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2006.01.18

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」市村鉄之助の生涯

「新選組!!土方歳三最期の一日」のラストシーンを飾った市村鉄之助。既に何度か触れていますが、土方歳三の写真を日野に届けた人物として知られています。

土方の肖像を初めて見た時の驚きは今も忘れていません。新選組の鬼の副長と呼ばれた男が、実は素晴らしく現代的な美男子で、知的な印象すら漂わせている事がとても意外だったのです。この写真から土方ファンになった人も多いでしょうし、新選組に対するイメージを改めた人も多かった事でしょうね。それだけでも、市村鉄之助の果たした役割は大きかったと言わなければならないでしょう。

鉄之助の生没年ついては記録が無く、正確なところは判っていません。しかし、函館脱走時に16歳だったとする資料があり、入隊時には14歳の少年であったと推定されています。

彼が生まれたのは美濃国大垣で、父親の半右衛門は100石取りの中堅藩士でした。半右衛門は大目付、蔵奉行、槍奉行を歴任するなどかなり重要された家臣だったのですが、1858年(安政5年)5月に突如として暇を出されます。それもただの暇ではなく、他家への奉公は叶わず、江戸、京都、大阪に住む事はまかりならず、城下10里四方に立ち入る事も許されないという厳しい処分でした。何があったのかは判りませんが、この2年ほど前に藩主が交代した事と関わりがあるのかも知れないと推測されています。この時鉄之助は5歳、彼の兄弟として7歳年上の辰之助という兄が居ました。

大垣を追われた市村家が移り住んだのは近江国国友村でした。その5年後、半右衛門が失意の内に亡くなります。この頃、彼等がどういう暮らしをしていたのかは判りませんが、父親の死によってますます窮迫したであろう事は容易に想像が付きます。

それから4年後の1867年(慶応3年)の秋、彼等は新選組の隊士募集の呼びかけに応じ、兄弟揃って入隊したのでした。このきっかけとなったのは、国友村には新選組隊士の近藤隼雄、芳助兄弟の養家があり、新選組が鉄砲を調達する際にその家を足掛かりとしていた事と関係があるかも知れないと推測されています。

新選組に入るという事は幕臣に取り立てられるという事であり、市村兄弟にすれば親の代で取りつぶしになった市村家を再興する絶好のチャンスと映った事でしょうね。入隊した二人のうち兄の辰之助は局長付人数に、鉄之助は両長召抱人となります。局長付人数はいわば隊士見習いで身分は平隊士に準じ、両長召抱人は14、5歳の少年が集められ、局長と副長の身の回りの世話をする小姓の様な役目を与えられていました。

せっかく幕臣という身分を得た二人でしたが、時代はすぐに急転します。12月9日に発せられた王政復古の大号令により徳川家は政権の座を追われ、新選組は京都市中取り締まりの任を解かれて伏見へと下がります。翌慶応4年1月3日に鳥羽伏見の戦いが勃発すると、新選組を始めとする旧幕府軍は大敗を喫し、江戸へと逃げ帰る事になります。

同年3月、甲陽鎮撫隊と名を変えた新選組は甲州勝沼の戦いで大敗を喫し、再起を期して五兵衛新田に集結します。この前後、兄の辰之助が新選組を脱走しました。この頃、永倉や原田といった昔からの幹部も近藤と袂を分かっており、新選組の将来を見限った脱走者が相次いでいました。辰之助もその一人だったのですが、弟の鉄之助は隊に残りました。その後の経過から考えると、よほど土方から可愛がられていたのでしょうね。鉄之助は兄に付いていくよりも、隊に残って土方に従う道を選んだのでした。穿った見方をすれば、兄は市村家を存続させる為に隊を抜け出し、弟はその名誉を守るために隊に残るという、兄弟で示し合わせた行動だったのかも知れません。

新選組はその後、会津を経て函館へと戦いの舞台を移します。その間、鉄之助は両長召抱人として、終始土方の側にあったと考えられます。両長召抱人は鉄之助の外にも数人居たのですが、あるいは戦死し、あるいは配置換えとなって、いつしか鉄之助一人になっていました。土方もまた、「頗る勝ち気でありながら怜悧」であったという鉄之助を寵遇していたとされ、側から離したくなかったのでしょうね。

