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2005年12月

2005.12.31

新選組フィギュアその後

以前もねこづらどきで紹介し、今また「Shinsengumi Express!」で話題になっている新選組フィギュアですが、我が家にあるものを揃えてみました。

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まず池田屋騒動編ですが、手前右から近藤、土方、沖田、中列右から、井上、原田、藤堂、永倉、後列右から、武田、桂です。ここで欠けているのは、斉藤と洋装の土方ですね。

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そしてこちらが、新選組戦場録シリーズ。前列右側から、沖田、山南、芹沢、伊東、後列右側から土方、馬上の近藤、近藤です。こっちで欠けているのは、やはり洋装の土方なんですねえ...。全部揃えようにも、もう製造が中止となり、市場には出回っていません。

こうしてみると、多士済々としていた京都時代が懐かしいですね。出来るものなら、新選組の銘々伝を、三谷脚本でシリーズ化して欲しいなあ...。

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ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」 山野八十八と蟻通勘吾 京都から函館まで戦い抜いた隊士達

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今回紹介するのは、山野八十八と蟻通勘吾の二人です。この二人は、新選組の初期から在籍し、函館まで戦い抜いた数少ない隊士であるという点で共通しています。そして、その割にはあまり知られていないという点でも同じですね。この二人の隊士は、どんな人物だったのか見ていきたいと思います。

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2005.12.29

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」 相馬主計 ~新選組最後の隊長~

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今回から、「新選組!!土方歳三最期の一日」に登場する新選組隊士を順に紹介して行きます。なお、島田魁尾関雅次郎については以前に紹介しているので、そちらを参照してください。

最初に取り上げるのは相馬主計(かずえ)。最後の新選組隊長として知られる人物です。


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2005.12.28

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」8

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新政府軍、蝦夷地来襲

宮古湾から敗走した回天が函館に帰ってきたのは、1868年(明治2年)3月26日の事でした。やや遅れて、行方不明になっていた蟠龍も戻ってきます。翌27日、この2艦を追う様に北上してきた新政府軍の艦隊が青森に入り、1万5千の兵力が津軽海峡を隔てた地に集結しました。函館政権はわずか3千の兵力でこれを迎え撃つ事になります。

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2005.12.27

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」7

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京都 東山 月真院にて


宮古湾海戦

1868年(明治元年)12月15日の函館政府樹立以後、北の大地は雪と荒波に閉ざされ、つかの間の平穏な時を迎えます。しかし、雪解けと共に新政府軍が蝦夷地に襲来するのは、誰の目にも明らかでした。

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2005.12.26

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」6

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五稜郭について

鷲の木沖に集結した旧幕府軍は、1868年(明治元年)10月21日に蝦夷地への上陸を開始します。彼等の最初の目標は五稜郭。この城は北辺の守りとして幕府が築いた西洋式の城郭で、1864年(元治元年)に新造されたばかりでした。銃火器を中心とした近代戦を想定して設計されており、その独特の5角形の平面形は、城内から敵に向けての射撃を行うにあたって死角を作らないための配慮から来ています。ただし、当初の設計はなかなかの出来だったのですが、資金難からあちこちで設計変更が行われ、実際には防御力に難のある城になっていた様ですね。そして何より、海から近いという事が最大の欠陥でした。築城当時は想像もしていなかった事なのですが、その後の武器の進歩の早さはすさまじく、海からの艦砲射撃が城内に届いてしまう様になっていたのです。しかもなお悪い事に、海上からこの城の矢倉が遠望出来て、丁度良い射撃の目標になった様ですね。出現するのが遅すぎた城と言えるのかも知れません。

