義経 44の3
義経 第44回 「静よさらば」その3
鎌倉、大倉御所。後白河法皇の使いとして、平知康が来ています。
穏やかな調子ながら、朝廷に従って朝敵を倒してきた自分が、何故朝敵とされたのかと知康に詰め寄る頼朝。答えに詰まった知康は、天魔のなせる技と逃げを打ち、頼朝討伐の院宣を出したのは義経に強要されたからで、断れば都に火を掛けられかねなかったため仕方が無かった事、法皇が頼りとしているのは元より頼朝であると媚びを売ります。そして、大江広元が、頼朝追討の院宣はもはや効力を失ったと考えて良いかと問いかけると、知康は無論の事であり、その証拠に義経が都を落ちるのを見届けるや、義経追討の院宣を出されたのだと答えます。手のひらを返す様な知康の言葉を聞いた頼朝は、このような日本第一の大天狗は他には居ないと強烈な皮肉を飛ばした上で、行家、義経を追捕する事を許されたいと願い出ます。そして、その為には鎌倉の御家人を諸国に配置する必要があり、国ごとに守護、荘園ごとに地頭を置く事を認めよと強く迫ります。頼朝の思わぬ強腰に絶句する知康。
頼朝の居室。自分たちの真の敵は、行家や義経ではなく法皇であると言い切る政子。頼朝は、時政に千の兵を率いて都に上る様に命じます。武力によって、自分達の要求を法皇に飲ませようという目論見でした。
「法皇が頼朝追討の院宣を下したのは10月18日の事でした。そして義経が都落ちをしたのが11月3日、大物浦で難破したのは6日の出来事です。法皇は早くもその翌日に行家と義経の官職を解き、ただの平人に落としてしまっています。そしてさらに11日には、頼朝の申請に応じて義経追討の院宣を下したのでした。この手のひらを返したような朝令暮改ぶりにはさしもの九条兼実もあきれ果て、「世間の転変・朝務の軽忽、これを以て察すべし」と玉葉に記しています。
実際に頼朝の下を訪れたのは、平知康ではなく高階泰経の手紙を持った使いの者でした。その手紙には、「行家、義経の謀反の事は、ひとえに天魔のなせるところである。院宣が下されなければ宮中に押し入って自殺すると脅され、眼前の苦難を逃れるために一旦は勅許を下した様に見えたかもしれないけれども、それは法皇の真意ではなかった」とありました。
頼朝はこの手紙に次の様な返書を認めています。「行家、義経の事は天魔のなせる技とおっしゃられたが、これは全くもっていわれの無き事です。天魔とは、仏法を妨げ、人の道においては煩いをもたらすものです。頼朝は多くの朝敵を倒し、世の勤めを任されて来ました。法皇に忠誠を尽くしてきたのに、なぜ反逆者とされてしまったのでしょうか。そのような叡慮にない院宣を下されたのでしょうか。行家といい、義経といい、彼らを召し捕らなければ諸国は疲弊し、人民は滅亡してしまう事でしょう。よって、日本第一の大天狗は、あなた以外の者ではありません。」(原文はこちらにあります。現代文は自己流の訳ですので間違がある可能性が高く、ご指摘願えれば有り難いです。)
頼朝は、はっきりと後白河法皇を名指しで日本第一の大天狗と呼んだ訳ではなく、一見すると手紙の宛先人である高階泰経という事になります。しかし、文脈からすれば自分を追討せよという院宣を下して義経達を謀反に至らしめた後白河法皇を指していると読める事から、巧妙な言い回しによる法皇に対する痛烈な皮肉とするのが一般的な見方ですね。ただし、これには異説があり、やはり文面どおり高階泰経の事を指しているのだとする意見もあります。幾らなんでも法皇を大天狗と罵る事は恐れ多く、頼朝は法皇の判断を誤らせた側近にこそ責任があると糾弾しているのだとする説ですね。
ドラマの頼朝もまた、直接には知康に対して大天狗と言っており、どちらとも受け取れる演出でした。そこまで言われて文句の一つも返せない知康というのもまた情けない役回りでしたが、自らの策に溺れて窮地に追い込まれてしまった法皇の立場を良く現していたと思います。
また守護、地頭の設置については、時政が京に着いた直後の11月28日に朝廷に申し入れ、その翌日に勅許が下されています。人によってはこれをもって鎌倉幕府の成立とみなすほどの重要な出来事で、事実上政権が頼朝の手に渡ったも同然と言って良いのでしょう。その名目はあくまで義経追討のためであり、院宣の履行をするためには必要な措置であるという理屈でした。頼朝は法皇の失策を100%有効に使って、自らの政権を確立する事に成功したと言えそうですね。」
以下、明日に続きます。
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