常に土方と共にあり、どこまでも従っていこうと決めていた鉄之助でしたが、別れは突如としてやってきます。新政府軍が蝦夷地に上陸し、函館政権の前途が怪しくなってきた明治2年4月15日、鉄之助は土方に蝦夷地からの脱出を命じられます。日野に行って自分の形見の品を届け、これまでの戦況を伝えろと命じられたのです。いやがる鉄之助に、土方は刀を抜いて突きつけ、命令に従わなければ今ここで切り捨てると迫まりました。泣く泣く命に従った鉄之助に、土方は写真と辞世の和歌、それに数本の髪の毛を形見として託します。そして、道中の路銀とするために二振りの刀と品物を渡し、それらを持ち込むべき店への紹介状を添えてやりました。さらには日野の佐藤家にあてて「使いの者の身の上を頼み候 義豊」と認めた小切り紙を持たせて送り出したのでした。実に周到な、土方らしい配慮ですよね。土方が日野への使いとして鉄之助を選んだのは、最も身近に居て自分を良く知る者であった事、彼がまだ16歳という年少者であった事を配慮したからだと思われます。さらには少年であるが故に、新政府軍の目をくぐり抜けやすいという目論見もあつたのかも知れません。

蝦夷地を脱出した鉄之助は、乞食姿に身をやつし、7月初旬に日野の佐藤家の門前に現れます。そこで土方から預かった形見を渡し、江戸を離れてからの長い経過を伝えました。佐藤家では彼を匿い、さらに3年間に渡って養育してやります。土方の愛した鉄之助に、読み書きを教え、さらには撃剣も仕込んでやったと伝えられています。

明治4年3月、鉄之助は日野を離れて故郷の大垣に帰ります。先に新選組を離れていた辰之助から、帰郷を促す手紙が届いたのでした。辰之助は故郷に帰って商人となり、妻を娶って久吉という一子までもうけていました。兄の下に帰った鉄之助でしたが、その兄はわずか1年後に亡くなってしまいます。辰之助の一子久吉は、その後も大垣に住み、長じて3人の子をもうけていますが、鉄之助がそこにどう係わっていたのか伝わるものはありません。

正確な記録としては残っていませんが、その後の鉄之助の消息が風聞として今に伝えられています。それに依れば、彼は明治10年に起きた西南戦争に従軍し、田原坂の戦いにおいて戦死したとされています。斉藤一の例もあり、新政府軍の一員としてなら判らなくもないのですが、彼はなんと薩摩軍の一員として従軍し、桐野利秋の馬丁を勤めていたというから驚きます。彼と薩摩軍にどういう接点があったのかは判りませんが、新選組を否定した新政府軍の敵ならば、彼にとっては味方という理屈になるのでしょうか。

この話を伝えているのは、同じ大垣出身の新選組隊士である島田魁の姉の嫁ぎ先であり、魁を通じて鉄之助のその後について知っていたとしてもおかしくはないですね。またこれとは別に、日野の佐藤家にも鉄之助は西南戦争で西郷軍に加わって戦死したという風聞が伝わっており、彼が熊本で亡くなったという説は信憑性を帯びてくる様に思われます。確証はありませんが、彼は武士としての意地を通すという西郷軍に共鳴し、戦いの場を九州に求めたのかも知れません。でもその場合は、この戦いにおいては新政府軍として参加していた、かつての同士である会津藩士達と戦った事になるのですけどね。戦場で彼等と顔を合わせた鉄之助の心境は、どんなものがあったのでしょう。

波乱に富んだ市村鉄之助の生涯でしたが、日野における3年間は彼の一生の中でも最も穏やかな時期だったのでしょうね。新選組の故郷であった日野は、その後自由民権運動の一大根拠地となって行きます。その自由民権運動の先駆者と言われた宮崎八郎は薩摩軍に参加しており、西南戦争は民衆を圧迫する新政府に対する抵抗という側面も持っていました。全くの私見ですが、もしかしたら鉄之助の晩年の行動は、そのあたりに動機が潜んでいるのかも知れないですね。

この項は、新人物往来社「新選組銘々伝」、別冊歴史読本「新選組の謎」、河出書房新社「新選組人物誌」を参照しています。

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コメント

鉄之助の生涯についての詳細のUP、ありがとうございます。じっくり読ませていただきました。私たちが、何度となく目にしてきた土方の写真が今日あるのは、鉄之助の存在があってからこそなのですね。
私は東京にいる間(4年間だけですが)日野市に近い国立市によく行っていました。日野市は新撰組ゆかりの地として、史跡めぐりウォーキングなどが催されているのですね。日野市にも行ってみれば良かったと後悔しています。

投稿: しずか | 2006.01.20 22:58

しずかさん、コメントありがとうございます。
鉄之助は写真の逸話以外には活躍したという記録が無く、
知る人ぞ知るという感じの隊士ですよね。
彼の生涯を順を追って見ていくと、
土方に心酔して生死を共にしたいと願ったという気持ちも判る様な気がしてきます。
謎とされる最晩年についても興味がありますね。
どういういきさつで薩摩軍に身を投じ、
どういう最後を遂げたのか、何時の日か明らかにされる事を願いたいですね。

