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2006.08.12

坊ちゃんの世界 ~松山市三津浜~

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「ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。」(夏目漱石著「坊っちゃん」より)

これは、小説・坊ちゃんの主人公が、赴任先の四国のとある町の入り口にたどり着いた時の描写です。作品中に明確に書かれている訳ではありませんが、この町は漱石が英語教師として赴任した事がある松山の事だとされています。当時の松山の海の玄関口は三津浜港であり、小説に描かれた光景も三津浜のものという事になりますね。

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三津浜港は、宮前川という川の河口に開けた港で、その歴史は古く、はるか古代にまで遡るとされています。

一説に依れば、万葉集にある額田王の

「熱田津に船乗りせんと月待てば 潮もかないぬ今は漕ぎいでな」

という歌に出てくる熱田津とは、この三津浜の事ではないかとも言われています。以来、伊予の玄関口、あるいは水軍の根拠地として重要視され、江戸期には魚市場が開設されて商業の町として発展しました。現在は主要な港の機能は松山観光港に移されており、本州と四国を結ぶ何本かのフェリーの発着場となっている他は、主として漁船の基地となっている様ですね。

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「見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。」

この艀の光景を彷彿とさせるのが、三津の渡しです。この渡し船の歴史も古く、1469年に、当時この地方を支配していた河野氏の一族河野通春が港山城主であったときに利用したのが始まりとされます。港山城とは三津とは川を挟んだ対岸にある城で、港の警護を目的として築かれていました。江戸期にあっては松山藩の御船手の配下として運行され、三津浜の繁栄を支えています。明治以後もそのまま引き継がれて現在に至っています。

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この渡し船の正式名称は「松山市道高浜2号線」。要するに市道の一部なのですね。このため、松山市の手で運行が続けられており、年中無休で運賃は無料です。運行時間は午前7時から午後7時までとなっており、三津浜に行く事があれば是非乗ってみる事をお勧めします。船上からの景色は風情があって、なかなか良いですよ。

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三津浜には、かつての繁栄ぶりを彷彿とさせるものがそこかしこに残っています。例えば、これは渡し船のすぐ側にあった西性寺という浄土真宗のお寺なのですが、小振りながら非常に洒落た山門を持っていますね。また、司馬良太郎の小説「坂の上の雲」の主人公である明治の青年、正岡子規、秋山好古、真之兄弟達が、大志を抱いて松山から旅立ったのも、三津浜からでした。ここはまだ観光化されておらず、JRの駅でタクシーの運転手に聞いても、いったい何を見に行くのかという反応しか返ってきません。しかし、三津浜を見直そうという動きは始まっており、近い将来観光コースとして脚光を浴びる事になるかも知れません。

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