« ジョン・レノンと俳句 | トップページ | 京都・寺町御池 本能寺 ~功名が辻~ »

2006.06.11

京都・洛中 本能寺跡 ~功名が辻~

Honnouji0606111

大河ドラマ「功名が辻」も、いよいよ前半のクライマックスである「本能寺の変」が放映されます。それに合わせて、かつて明智光秀が織田信長を襲撃した「本能寺」の跡を訪れてきました。

Honnouji0606112

本能寺は開創以来、幾度も移転を繰り返しているのですが、本能寺の変があった当時は、概ね四条堀川の近くにありました。写真の碑が建っているのは蛸薬師通油小路を少し下がったところで、かつての本能小学校の跡地にあたります。

石碑の位置

Honnouji0606113
(写真は石碑の近くから北向きに見た油小路通)


この当時の本能寺の位置には諸説あったのですが、本能小学校の廃校に伴う発掘調査により、南は蛸薬師通、東は西洞院通、西は油小路、北は六角通に挟まれた、約120m四方の寺域を持っていた事が確定しました。現在の碑がある場所は、本能寺を含めたこの付近の町を取り囲む惣構えの南の堀の跡だった様です。当時の町は自治体制を取っており、横行する野盗の襲撃や戦の被害から自らの生命と財産を守るために、町の周囲を塀や堀で取り囲んでいたのですね。本能寺の堀や塀と町の惣構えは、事実上一体化していたと見られています。

明智光秀の有名なセリフに、「本能寺の堀の深さは」というつぶやきがありますが、発掘の結果によれば1.5mの深さを持っていた様です。ちなみに、幅は4m以上あったそうで、野盗程度の襲撃を防ぐには十分な規模だった事でしょうね。しかし、1万5千もの本格的な軍勢を相手に防ぐに為には、残念ながら役には立たなかった様です。

Honnouji0606115

本能小学校の跡地は、現在堀川高校の本能学舎と、京都市の本能特養老人ホームになっています。かつての本能寺は、この北側に広がっていた訳ですが、今では住宅や染色工場、マンションなどが建ち並んでいるだけで、当時を偲べるものは元本能寺町という地名以外には何もありません。

事変があった当時には、このあたりは町はずれで、周囲には田畑が広がっていたと言います。老ノ坂を越えてきた光秀の軍勢は、今よりずっと目標を見つけやすかった事でしょうね。水色桔梗の旗が本能寺を取り囲んだ光景を思い浮かべるには卓越した想像力が必要ですが、ドラマの放映を機に、稀代の魔王・信長が最期を迎えた地を歩いてみるのも面白いかも知れませんよ。

|

« ジョン・レノンと俳句 | トップページ | 京都・寺町御池 本能寺 ~功名が辻~ »

功名が辻」カテゴリの記事

コメント

本能寺の変ほど、歴史の妙を感じさせる事件はそうそうないのではと思います。
あの信長が、合戦以外で命を落とすなんて、と私は思ってました。光秀はやはり知将だったんでしょうね。
でも、こうやって碑しか残っていないのも、なんだか寂しい気がします。

投稿: mononoke | 2006.06.11 15:01

光秀の首塚といい、本能寺跡といい
今でこそ楽しんでますが、学生の頃は歴史は年表の暗記で楽しくなかった授業でした。
ゆとりある教育ってこんなことを楽しむことだと思いましたね。

投稿: Milk | 2006.06.11 15:45

mononokeさん、Milkさん、コメントありがとうございました。

mononokeさん、本能寺の変はどんな小説も敵わない、
まさに歴史が生んだドラマですね。
複雑な背景、謎に満ちた動機、描き出された人間模様など、
いつまで立っても人を惹き付けて止みません。
石碑しか無いというのも残念と言えば残念ですが、
むしろ信長らしい潔良さと言う気もします。

Milkさん、やっぱり自分で興味を持って調べるのと、
無理矢理やらされる勉強の差は大きいですよね。
私も毎週の様に京都に出かけていますが、
これが授業だったらこんなには続かないかも...。
子供達が自分で興味のあるものに気付くきっかけを与えてやる事が出来たら、
それだけでもゆとり教育の意義はあると言えるのかも知れません。

投稿: なおくん | 2006.06.11 21:04

なおくん、こんばんは。
今日はオンタイムで「功名が辻」を見ました。
史跡めぐりをしながらドラマを見るとより
面白くなりますね。
最近、「しずかblog」に社会科見学で韮山の史跡に行った小学生からコメントをもらいました。
そうやって社会を学んでいる小学生もいるのかと
びっくりしましたが、私のブログが少しでも役立てれば続けてる意味があるな~とちょっと嬉しくなりました。

