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2005.12.25

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」5

kouenji0512251
京都 壬生 光縁寺にて

仙台侯から下げ緒を賜った土方

奥羽列藩同盟の盟主だった仙台藩でしたが、同盟の諸藩が次々に政府軍に陥落、恭順派に転向する中で、1968年(明治元年)9月10日の評定において主戦派が斥けられ、遂に藩論が恭順へと変わります。事態を知った旧幕府軍の榎本武揚は、12日に土方歳三を伴って仙台城に登城し、最後の説得を試みます。相手は仙台藩主伊達慶邦を筆頭に、新参政となった遠藤文七郎を初めとする重役達。榎本は得意の論理で押し、土方は順逆の道を説いたと言います。この時の土方の様子について、隋臣として隣室で控えていた斉藤一諾斎は、大藩の重役連を相手に威風堂々たる態度で、しかもあくまで礼儀を失わずに諄々と意見を説く様は、実に見事なものだったと伝えています。さらに、土方は刀の下げ緒を藩主自ら賜ったとされ、その下げ緒は後に日野の佐藤家に届けられています。(土方が拝謁したのは、世嗣の伊達宗敦だったとも言います。)
しかし、二人の熱弁も藩論を覆すには至たりませんでした。遠藤はこの時の二人について、「榎本、胆気愛すべし。しかれども順逆を知らず。維新の皇業に大害を与えん。土方に至りては斗屑の小人。論ずるに足らず。」と酷評を下しており、恭順に傾いた仙台藩にとっては、彼等の存在はもはや迷惑なものでしかなかった事が窺えます。

新選組、北へ

この頃の土方の心境を伝える言葉として、松本良順の自伝に、「自分が戦うのは、300年間武士を養ってきた幕府が倒れようとするとき、誰一人として幕府のために死のうとする者が居ないのを恥じるからである。元より勝算などあるはずがなく、自分の様な無能な者は、戦って国家に殉ずるのみである。」と記されています。こんな土方が恭順の道を取る筈もなく、更なる戦いの場を求めて北の大地を目指して行く事になります。

9月16日に、会津から2千の旧幕府軍が仙台に到着しました。旧幕府艦隊を率いる榎本は、この軍勢と共に蝦夷を目指し、そこで旧幕臣を中心とした新たな政権を打ち立てようと策します。彼が蝦夷地を目指した理由としては、彼の持つ艦隊が当時日本最強であり、海を隔てている以上新政府軍も手を出せない事、函館という国際貿易港があり、外国との交易によって富が産み出せる事、また函館にある外国公館を通じて諸外国との交渉が容易であり、条約を締結する事によって国際法上の独立国として承認される事も可能である事、そして何より旧幕臣の新たな天地として、未開の蝦夷地の開拓が魅力的であった事が上げられます。土方もまたこの案に賛成し、彼と共に蝦夷地へと赴く事に同意します。

この時、旧幕府の重鎮であった板倉勝静、主松平定敬、小笠原長行もまた行動を共にしますが、榎本は彼等の隋臣の乗船を2名から3名に制限しました。船の定員には限りがあり、一人でも戦力の欲しかった榎本は、藩主の近臣などという非戦闘員を乗せたくなかったのだと言います。しかし、あくまで藩主に隋従したいと願う近臣達に、土方が救済策を提示します。すなわち、彼等が新選組に入るのなら、蝦夷渡航を保証しようというものでした。この時、新選組の隊員は、戦死、離脱、行方不明が重なって、わずかに20余名が残っているに過ぎませんでした。その戦力の補強と藩主近臣達の願いの両立させようという土方の妙案により、桑名、唐津、備中の各藩士達が新たに新選組隊士となります。これに幕府伝習隊の一部を加えて、新選組の戦力は83名となりました(横倉甚五郎名簿に依る)。この時新選組隊長に就いたのは桑名藩士の森常吉で、これを補佐する頭取として島田魁が選ばれています。

9月22日に会津藩が降伏し、いよいよ本州に依って立つ地が無くなった旧幕府軍は、榎本の艦隊に乗船して蝦夷地へと旅立ちます。開陽を旗艦とし、8艦からなる艦隊が仙台領折浜を出航したのは10月12日の事で、途中南部藩領の宮古湾を経て19日に函館の北方、噴火湾に面した鷲の木の沖に集結しました。

以下、続きます。

この項は、新人物往来社「新選組を歩く」、「新選組銘々伝」、「新選組資料集」(「中島登覚書」)、木村幸比古「新選組全史」、「新選組日記」、「史伝 土方歳三」を参照しています。

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コメント

土方歳三は武士よりも武士らしく生涯を貫いた人です。
ラストサムライです。

投稿: merry | 2006.01.23 21:10

先日ラストサムライのDVDを見直しました。
そこに土方の姿がだぶって見えたのは私だけではなかったのですね。
外国人に教えられるのも悲しいという気がしますが、
土方の生き様があそこにはあった様に思います。

投稿: なおくん | 2006.01.23 22:07

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