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2005.12.25

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」5

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京都 壬生 光縁寺にて

仙台侯から下げ緒を賜った土方

奥羽列藩同盟の盟主だった仙台藩でしたが、同盟の諸藩が次々に政府軍に陥落、恭順派に転向する中で、1968年(明治元年)9月10日の評定において主戦派が斥けられ、遂に藩論が恭順へと変わります。事態を知った旧幕府軍の榎本武揚は、12日に土方歳三を伴って仙台城に登城し、最後の説得を試みます。相手は仙台藩主伊達慶邦を筆頭に、新参政となった遠藤文七郎を初めとする重役達。榎本は得意の論理で押し、土方は順逆の道を説いたと言います。この時の土方の様子について、隋臣として隣室で控えていた斉藤一諾斎は、大藩の重役連を相手に威風堂々たる態度で、しかもあくまで礼儀を失わずに諄々と意見を説く様は、実に見事なものだったと伝えています。さらに、土方は刀の下げ緒を藩主自ら賜ったとされ、その下げ緒は後に日野の佐藤家に届けられています。(土方が拝謁したのは、世嗣の伊達宗敦だったとも言います。)
しかし、二人の熱弁も藩論を覆すには至たりませんでした。遠藤はこの時の二人について、「榎本、胆気愛すべし。しかれども順逆を知らず。維新の皇業に大害を与えん。土方に至りては斗屑の小人。論ずるに足らず。」と酷評を下しており、恭順に傾いた仙台藩にとっては、彼等の存在はもはや迷惑なものでしかなかった事が窺えます。

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2005.12.24

「新選組!!土方歳三 最期の一日」トークショーIN 京都 少しだけ...

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新選組ファンにとってのクリスマスブレゼントである「『新選組!!土方歳三 最期の一日』トークショーIN 京都」に行ってきました。と言っても、イベント会場には入れず、様子を見てきただけなのですけどね...。

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京都駅に着いたのは開演の少し前である午後1時50分頃。この時間には既に大階段への入り口はすべて封鎖されていました。無論、こんな時間に行っても中に入れないのは判っていましたが、寒風が吹く中、長時間並ぶほどの根性と体力の無い私は、最初から雰囲気だけを見に行こうと決めていたのです。でも、ガードマンの人に聞いた所によると、閉鎖したのはついさっきだったとの事で、もう少し早ければ入れたのかもしれません。

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中に入れないのなら、会場の様子だけでもと撮ったのがこの写真。広大な大階段が人で埋まっていました。さすがに山本土方の人気は凄いものですね。でも、その周辺は拍子抜けするほど静かで、会場から溢れた人で一杯かと思っていたのですが、普段と変わらないのが意外でした。

話の内容は会場の外にあっては聞き取れず、詳しい事は他のサイトにおまかせします。でも、会場の熱気だけは十分に伝わってきましたよ。

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2005.12.23

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」4

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母成峠からの敗走と天寧寺での宿陣

1868年(慶応4年)8月22日、母成峠から敗走してきた新選組は、城下の東にある愛宕山麓天寧寺に集合し宿営しました。恐らくは、福良から猪苗代に向かった土方から集合場所として指示があったものと思われます。ただ、島田魁日記では、将軍山にて土方の命を受けて出張したと記されており、土方はやはり母成峠まで行っていた可能性も捨て切れません。同じく島田魁日記には、この日土方自身は会津候と共に滝沢本陣にあって、戦闘の指揮を執っていたと記されています。また、先日紹介した近藤の墓碑を建てたのは、天寧寺に宿営していたこの時の事だったとする説もある様ですね。ただ、そんな時間的な余裕は無かった様に思われますが...。

またこれとは別に、斉藤一が率いる別の部隊が、会津城下の斉藤屋という宿屋に宿泊していた事が知られています。これは母成峠の乱戦の中、隊士は散り散りになって、各個別に退却したという事を示しているのでしょうね。二本松藩士が残した日記に母成峠から敗走する斉藤の部隊の様子が記されているのですが、山中を彷徨っている内に敵と遭遇して追尾され、危うい状況に陥りながらも、たまたま出会った会津兵の案内によって猪苗代にまで逃れ得た事が判かり、慣れない地で戦う新選組が苦闘する様子が窺えます。