投稿: しずか | 2006.06.11 21:52

しずかさん、コメント&TBありがとうございました。
功名が辻も前半の山場を迎えて、興味深い場面が続きますね。
史跡紹介にも予想どおり本能寺跡が出てきましたし、なかなか面白かったです。
このねこづらどきへのアクセスもギッズ・グーがリンク元になっている事が多く、
小中学生が見に来ていると判ります。
そういう子供達の役に少しでも立てたとしたら、とても嬉しい事ですね。

投稿: なおくん | 2006.06.11 22:54

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14874/10476174

この記事へのトラックバック一覧です: 京都・洛中 本能寺跡 ~功名が辻~ :

» 今年の信長はダンディか? [われら「ノミニティー・プランナーズ」※△!□!!]
今年の大河ドラマは「功名が辻」。 本日はそのクライマックスの第一部。 明智光秀が、あの本能寺においていよいよ信長を討つ話になります。 [続きを読む]

受信: 2006.06.11 14:57

» 本能寺の変・・・(京都を歩く) [功名が辻 山内一豊・千代ゆかりの地を訪ねて]
秀吉の備中高松城攻めの最中に、天下を揺るがす大事件が起った。 天正10年(1582)6月2日未明、備中高松城に援軍として向かうはずであった明智光秀の軍勢1万3千が、京都の本能寺に宿泊していた信長を急襲。 わずか100ほどの手勢のみの本能寺は間もなく炎に包まれ、信長は49年の生涯を閉じた。 近くの二条御所に宿泊していた嫡男信忠も、光秀の軍勢に囲まれ自害して果てた。 光秀謀反の理由については古来さまざまな説が取りざたされている。 窮地に追い込まれた光秀が信長を恨んでいたという「怨恨説」、光秀が... [続きを読む]

受信: 2006.06.11 16:17

» 功名が辻のすばらしさを語ろうの会 敵は本能寺にあり、光秀の心はどこにある、、、。 [長江将史〜てれすどん2号 まだ見ぬ未来へ ]
敵は、、、本能寺に在り!!! ひとが尊ぶものは尊ばなければなりませぬ、、、そこからもうこの本能寺は逃れられないもの だったのだろう。光秀の目は信長の首、すでにそれだけだ。 光秀勢で囲まれる本能寺。火縄銃の応酬、信長も甲冑をまといそれに加わる。奮戦するが、無常にも銃弾は信長の体へ、、、。 あの世とやらでまた見えようぞ 一度は信長に諭され退いた濃だったが、戦禍の中へ。このままでは殿は地獄、わた... [続きを読む]

受信: 2006.06.11 22:50

» 功名が辻 第23回 本能寺 [ななさんにトラックバック(仮)]
{/shootingstar/}オープニング 光秀と信長の価値観の差は埋め難いものに。 {/shootingstar/}本編 先週の膝枕は本能寺だったのね。 濃姫「殿がお気に召さずとも濃はあなたさまの妻に御座います。殿の天命と共に濃も生きるつもりにございます。」 すっかり仲良し{/3hearts/}。 千代は寧々に明智謀反の気配を知らせます。 光秀「敵は西国にあらず!。神仏に火をかけ僧を斬り朝廷にとってか�... [続きを読む]

受信: 2006.06.11 23:15

» 功名が辻 本能寺 [平成エンタメ研究所]
 「本能寺の変」は戦国時代最大の見せ場。  もはや現代の日本人にとっては、かつての「忠臣蔵」のようなものであろう。  どう描かれ、どう演じられるか?  「功名が辻」の「本能寺」は信長の狂気と共に女性の視点が随所に盛り込まれていた。   1  まずは濃(和久井映見)と信長(舘ひろし)。  千代とのふれあいから、信長の妻として生きていく気持ちを固めた濃。  狂気にとらわれた信長の心をほぐすのは自分しかいないと思�... [続きを読む]

受信: 2006.06.12 11:50

» 功名が辻第二十三話見ました [岐阜の路面電車再生祈願!名古屋交通コラム]
 キターーーーーーー坂東三津五郎の「敵は本能寺にあり!!」  奥方様、参戦か??   死ぬか・・・・・・。  銃弾に倒れる信長。  「敵は本能寺にあり!」その光秀のかけ声にて本能寺の変が・・・・・・。  刃や銃が交え、信長が撃たれる。  そして、濃も。「帰蝶様!!」光秀の叫び。そして、信長も・・・・・・。  「夢幻のごとくなり」撃たれた傷の重さをふりきっての最後の刃・・・・・・それは自らに向けたものだった。  光秀のそばにいた六平太は、安国寺恵瓊に使いを出した。    長浜城。一戦を交える!甚兵衛... [続きを読む]

受信: 2006.06.12 18:44

« ジョン・レノンと俳句 | トップページ | 京都・寺町御池 本能寺 ~功名が辻~ »