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2005.11.30

義経 47の2

義経 第47回 「安宅の関」その2

小屋を出て、安宅の関を目指す義経の一行。先頭は先達約の弁慶で、義経は後方の列の中を歩いています。いよいよ関の入り口にたどり着くと、中から長刀を持った兵が続々と現れてきました。彼等に向かって、自分たちは叡山から羽黒山へ修行に向かう山伏である、通されよと堂々と告げる弁慶。

関守の富樫泰家になりかわり、一同の詮議を行う井家八郎。修行の旅の証となるものをと求められた弁慶は、お徳から預かった叡山の僧侶、俊章の書き付けを手渡します。それを読み下した井家は、なにしろ書き付けは本物ですからすぐに信用して通っても良いと認めますが、弁慶達が関を出ようとした時、関守がやってきたという知らせが入ります。井家は弁慶達を呼び止め、一緒にお迎えせよと命じるのでした。困惑しつつも、命に従うより他にない弁慶達。

酒の入った瓢箪をぶら下げ、ほろ酔い加減で現れた富樫。壇上に座った彼は脇息を体の前の方に回し、酔った体をもたせかけて弁慶達を眺め回します。詮議は済んだと富樫に告げる井家の声を聞き、すぐに立ち去ろうとする弁慶達ですが、富樫は話し相手になれと彼等を引き留めます。先を急ぐという弁慶に、富樫は謀反人の義経が山伏に姿を変えたという噂もあると許しません。

問われるままに、大和坊、伊勢坊、駿河坊、山城坊、摂津坊と名乗りを上げる郎党達。そして義経は和泉坊と名乗りますが、彼を見て富樫は何やら不審を覚えた様子です。そして、弁慶に向かって、羽黒山の四季の修行を知っているかと問いかけます。すらすらと四季の修行について答える弁慶ですが、富樫はこれから始まる冬の修行は麓の宿坊の長老2人だけの修行であり、余所者は入れぬはずと追求の手を緩めません。弁慶は、我らは羽黒山を聖地と仰ぐ山伏であり、四季の修行にはこだわらず、山に籠もって荒行を行うつもりだと言い逃れますが、富樫は、ならば急ぐ旅でもあるまいし、2、3日館に泊まって酒の相手をせよと弁慶達を放そうとしません。窮した弁慶は、東大寺大仏殿再建のための勧進をする旅でもあり、ここに止まる訳にはいかないと切り札を出しますが、富樫はならば勧進帳が見たいと切り返してきます。

進退窮まったかに見えた弁慶でしたが、勧進帳は神聖であり、人の目に触れさせて良いものでは無いと大見得を切って、富樫をにらみ返します。富樫は、それならば聴聞したいとなおも弁慶に迫り、それが適わなければ関は通さぬと言い放ちます。やむなく承知した弁慶は、ゆっくりと腰を下ろすと次郎と三郎の助けを借りて背中にしょった笈をはずし、恭しく経を唱えてから蓋を開けて中から巻物を大事そうに取り出しました。それは弁慶が不動明王を描いた巻物で、それと気付いた義経はわずかに表情を動かし、気が気でない様子です。巻物を手に立ち上がった弁慶は、巻物を広げる前に、下に、下にと一同に勧進帳に向かって頭を下げる様に求めます。そして手にした巻物を広げるや、真っ白な紙を前に、朗々とした声で勧進帳の文言を諳んじて行きます。最後まで破綻なく見事に読み終えた弁慶は、巻物を巻き取るや、勧進帳を聴聞した上は関を通して貰いたいと富樫に迫ります。見事な弁慶の振る舞いに、これ以上の追求も出来ず言葉を失う富樫。無言のまま答えぬ富樫を見て、出発いたすと一礼して皆を発たせる弁慶。その様子を忌々しげに眺めていた富樫でしたが、目の前を義経が過ぎるのを見て、何かに気付いたように義経を呼び止めます。

そして、太刀を持って壇から飛び下りるや、和泉坊(義経)の懐に不審有り!と叫びます。その懐にあるのは笛だなと言う富樫と、義経の懐から袋を取り出し、中を改め笛を富樫に示す弁慶。富樫は山伏が笛を持っているはずもなく、偽物であろうと義経を決めつけます。太刀の柄に手を掛けて構えた富樫に倣って、義経を取り囲む兵士達。あわやと思われたそのとき、弁慶が意外な行動に出ました。いきなり義経を人の物を盗んだなと怒鳴りつけるや、手にしていた金剛杖で殴りかかったのでした。倒れながらも、他人の笛を盗んだと弁慶と話を合わせる義経。弁慶は、義経のせいで行く先々であらぬ疑いを掛けられると半ば本気で怒りを見せ、静の笛を踏み砕いた上で、散々に義経を打ち据えます。そのあまりに痛ましい様子を目の前に、懸命に堪えている郎党達。涙を流しながら、懸命に義経を打ち続ける弁慶。義経の正体を見抜いている富樫は、心を鬼にして主を打ち続けている弁慶の心意気に打たれ、ついには涙ぐみながら、笛のいきさつは得心したと言って弁慶を止めます。そして倒れて動けぬ義経に向かって、痛みで眠れぬ様なら酒で紛らわすが良いと言って、自分の瓢箪を手渡し、二度と盗みはするなと諭す様に語りかけるのでした。涙を流す富樫を見て、その真情を悟った義経は黙って頭を下げます。それを見た富樫は、疑いが晴れた以上、関を通るが良いと言って、義経達を解放します。急いで立ち去る義経達を見送り、九郎殿とつぶやいて頭を下げる富樫。その目線の先にあったのは、弁慶が踏みつぶした静の笛でした。

関を越えたところで、義経に向かって泣きながら土下座している弁慶。とっさの事とはいえ、主人を打ち据えた事を詫びながら、男泣きに泣く弁慶を優しく許す義経。なおも泣き続ける弁慶に、苦しみは自分たちも同じだと声を掛ける郎党達。弁慶の苦しみは自分とそして皆の苦しみだと、弁慶に礼を言う義経。感極まって、大泣きに泣き崩れる弁慶と郎党達。

「安宅の関は、歌舞伎の十八番として知られる勧進帳をモチーフとしたものです。ドラマのストーリーは、ほぼ歌舞伎を踏襲したものと言って良く、演出も歌舞伎調になってましたよね。

実際には安宅の関というものは存在せず、実は「義経記」にすら出てきません。現地には石碑があるそうですが、芝居であまりにも有名になったために建てられたものなのでしょうね。ちなみに、歌舞伎の「勧進帳」にはさらに元があり、謡曲の「安宅」をベースに創作されたものの様です。

義経記には、危険から逃れる為に弁慶が義経を打ち据えるという場面はあるのですが、同じ加賀でも如意の渡しでの出来事とされています。また、このとき義経を殴るのに使ったとされるのは扇であり、金剛杖ではありません。謡曲「安宅」は、このあたりの筋立てをモチーフにして、さらに物語を膨らませていったものなのでしょうね。

元々人気芝居の筋立てですから、ドラマの中に適度な緊迫感とリズムがあり、とても見やすい回でした。松平弁慶にとってはこの一年間で最大の見せ場と言って良く、石橋富樫の熱演もあって、なかなか面白いドラマに仕上がっていたのではないかと思います。」

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