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2006.07.23

京都・洛東 方広寺鐘銘事件 ~功名が辻~

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方広寺の大鐘が鋳造されたのは1614年(慶長19年)4月の事でした。豊臣秀頼が徳川家康の勧めにより行っていた方広寺再建の最後の仕上げとなるもので、8月には大々的に落慶法要が営まれる事になっていました。この鐘は、高さ4.2m、外径2.8m、厚さ0.27m、重さ82.7トンという巨大な規模を持ち、東大寺、知恩院の鐘と合わせて日本三大名鐘の一つに数えられています。さすがに、東大寺大仏殿を凌いだという大寺に相応しい大鐘ではあります。

しかし、この鐘が世に知られているのは、その巨大さ故にではありません。豊臣家を滅ぼした大阪の陣を引き起こすきっかけとなった「方広寺鐘銘事件」の生き証人であるからです。

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「鐘銘」とは鐘に刻まれた銘文の事で、方広寺が如何に素晴らしい出来映えの寺であるかを称え、またこれからは国家鎮護のために役立つであろうと称える漢文が綴られています。この文字を撰したのが東福寺第227世文英清韓長老でした。清韓は、当時都きっての文筆家として知られた人で、学僧として秀吉に重用され、朝鮮の役では加藤清正に従ってかの地を踏んだという経歴を持っています。秀吉の死後、天下の覇権が家康に移った後も秀頼の学僧として豊臣家との関係を保っており、その縁から方広寺の銘文を撰する様に依頼されたのでした。清韓の作った銘文はさすがに素晴らしい出来映えで、きちんと韻を踏んだ名文でした。しかし、そのせっかくの名文が、豊臣家を滅ぼしたいと考えていた徳川家によって、足下を掬うための道具に使われてしまったのです。

事は徳川家の謀臣であった、金地院崇伝、林羅山の手によって進められました。彼等が目を付けたのが、銘文中の「国家安康」と「君臣豊楽」という8文字です。すなわち、「国家安康」とは家康の名を二分して祟りをなそうとする呪いであり、「君臣豊楽」とは豊臣家が主君となり世を楽しむという願いを込めたものだと言い出したのです。驚いた豊臣方は八方陳弁に努めますが、最初から豊臣家を嵌める積もりでいた徳川方が聞き入れる筈もありません。落慶法要が中止となったばかりか、大阪城の明け渡し、秀頼と淀殿の江戸移住といった更なる難題を投げかけられ、遂には開戦する以外に途が無くなりました。そして、大阪冬の陣、夏の陣の二度の戦いを経て豊臣家は滅亡するに至ります。


この事件の余波として、清韓はその地位を追われ、彼が住んでいた天得院は取り壊しとなりました。しかし、問題とされた鐘は鋳つぶされる事無くそのまま残され、現在にまで伝わっています。この事は、鐘銘事件は実は全くの言い掛かりに過ぎなかったという何よりの証拠でしょうね。清韓は豊臣方の高名な人物であり、世間への影響力を考えるとどうしても処分しなければならなかったのに対し、鐘そのものの存在は徳川氏にとってはどうでも良かったという事なのでしょう。本当に呪詛されたと思っていれば、残しておくはずがありませんからね。

方広寺を拝観すれば、この鐘楼の中にも入る事が出来ます。そして、一番上の写真にある問題の8文字も間近に見ることが出来ます。事件の主役であった豊臣秀頼や片桐且元の名も銘文の最後に刻まれているのが判りますよ。

(以下、淀殿の亡霊が出てきます。不気味と思う人はクリックしないで下さい。)

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さらに、鐘の内部には、淀殿の亡霊とされる白い影があります。写真中央上部の楕円形の模様が、斜め上を向いた女性の顔に見えるでしょうか。そして、その右側に垂れている線が髪の毛を表すとされます。全体として眺めれば、女性の立ち姿と見えなくもありません。謂われ無き謀略によって滅びざるを得なかった淀殿の恨みが、今もなおこの鐘に宿って残っているのかも知れません...。

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コメント

鐘の由来は知っていましたが鐘の中に淀君の亡霊がいたとは(゜o゜)

一度、訪ねてみよう!

投稿: Milk | 2006.07.24 19:26

Milkさん、コメントありがとうございます。
この白い影、その気になれば亡霊に見えるでしょう?
方広寺を訪ねれば、ここが顔、ここが髪と、
お寺の人が竹竿を使って丁寧に教えて呉れますよ。

投稿: なおくん | 2006.07.24 19:37

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