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2005.12.22

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」3

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土方の戦線復帰

治療を終えて戦線に復帰した土方について、島田魁日記及び中島登覚書の双方ともに全快したと記されていますが、実際には最前線に立てるほどには回復しきっていなかった様です。新選組は長沼口を経て町守屋へと向かい、そこで陣を休めていますが、土方はこの部隊の指揮を執っていなかった様ですね。

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2005.12.21

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」2

mibu0512211

会津に至った土方

土方の一行が会津に着いたのは1868年(慶応4年)4月29日の事でした。会津城下七日町の清水屋に土方が入ったのを知ると、先に流山から先行していた新選組の本隊が続々と参集し、再会を果たします。彼等は土方の指揮の下で戦いたかったのでしょうけれども、土方の傷は思いのほか重く、新選組の指揮は斉藤一に委ねられる事になります。これ以後、土方は新選組を越えて旧幕府軍全体の幹部となって行き、直接新選組の指揮を執る事はなくなります。

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2005.12.20

ねこづらどき版「新選組!!土方歳三最期の一日」1

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新選組!!土方歳三最期の一日」の放送まで、あと2週間に迫ってきました。「新選組!」の放送が終了してからはや1年、待ちに待った続編ですね。この続編の放送予定は次のとおりです。

デジタルハイビジョン 1月1日(日) 19時20分から20時50分
総合テレビ       1月3日(火) 21時から22時30分
BS2           1月7日(土) 19時30分から21時

中でも1月3日は、15時20分から18時にかけて総集編の第1部と第2部、19時から20時44分まで総集編の第3部を流し、初めて見る人にもドラマの流れが判るようにするという力の入れ様です。たった1時間半のドラマの為にここまでして良いのかと思う位ですが、これも熱いファンの声に応えてくれた結果なのでしょうね。

昨年「新選組!」を応援し続けた当ねこづらどきでも、続編の放映に合わせて新選組のその後を追っていこうと考えています。続編は土方の最期の一日を描くという事ですので、まずは近藤の処刑からその日まで新選組を辿った足跡を紹介していこうと思います。ただし、ドラマの内容が詳しくは判らないので、一部ネタバレになる可能性がありますのが、そのときはご容赦下さい。

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2005.12.15

義経 49の3

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義経 最終回 「新しき国へ」その3

ドラマでは義経を死に追いやった事で打ちひしがれていた頼朝ですが、実際にはその直後に奥州を征伐し、さらには翌年に上洛を果たして、絶頂の極みに居たと言えます。そして1192年には征夷大将軍に任じられ、名実共に武家の棟梁へと上り詰めます。

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2005.12.14

義経 49の2

義経 最終回 「新しき国へ」その2

伽羅の御所の方角に、異変を感じる弁慶と義経。そこに、御所に兵が集結しているとの知らせをもたらす郎党達。それが自分たちを討つ為の兵であると悟りつつ、それでもなお泰衡を恨むではないと郎党達に申し渡す義経。そして、新しき国の為に泰衡と戦おうと下知を下します。

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2005.12.13

義経 49

義経 最終回 「新しき国へ」

1189年(文治5年)、平泉の義経の館。鎌倉軍が白川の関を破ったという報に接し、奥州藤原家のため、そして自らの新しき国の為に、改めて頼朝と戦う決意を固める義経。

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2005.12.07

義経 48の2

義経 第48回 「北の王者の死」その2

夜、伽羅の御所。秀衡を筆頭に一門が集う中、舞の奉納が行われています。その席で、どこか辛そうな秀衡と、それを気遣う義経。

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2005.12.05

義経 48

義経 第48回 「北の王者の死」

1187年(文治3年)、平泉に到着した義経主従。伽羅の御所で秀衡に拝謁した義経は歓待を受けます。そして、すべてを飲み込んで義経を受け入れるという秀衡の言葉に、思わず涙ぐむ義経。

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