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2006.01.08

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」9

今回から、ドラマに沿ったレビューを掲載していきます。かなりの長文となりそうですが、おつきあい願えれば幸いです。

冒頭、五稜郭の空撮。旧幕府軍がこれまでにたどった足跡が簡潔に説明されます。函館に新政権の樹立を目指した旧幕府軍の組織、すなわち総裁に榎本武揚、陸軍奉行に大鳥圭介、そしてそれを補佐する陸軍奉行並に土方歳三。一旦は蝦夷地の平定に成功した彼等でしたが、新政府軍の反撃の前に追いつめられ、明治2年5月には、かろうじて函館の街と五稜郭の周辺を維持しているだけの状態でした。

「蝦夷地に依った旧幕府軍はおよそ3千。対する新政府軍は1万5千。大軍を相手に果敢に迎撃に打って出た旧幕府軍でしたが、衆寡敵せず各地で退却を余儀なくされ、かろうじて勝っていた土方の軍もまた函館へと引き返さざるを得なくなっていました。なお、蝦夷地上陸からこの日まで旧幕府軍が辿った足跡の詳細については、ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」のを参照して下さい。」

1869年(明治2年)5月、北海道、七重浜。月を群雲が隠していきます。暗闇の中に浮かぶのは、薩摩藩の旗印を掲げた新政府軍の陣地。その様子を森の中から窺っているのは、島田魁が率いる新選組の一隊。島田の横に居るのは尾関雅次郎。そこに、斥候に出ていた相馬主計が帰ってきました。彼は、兵糧の在処を探ってきたのですね。報告を聞いて、突っ込むぞと下知を下す島田。待たなくても良いのかと言う相馬に、もう待っていられない、自分たちだけでやると答える島田。彼等は誰かが来るのを待っていた様です。

敵陣に向かっていざ駆け出そうとした時、周囲に人の気配がする事に気が付きます。あたりを見回すと、新政府軍の兵士の後ろ姿が見えました。思わず顔を伏せる島田達。ところが、島田の目の前には、赤い舌を出した蛇の姿がありました。思わず声を上げてのけぞる島田。その声に気付いた新政府軍の兵士が、何をしていると言いながら近づいてきます。今さらながら口を押さえる島田と息を飲む相馬。兵士は物陰にあった新選組の旗に気付き、声にならない叫びを上げながら、陣地の方へと駆けていきます。その後を慌てて追う島田達ですが、兵士に追いつけそうにもありません。奇襲が台無しになるかと思われたその時、兵士の前に立ち塞がり、一刀の下に切り捨てた人物が現れました。驚く島田達に、待たせたなと得意のせりふを吐く土方。洋装姿の土方の左肩には、誠と書かれた新選組の肩章が付けられています。

遅いと文句を言う島田に、あちこち見回らなくてはならず、忙しいんだと言い訳をする土方。土方は陸軍奉行並なんだから仕方が無いと庇う相馬と、偉くおなりでと皮肉を言う島田。相馬から兵糧の場所を確かめた土方は、改めて出撃の下知を下します。そして、尾関に向かって声を掛け、その声に応えて新選組の旗を高々と掲げる尾関。刀を抜いた土方を先頭に、新政府軍の陣地に切り込みを掛ける新選組。不意を討たれた新政府軍は浮き足立ち、次々と土方達に倒されていきます。尾関の掲げる新選組の旗の下に集まった土方、島田、相馬。会津から蝦夷地に掛けて戦場を駆けめぐってきたその旗は、その間の新選組の苦闘を象徴するかの様に山形の模様は破れ、あちこちに銃弾の穴が開き、ところどころに焦げ目さえ見えています。その旗をバックに現れる「新選組!!」のタイトル。

「七重浜は函館の北西にあたり、函館を包囲した新政府軍の拠点がありました。中島登覚書に、5月1日に土方から新選組に対し有川まで進撃する様にとの命が下ったとあり、新選組はこの日から数次に渡って七重浜に夜襲を仕掛けています(「新選組を歩く」所収の年表より)。ただし、実際に指揮を執っていたのは土方ではなく、大鳥圭介だった様ですね。」

