ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」2
会津に至った土方
土方の一行が会津に着いたのは1868年(慶応4年)4月29日の事でした。会津城下七日町の清水屋に土方が入ったのを知ると、先に流山から先行していた新選組の本隊が続々と参集し、再会を果たします。彼等は土方の指揮の下で戦いたかったのでしょうけれども、土方の傷は思いのほか重く、新選組の指揮は斉藤一に委ねられる事になります。これ以後、土方は新選組を越えて旧幕府軍全体の幹部となって行き、直接新選組の指揮を執る事はなくなります。
白河城を巡る戦い
土方が東山温泉で療養を重ねている間、新選組は白河への出陣を命じられ、閏4月5日に会津候に拝謁した後、翌6日に出陣しています。この斉藤に率いられた新選組は総勢130名程の部隊で、島田魁ら京都以来の隊士もいましたが、ほとんどが流山の直前に集められた隊士であり、実質的に会津において結成された様なものである事から、会津新選組とも呼ばれます。また、この頃斉藤は山口次郎と改名しているのですが、ややこしくなるのでここでは斉藤のまま通す事にします。
新選組と会津兵は閏4月21日に白河城を襲って落城させ、新選組はそのまま城下の白坂口関門の守備に就いています。新政府軍の反撃はすぐさま始まり、25日には400人余りの新政府軍が関門に押し寄せて来ました。この戦いでは新選組が勇戦し、新政府軍の撃退に成功して勝利を収めています。しかし、5月1日にさらなる大軍が押し寄せると、旧幕府軍は堪えきれずに城を捨てて敗走します。以後、数次に渡って白河城の奪還作戦が繰り返され、新選組もこれに参加したのですが、ことごとく失敗に帰し、7月1日の戦いを最後に新選組は猪苗代湖畔の村に後退して、陣を休めます。
天寧寺の近藤墓碑
土方が戦線に復帰したのは、7月6日頃の事とされます。この間、土方は6月15日に若松城に登城して、奥羽列藩同盟の盟主となる輪王寺宮の執当・覚王院義観と面会しているのですが、その会談の内容が何だったのかは判っていません。また、その直後に旧幕臣である竹中重固に会って、入荷した新式銃について協議した事が確認されています。そしてはっきりした日時は判りませんが、おそらくはこの時期に、天寧寺に残る近藤勇の墓碑を建立しています。
私は実際に見た事はありませんが、天寧寺の墓碑には丸に三引きの近藤の家紋と共に、「貫天院殿純忠誠義大居士」という松平容保公から賜った戒名が刻まれているとの事です。ドラマで土方を演じた山本耕史が現地を訪れた際に、間違いなくこの場所に土方が立っていたと感じたと語った事で、特に有名になりましたよね。そしてまた、ここには必ず何かが埋まっているはずとも言っていましたが、実際にこの墓碑には様々な伝承が残されています。
主なところでは、近藤の首が埋められたとする説、遺髪が埋められたとする説があります。また、埋葬に従事する新選組隊士の姿を見たという話も伝わっている様ですね。今度のドラマで、このあたりがどのように描かれるのか楽しみにしているところです。
さらに別の伝承では、近藤の墓は一度改葬されており、最初の墓は今より一段高い場所にあったとされます。そして、その改葬の際に墓を掘り起こしたところ、首の無い胴体のみの人骨が出てきたと言われています。この話がどこまで本当なのかは判りませんが、土方がここに何かを埋めた事は十分にあり得る事ですね。
以下、明日に続きます。
この項は、新人物往来社「新選組を歩く」、「新選組銘々伝」、「新選組資料集」(「中島登覚え書き」)、木村幸比古「新選組全史」、「新選組日記」を参照しています。
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コメント
失礼しました。ねこづらどきさんじゃなくて、なおくんさんでした。(^_^;)
近藤勇の墓碑、一度は見に行きたいものです。。。
投稿: Yuseum | 2005.12.22 10:25
Yuseumさん、コメントありがとうございます。
私はまだ会津には一度も行った事が無いのですよ。
機会があれば、新選組が辿った足跡を、
実際に追いかけてみたいと思っています。
山本土方が感じたという霊感も、是非確かめてみたいですしね。
投稿: なおくん | 2005.12.22 19:17
なおくんさん、お久しぶりです。
ねこづらどき版の解説連載、『新選組!』の放映時に書かれていた史実の紹介と合わせた記事を思い出して嬉しくなりました。
楽しく読ませていただいています。
投稿: 白牡丹 | 2005.12.22 20:16
白牡丹さん、コメントありがとうございます。
1年ぶりに新選組の世界に戻ってきて、
懐かしい我が家に戻った気分になっています。
資料と格闘しながら書いていますので遅々として進みませんが、
やっぱり楽しい作業ですね。
白牡丹さんの記事にもありましたが、
続編だけで終わらずに、続編の続編も期待したいです。
銘々伝にすれば幾らでもドラマが書けるはずですので、
三谷幸喜のライフワークにして欲しい気分です。
投稿: なおくん | 2005.12.22 23:12
私が会津を訪ねたのは晩秋で、天寧寺駐車場から近藤勇の墓まで紅葉を踏みしめながら歩きました。
他には誰も観光客がなく、静寂そのものでした。
ここは近藤の墓ではあるけれど、それ以上に土方の魂が彷徨っているように感じました。
投稿: merry | 2006.01.23 20:40
晩秋の会津ですか。行ってみたいですね。
天寧寺の墓には、
近藤の無念を晴らすべく戦い続けた土方の執念が宿っているのかも知れません。
投稿: なおくん | 2006.01.23 21:47