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2006.06.17

京都・洛東白川 光秀首塚 ~功名が辻~

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1582年(天正10年)、天正天王山の戦いで羽柴秀吉に敗れた明智光秀は、坂本城を目指して落ちていく途中、小栗栖の藪の中で土民に襲われて命を落とします。光秀の首は秀吉の手に渡り、本能寺に晒されたとも、粟田口の刑場に晒されたとも伝わります。

その光秀を供養するために建てられたのが、三条白川橋を下がったところにある光秀祠です。いつ誰の手で建てられたのかは定かではありませんが、ここには本尊として光秀の木像が祀られており、併せて遺骨も納められていると言います。

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その祠の前にあるこの石塔が光秀の首塚とされるものです。この石塔の言われについては諸説があり、三条粟田口に晒された後、供養の為にこの石碑が建てらていたのを、この地に住んでいた明田氏(明智氏の縁者?)がもらい受け、自宅に移して菩提を弔ったという説、敵の手に渡さぬ為に小栗栖から腹臣が運んで逃げたものの、夜が明けたためにこの地に埋めたとする説などがあります。さらに、当初は今よりもう少し東よりにあったのですが、後に現在の場所に移されたのだとも言います。

光秀の首が晒された場所にも冒頭に記した様に二通りの説があり、また首は偽物という説からさらには生存説まであって、どれが正しいのかはまさしく藪の中です。

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「長存寺殿明窓玄智大禅定門」(光秀の戒名)と記されたこの石碑は、明治36年に歌舞伎役者の市川団蔵によって建てられました。かつてこのあたりに寄席があり、団蔵はそこで光秀の役を演じていた縁から、この碑を建てたのだと言います。役者が実在の人物を演ずるにあたって、あらかじめその人の墓参りをするという話は良く聞きますが、わざわざ墓碑を建てるというのは尋常ではないという気がします。それほど光秀の役に入れ込んでいたのか、余程の大当たりを取ったのかしたのでしょうか。それにしても、こんな場所に寄席があったというのも驚きではありますね。

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この祠を管理されているのが、白川沿いにある餅寅という和菓子屋さんです。祠への道の入り口にあり、横に長い「一」の字を看板にされています。光秀の家臣がこの地に首を埋めたとする伝承は、この店に伝わる資料に記されているものなのだそうですね。

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ここで売っているのが、「徒然なるままに」でも紹介されている「光秀饅頭」。黒糖を使った粒餡を薄皮でくるんだ饅頭で、桔梗の紋所が刻印されています。あっさりとした甘さで、なかなかの美味でした。

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そして、去年に訪れた時から気になっていたのが「みな月」です。6月限定、なのかどうかは判りませんが、白、黒糖入り、抹茶入りの3種類が売られていました。今回食べてみたのがこの黒糖と抹茶。どちらも甘さ控えめなのは光秀饅頭と同じで、もちもちとした食感も良く、今まで食べたみな月の中でもかなり美味しい部類に入ると思います。

光秀祠の場所は判りにくいのですが、この餅寅を目標にすると判りやすいかも知れません。地図はこちらのページを参照して下さい。

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コメント

なおくん、こんにちは。
TBありがとうございました。
私の記事は京都へ行ったってことだけですが、なおくんの記事はいろいろと歴史的にも詳しく書いておられるので大変勉強になります(*^_^*)
これからもヨロシクです。
逆TBさせていただきました。

投稿: Milk | 2006.06.18 09:55

Milkさん、コメントありがとうございます。

Milkさんに教えて頂いたおかげで、光秀饅頭を食べる事ができました。
昨年は「みな月」の張り紙しか目に入らなかったもので...。
首塚のいわれは、現地に掲示されていた文献を元にしましたが、
やはりこういう伝承はなかなか真実には行き当たらないものですね。
こういうものはあまり深くは詮索せず、
地元の人が抱いている想いを大切にする方が良いのかななどと思ったりもします。
この餅寅さんも、反逆者とされた光秀の祠をずっと守って来られたのですから、
そこには並々ならぬものがあったのだろうという気がしますね。

投稿: なおくん | 2006.06.18 19:07

大変興味深く読ませていただきました。
なおくんの記事は、番組の功名が辻紀行より面白いですね。(笑)
光秀首塚にも行ってみたいですが、光秀饅頭もついでに試してみたいです!

投稿: しずか | 2006.06.18 23:50

しずかさん、コメント&TBありがとうございます。

今回の功名が辻紀行はここに来るかと思っていたのですが、
丹後に行ってしまいましたね。
もう少し光秀の最期を丁寧に描いて欲しかった気もしますが、
一豊が主人公とあらば仕方が無いですか。
光秀祠は余程の歴史ファンで無いと寄らない場所ですが、
近くには沢山の名勝史跡もありますので、
機会があれば是非寄ってみて下さい。
光秀饅頭もなかなかのものですよ。

投稿: なおくん | 2006.06.19 00:10

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