さらに場面が変わって現れるサブタイトル「土方歳三 最期の一日」。タイトルバックは雪の中に浮かぶ五稜郭の模様。BGMは、いかにも明治の初年を思わせるワルツ。北の大地を思わせる静かな曲調です。(突然現れる卵を割る手のアップ。)場面は一転して五稜郭の俯瞰。望楼には見張りの兵が立ち、庭では馬の手入れをする兵が居ます。(丹念に黄味と白身を分ける手。)五稜郭内部へと移っていく視点。庭ではかがり火が焚かれ、負傷して苦しむ兵も居ますが、軍としての規律は守られている様子で、通路には何人もの歩哨が立っています。(白身をスプーンで混ぜる手。)さらに廊下の奥へと進んでいく視点。廊下の各所にも歩哨が立ち、総裁の居室の前には警備兵が控えています。会議室の中へと進む視点。苛立った様に閉じた扇子を小刻みに振っているのは、背中を向けた大鳥圭介。その視線の先で、鏡に向かって髭の手入れをしているのは榎本武揚。手にしているのは、かき混ぜた卵の白身。彼は白身を指に付けては、丹念に口髭をなでて形を整えています。苛立ちを抑えながら、皆が待っているから早くした方がよいとせかす大鳥。その声を聞き流し、髭の手入れを続ける榎本。さらに、今は戦時だから身なりにこだわるのはどうかと榎本に迫る大鳥ですが、榎本は自分は徳川軍を束ねる男であり、みっともない姿を晒す事は出来ないと答えて、髭をなで続けています。呆れたように引き下がり椅子に腰掛けた大鳥ですが、そのとたんに榎本がそれでは行こうと部屋を出て行きます。慌てて扇子を取り落とす大鳥。部屋から現れた総裁を見て威儀を正そうとする兵士達に、そのままで良いと声を掛けながら馬に乗る榎本。榎本と並んで五稜郭を後にする大鳥。

依然として雲に隠れ勝ちな月。

函館山麓・新選組本陣。荷駄を牽いて帰ってきた土方の一隊。凱旋部隊を迎えて沸く本陣。隊士一同に対し、言葉を掛ける土方。彼は隊士達の戦いぶりを激賞し、敵から分捕ってきた酒を馳走する、ただし規律を乱すといけないから一杯だけだと言って皆を喜ばせます。後の仕切を相馬に任せる土方。

そんな土方を少し離れた場所から見つめながら、土方さんも丸くなったものだと話し合う島田と尾関。土方に酒の椀を渡し、隊士達を集める相馬。その様子を見ながら、隊士達は皆心の底から土方を慕っているんだとつぶやく島田。

すまないと言いながら酒を受け取り、一口含む土方。その土方に奉行と呼びかけ、話が聞きたいとせがむ相馬。奉行と呼ぶのはやめてくれと迷惑そうな土方は、では何と呼べばよいのかと聞かれて、やっぱり副長かなと答えます。改めて副長と呼び、昔の新選組の事を教えてくれと頼む相馬。京に上った時は浪士組と言い、精忠浪士組、壬生浪士組を経て新選組になったと話す土方。そして、最初は13人から始まったと聞いて驚く相馬に、江戸に居た頃は8人だったと教えてやります。近藤、土方、沖田、永倉、原田、藤堂、井上、そして最後に山南。山南と聞き、法度に背いて切腹させられた人ですねと、軽蔑したような口ぶりになる相馬。そんな相馬に、山南総長は武士の中の武士であり、山南が居なければ今の新選組は無かったと語る土方。意外そうな相馬に、もう昔話は良いだろうと話を切り上げ、これからの新選組はお前達に任せると言って立ち上がる土方。そこにやってきた島田と尾関は、ここは引き受けるから、武蔵野楼へ行ってくれと土方に告げます。この日、武蔵野楼で榎本以下の幹部が集まる会合が開かれているのでした。土方はそんな会議には出たくないと言って、島田達を困惑させます。そして、島田と尾関、さらには山野八十八と蟻通勘吾に声を掛け、皆とは離れた場所に連れて行きます。

