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2006.07.02

京都・洛東 養源院 ~功名が辻・伏見城遺構~

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京都東山七条に、今年3月にオープンしたばかりのホテルハイアットリージェンシー京都があります。そのきらびやかなホテルの南隣に佇む古寺が養源院。今は知る人ぞと知るという存在になっていますが、江戸期には徳川家の菩提寺として隆盛を誇った寺でした。

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養源院は、元はと言えば、豊臣秀吉の側室淀殿が、その父浅井長政の追善の為に建立したのが始まりです。長政の21回忌にあたる1594年(文禄3年)5月の事で、寺名は長政の院号から採られています。豊臣氏が建てた寺が徳川家の菩提寺になったというのは奇妙な気がしますが、これには淀殿の妹、お江(崇源院)の存在が関係しています。

養源院は1619年(元和5年)に火災によって焼失してしまうのですが、これを再建したのが徳川秀忠の妻であった崇源院でした。1621年(元和7年)の事で、既に豊臣氏が滅んだ後の事だったのですが、崇源院にとっても長政は父にあたり、豊臣氏縁の寺と言えども秀忠が拒む理由は無かったのですね。これ以後、養源院は徳川家の菩提寺となり、歴代将軍の位牌を祀る様になりました。

再建にあたっては、伏見城の中御殿を移設して本堂としました。そしてその際、関ヶ原の戦いの折りに伏見城を守備し、落城にあたって自刃して果てた鳥居元忠以下の将兵達が、最期の時を迎えた廊下の床板も運び込み、ここで供養する事になりました。しかし、彼等の血が染みこんだ床板を足で踏みつける事は憚られたため、天井材として用いる事とし、この事から養源院は血天井の寺としても知られる様になります。

いま養源院を訪れると、案内人が竹竿を持って天井の染みの跡を指し示し、これが鳥居元忠の血痕、これが別の武将の手の跡といった具合に説明してくれます。どこまで本当なのかは判りませんが、聞いているとだんだんそんな風に見えてくるのが不思議ですね。

なお、伏見城縁の血天井の寺は京都に5カ所あって、以前に紹介した正伝寺もその一つです。

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養源院には、元忠達の霊を慰めるために描かれた、俵屋宗達筆と伝わる十二面の襖絵と八面の杉戸絵があります。中でも面白いのが杉戸の象や麒麟、獅子の絵で、本物を見たことが無い宗達が聞き伝えの知識を元に想像で描いたものですから、実物とはかけ離れた何ともユーモラスな姿をしています。でもそこは宗達ですから、デフォルメされた中にも計算され尽くした美しさがあり、この絵を見ているだけでいつまでも飽きが来る事がありません。

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江戸期を通して、徳川家の菩提寺としての格式を誇った養源院でしたが、明治以後は急速に衰えます。徳川家の庇護を失った上、寺域の東側は東大路通の建設で削られ、北側もまた賀陽宮邸の建設の為に大きく後退しました。このため、かつてあった大書院、小書院、茶室等が失われ、現在の縮小した姿となっています。

往時の壮大な寺観こそ失いましたが、境内には町中とは思えない程に楓樹や桜が植わっており、春の花や秋の紅葉はなかなか見事です。「功名が辻」で伏見落城が描かれるのは多分秋も深まった頃の事でしょうから、紅葉を見がてら、悲運の武将達を偲びに訪れてみてはいかがでしょうか。

養源院の南は法住寺、西は三十三間堂に隣接しており、さらに東には通りを隔てて智積院もあって、このあたりだけで一日過ごす事も可能ですよ。

(養源院は屋内撮影禁止のため、内部の写真はありません。)

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コメント

学生時代訪れた源光庵も確か伏見城の血天井でした。これで3箇所だとしたら後2箇所はどこだろう?
こちらの悟りの窓、迷いの窓からの庭の眺めが懐かしい。今年の9月まで修復の為、拝観中止らしいですが、また、行って見たいと思っている場所の一つです。

投稿: Milk | 2006.07.02 14:13

Milkさん、コメントありがとうございます。
血天井の残りの寺は、宝泉院(大原)と興聖寺 (宇治市) です。
源光庵も含めて、順番に回ってみようと考えていたところだったのですが、
源光庵が拝観停止中とは知りませんでした。
お陰様で、空振りに終わらずに済み助かりました。

投稿: なおくん | 2006.07.02 14:23

トラックバック失礼致します。

複数のお寺に血天井はあるんですね。
今まで知らなかった事実です。

後世に伝えるべき大切な遺産だと思います。

投稿: 京都片泊まり名所案内 | 2008.02.13 14:44

京都片泊まり名所案内さん、

記事の紹介とTBをどうもありがとうございました。

血天井の寺は、本文中にも書きました様に、
全部で5箇所あります。

一度に回るのは無理ですけど、
それぞれが個性あふれる寺ですから、
時間を掛けて回られるのも面白いと思いますよ。

投稿: なおくん | 2008.02.13 21:33

こんばんわ。
(前に同じようなコメントをしていたらすみません)

私は三十三間堂とセットで行きました。
三十三間堂もビックリで圧倒され、こちら養源院もビックリでした。

養源院は友達二人で貸切状態だったんですが、(徳川家の位牌があった部屋では)ゾゾっとする経験をしました。

血天井は、差し棒でこれが手形・・・などなど・・・と説明されたように、本当に全部そう見えてくるから不思議です。
でも血痕を見ること自体がはじめてなので、あまりピンと来ていないのもありましたが・・・でも遠い過去にほんとうに戦があったんだなぁとあらためて実感する場所でもありますね。

拝観料を払ったらいただける、養源院略由諸?とか書かれた小さな紙はなぜか大切に取ってあります。

投稿: きょん。 | 2008.02.27 23:14

きょん。さん、

養源院は確かに独特の雰囲気がありますよね。
それにしても、ぞっとする経験とは一体?

血痕を見ながら伏見落城の時を思うと、
凄惨な光景が見えてくる様な気がします。
でも、その時の遺恨も長年の間の供養を受けて、
きっと浄化されている事でしょう。

各寺のパンフレット類は残しておくと良い記念になるし、
沢山溜まると京都の資料としても役立ちますよ。

投稿: なおくん | 2008.02.28 20:33

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