘇る日が来るのかも知れません。

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これは、ターナー島を見渡す海岸にあった正岡子規の句碑です。

「初潮や 松に浪こす 四十島」

この句は明治25年に詠まれたもので、明治39年に発表された坊ちゃんよりも14年前の作品です。どうやらこの島は「坊っちゃん」によって有名になるよりずっと以前から、名勝として知られていた様ですね。漱石もそれを踏まえて作品に登場させたのでしょう。あるいは、この句を作った子規から教えてもらったと考えるのが一番自然かも知れないですね。

今回ターナー島を訪れるにあたって、アクセス方法を色々と探してみました。ところが、島を紹介するページはあっても、どうやって行けば良いかを書いたところは皆無なのですよね。それもそのはず、行ってみて判ったのですが、高浜駅から歩いて行くしか方法が無いのでした。距離にして1km弱ですから歩けない距離ではありませんが、案内板もなく、初めての人はきっと迷うと思います。我が家の場合、あまりの暑さに辟易して、JR松山駅からタクシーで訪れたので難なくたどり着きましたが、当初の予定通り電車に乗っていたら、きっと大変な目に遭っていた事でしょう。これからこのあたりを観光の拠点とする計画があるようですが、駅からバスを出すか、レンタサイクルを置いて欲しいところです。自転車なら三津浜とセットで、楽しい時間が過ごせる事でしょうね。

アクセスに難はあるにせよ、瀬戸内を前にした光景は素晴らしいものがありました。まるで船に乗った坊ちゃん達の姿が見える様な気もしましたしね。時間を割いて、わざわざ寄っただけの値打ちは十分にあったと思っています。

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