4人を前にして、今日の敵を見てどう思ったと聞く土方に、いつもより数が少なくなっていたと答える島田。これは何を意味しているのかと聞く尾関に、敵は兵を分散して配置に付け総攻撃の用意に入った、明日総攻撃が開始されると分析して見せる土方。総攻撃と聞き勇み立つ島田に、池田屋に切り込んだ時の事を覚えているかと聞く土方。忘れるはずは無いと答える島田に、あのときから残っているのはここに居る5人だけになってしまった、本当の新選組は俺たち5人だけだと皆を見回しながら話す土方。それと聞き、山野と蟻通に向かって、そんなに前から居たかなと聞く島田。目立たなくて済みませんと謝る蟻通。土方は島田達に向かって、戦いが始まったら函館の町を守り抜けと命じます。そして自らは五稜郭に戻り、全軍の指揮を執ると言いますが、島田達は自分達も付いて行って、土方と共に戦うと言い出します。駄々をこねる島田に、お前はガキかと一喝する土方ですが、島田は熱に浮かされた様に、別の隊長を立てて自分は土方と一緒に行くと言って聞かず、新しい隊長には相馬が良いと一人で決めてしまいます。そんな島田に、市中の民を守るのが新選組の役目であり、これは命令だと怒鳴りつける土方。なおも泣きつく島田に、土方の気持ちを判ってやれと間に入る尾関。感極まって、男泣きに泣き崩れる島田。そんな島田に代わって、身命を賭して町を守り抜くと誓う尾関。土方は、島田、尾関、山野、蟻通と皆の名を呼び、新選組を託したと告げます。そして、泣き崩れている島田の肩を叩き、まだまだ戦は続く、また一緒に戦う時が来ると言って、本陣を後にしました。

「土方が兵士達に酒を振る舞ったというエピソードは、二股口で戦っていた時の事です。16時間にも及ぶ激しい戦闘の末に新政府軍を追い返した後、土方自らが兵の間を回って酒を振る舞ったのでした。この時の詳細は「ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」8」にあります。

この頃、土方の人柄が丸くなっていた事は、中島登が残した土方の姿絵に添えられた詞書きの中に、「年を長ずるに従い穏和になり、人が帰する事赤子が母を慕うかの様だった」とある事から窺い知る事が出来ます。また、宇都宮の戦いにおいて、土方は敵を恐れて脱走を図った従者を全軍の志気を高める為に切り捨てた事があったのですが、土方は戦いが終わった後でこれを悔い、人に頼んでその従者の墓を建てています。その時、土方の目には涙があったと言い、京都時代の鬼の副長とは違った人間味が出てきた事を窺わせるエピソードです。

武蔵野楼で宴が開かれたのは、1869年(明治2年)5月10日の夜の事でした。この時参加したのは、榎本以下函館政権の幹部達で、土方はもちろんとして、陸軍奉行添役であった相馬も参加しています。ドラマの中で隊長を相馬に譲ると言っていた島田ですが、島田は隊長である改役に次ぐ頭取であり、実際の隊長は桑名藩士森常吉が勤めていました。ちなみに森は函館陥落時に桑名藩士に戻り、藩の責任を一身に受けて切腹して果てました。その代わりの隊長となったのが相馬主計です。相馬主計については、「ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」 相馬主計 ~新選組最後の隊長~」を参照して下さい。また、山野と蟻通については、「ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」 山野八十八と蟻通勘吾 京都から函館まで戦い抜いた隊士達」で取り上げています。

島田がしきりに土方と共に居たいと言っていたのは、旧幕府軍が蝦夷地に上陸した頃にあったという守衛新選組の事を受けての演出なのでしょうね。守衛新選組は島田魁の日記にだけ出てくる組織で、島田を隊長とし、数人の新選組隊からなり、土方の護衛と周辺の世話を任務としていたと思われます。上陸前後に結成され、蝦夷地の平定が宣言されるまで存在したと思われますが、詳しい事は判っていません。もしかしたら、このドラマの演出にある様に、土方を慕う島田が自ら志願して組織したものだったのかも知れません。」

以下、続きます。

この項は、木村幸古「新選組日記」、新人物往来社「新選組銘々伝」、「新選組資料集」(「隊士名簿に見る新選組の変遷」、「中島登覚書」、「函館戦記」、「立川主税戦争日記」)、別冊歴史読本「新選組の謎」、「新選組を歩く」、河出書房新社「新選組人物誌」を参照しています。

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コメント

隅々までじっくり見ておられるので驚きです。
私はそこまで気がつかなかった!と思う所が一杯あります。
もう一度じっくり録画したものを見ます。
では、また明日。

投稿: merry | 2006.01.24 21:50

三谷ドラマはとにかく伏線が多いのが特徴ですよね。
ですから、レビューを書くにあたっては細かい場所も見逃す事が出来ません。
私にもう少し表現力があったら、もっと楽しく判りやすく書けるのですけどね。
力不足を痛感している次第です。

投稿: なおくん | 2006.01.24 23:20

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