投稿: なおくん | 2006.01.20 23:27

初めまして!しずかさんから聞いて、おじゃましに来ました。
すごく熱心に調べておられますね。
市村鉄之助について、こんなに詳しく聞いたのは初めてです。
それに、「土方歳三最期の一日」をテーマにすごい記事があって、驚きました。
これは日をかけて、じっくり読んでみたいです。
私も土方ファンで、史跡を訪ねてあちこち旅しています。また私のサイトも覗いてくださいね

投稿: merry | 2006.01.21 22:15

merryさん、コメントありがとうございます。
鉄之助の人生もなかなかドラマチックなものでしょう。
そのまま一編の小説が書けそうな気さえしますよね。
新選組の会津から函館にかけての軌跡については、
本当に沢山の出来事があります。
多分書き漏らしたり間違っている部分があると思いますので、
ご指摘願えたら幸いです。

merryさんのサイトも拝見させて頂きました。まだざっと通しただけですが、
とても見応えがありますね。
これからじっくりと拝見させていただいて、
掲示板にもお邪魔させて頂こうと思ってます。

投稿: なおくん | 2006.01.21 22:55

お久しぶりです。合理的な愚か者の好奇心でございます。忘れた頃のトラックバックですいません。市村鉄之助、いやいやすごい人生ですね。
私のほうはその後、坂本竜馬に興味が飛びまして、おりょうさんの人生とか今回記事にした清河八郎との関係をおもしろがっております。

投稿: 壮大な零 | 2006.06.04 00:02

壮大な零さん、コメントありがとうございます。
「合理的な愚か者の好奇心」は、吉永小百合シリーズなど楽しみに拝見しています。
それほど知識が無いもので、コメントこそ残してませんけどね。
今後は龍馬シリーズが続くのですか。どんな展開になるのか期待して待つことにします。

投稿: なおくん | 2006.06.04 16:50

10年以上前のご投稿に今更ながらコメさせて頂きます。
市村鉄之助の生涯、一読させて頂いてとてもドラマチックだなあと感動致しました、事実であれば・・・
小生、新選組ファンの端くれとして、色々な資料や本を見て、物語でははない、実像の新選組を追いかけてきました。その中で一番、大事にしているのは現地を回り、地元の方のお話を聞いくという事です。そこには活字では載ってない貴重なお話を伺う事が出来ます。関東在住で貧乏一家主の小生、新選組が活躍した京都には数える位しか行けませんが、関東の史跡、特に多摩地方(日野近辺)には何度も足を運ばせてもらいました。正史には乗らない事実をよく学ばせて貰いました。

件の市村鉄之助ですが、よく言われる西南戦争での戦死、これは事実ではありません。日野で佐藤彦五郎のご子孫の方が開かれている佐藤彦五郎記念館の館長さんのお話しを聞いたのですが、大垣に戻って後年、鉄之助は心臓の病で早世したとの事です。代々市村家は心臓が弱い家系のようで、お兄さんも同じ心臓の病で亡くなっています。鉄之助が亡くなった後、市村家の親族の方が手紙で教えてくれたそうです。これが正史に残らない事実なのであります。

歴史を調べる上で文献を頼りにするのは非常に重要な事であると思います。ただこの情報化社会、中には真意不明な内容も混ざることが多々発生します。そういうものに躍らせれずに、小説や講談ではない、真の歴史をお互い大事にしていきましょう。

これからもご執筆、期待しております。

投稿: 大石鍬次郎 | 2017.05.15 12:29

大石鍬次郎さん、はじめまして。コメントありがとうございます。

なるほど佐藤家にそういう話が伝わっているのですね。
以前読んだ資料とは違う内容ですが、
現在の館長さんがおっしゃっているのであればそちらが正しい伝承なのでしょう。
新選組からは暫く遠ざかっているので、
こういう新しい情報は有り難いです。
ありがとうございました。

投稿: なおくん | 2017.05.15 21:22

初めまして、島田魁の甥のひ孫にあたる者です。
大石さんが書かれておられる市村鉄之助の西南戦争での戦死の件が一部サイトでは私の実家が伝えているとの記述があり、曽祖父からも祖父からもそのような話は聞いたこともなく遺憾に思っておりました。誰が広めたとか責めるつもりはありません。佐藤家のご子孫がおっしゃっている真実がこれから先、正しく伝わることを祈ります。
こちらのブログに出会えて良かったです。
なおくんさん、大石さん、有難うございます。

投稿: 旧姓 岸 | 2017.07.03 07:46

旧姓岸さん、コメントありがとうございます。

私の読んだ資料(新選組銘々伝)では、岸家に伝わる口承を曾祖母から聞いた岸家の方が、
岐阜日々新聞の記者に話された事と書かれていました。
しかし、実際にはそんな話は伝わっていないのですね。
まさか、伝承の出所とされる岸家の方から直接コメントを頂けるとは思ってもいませんでした。
本当に貴重な情報をありがとうございました。

投稿: なおくん | 2017.07.03 21:32

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