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2005.11.16

義経 45の2

義経 第45回 「夢の行く先」その2

六波羅、北条時政の館。静を時政が尋問しています。義経の逃走に手を貸した者は誰かと問いつめる時政ですが、静はそれには答えず義経の消息はと聞き返します。聞いた事に答えよと激高する時政ですが、それを聞いた静は義経はまだ捕らえられていないという事ですねと鋭く時政を見据えます。稟とした静の視線に、思わずたじろぐ時政。

「吾妻鏡に依れば、鎌倉方の取り調べを受けた静は、大峰山の一の鳥居まで義経と一緒だった事、それから先は義経達は山伏姿で山に入って行った事などを答えていますが、彼等に協力した僧の名については忘れたとして明かしていません。ドラマの様に、静はかなりしたたかに振る舞っていたようですね。頼朝はこの静の証言を聞き、義経達は大峰山ではなく多武峰へ行ったという風聞もあった事からこれを信用せず、重ねて尋問する様に命じています。」

鎌倉、大倉御所。義経の行方について政子と話し合う頼朝。法皇が裏で手を差し伸べていると疑う頼朝は、義経を助ければどうなるか、寺社や公家に対する締め付けを一層強化する事を決めます。

和泉国。頼朝による締め付けが功を奏し、居所を突き止められた行家。酒を飲んでいた彼は部屋に乱入してきた兵に向かって、自分は源蔵人行家だと傲然と言ってのけます。

近江国、義経の隠れ家。行家捕縛の知らせに驚く義経。頼朝の締め付けにより、この寺も危ないと危惧する弁慶達。そこに伊勢三郎が、京の三条に隠れ家を用意して来たと知らせてきます。彼の手引きにより、さっそく京へと向かう義経達。

京、三条。吉次が用意してくれた隠れ家に着いた義経の一行。逃走用に川に船まで用意してくれた吉次に礼を言う義経。そこに、うつぼに連れられた駿河次郎が現れました。静を奪われ面目ないと腹を切ろうとする次郎に、義経は罰としてこれからも自分に付き従う様にと申し渡します。そして、苦労を掛けたと次郎を労る義経。その言葉に、男泣きに泣く次郎。

「義経が京に潜伏ししていた気配がある事は前回に書いたとおりです。風説としては、前の摂政近衛基通邸、さらには院の御所に潜んでいるという情報もあった様ですね。それにしてもドラマの義経達は警戒する様子もなく伸び伸びと暮らしており、鎌倉方に追われているという緊張感がまるで感じられませんよね。せめて戸締まりくらいはしそうなものですが...。」

六波羅、時政の館。和泉から送られてきた行家の前に、時政が現れます。義経の行く先を訪ねられた行家は、船から投げ出された自分を助けもせず見捨てた義経の居所が判れば、ひとこと言いたいのは自分の方だと答え、頼朝追討の院宣を強く願ったのは義経だと言い張ります。そして、自分は義経に担ぎ上げられたのであり、やむなく付き従ったと頼朝に直に申し開きがしたいので取り次いで欲しいと願い出ます。しかし時政は、頼朝からの伝言として、源氏のもののふならば、往生際を潔くという言葉を伝え、行家に引導を渡します。その言葉に錯乱した行家は、源氏は頼朝一人のものではない、傍流故に辛酸を嘗めた一族が居り、頼朝がそれらを軽んじている限り争乱は収まらず、やがては自分にも災いとなって降りかかるだろうと、呪いの言葉をはるか鎌倉に向かって投げつけます。その声を黙って背中で聞いている時政。

夕刻、むしろの上に呆然と座る行家。彼に向かって振り下ろされる一筋の太刀。

「行家が捕らえられたのは、1186年(文治2年)5月12日の事でした。彼は和泉の在庁日向権守清実の小木郷の宅に潜んでいたのですが、それを密告する者(平家物語に依れば隠れ家の主)が居り、北条時定らの追討軍に襲われ捕縛されました。吾妻鏡に依れば即日和泉国にて、平家物語に依れば翌日京都郊外にある淀の赤井河原にて処刑されたとあります。
行家は、このドラマで最初に登場した時に源氏のトラブルメーカーと紹介されていましたが、頼朝、義仲、義経の三人に係わり合い、それぞれに繁栄と滅亡をもたらすという、まさに紹介にあったとおりの人生を送った人でした。決して武力に優れていた訳でもなく、また飛び抜けた知力の持ち主という訳でもなかったのに、歴史の節目節目に現れてはその場に立ち会い、その都度何らかの影響力を発揮するという稀代の生涯を過ごしています。特に、以仁王が平家討伐の令旨を出したのは彼の働きがあったからであり、歴史を大きく回転させた人物であった事は間違いないでしょうね。
そして最後に彼が頼朝に向かって叫んでいた言葉は、その予言どおり頼朝の子等に降りかかり、源氏の嫡流の血筋はわずか2代で絶えてしまう事になります。彼の子等を守るべき源氏の身内は誰も居らず、北条一族の陰謀の中に翻弄されて消えてしまう運命にあります。ドラマの中で背中で彼の声を聞いていた時政こそは、その言葉の正しさを誰よりも認識していた人物だったのでしょうね。」

鎌倉、大倉御所。行家処刑の知らせを聞き、思えば哀れな人であったと述懐する頼朝と、ただの思慮の足りない愚か者と斬って捨てる政子。これで義経一人になったとつぶやく頼朝に、政子は静を鎌倉に呼んではどうかと提案します。

京、三条の義経の隠れ家。夕刻になって、都の様子を探っていた郎党達が次々と帰ってきました。それぞれが吉次の店の小者を装い、荷物を運び入れて来ます。しかし、静の所在は知れず、法皇の御所も警戒が厳しく近づく事は出来ないままでした。手詰まりを感じ、このまま都に潜み続けるか、どこかに居場所を求めるかと迷う義経ですが、ふと喜三太が運んできた屏風に目が止まります。喜三太に命じてその屏風を開かせた義経は、それがかつて清盛が描かせた夢の都の屏風である事に気が付きます。郎党達に屏風の由来を説き、自らが思い描く夢の国の姿を語る義経。そして、鎌倉にも都にもないその国を築く為には、争乱の渦の外に拠り所を求める他はないと思い定めます。そのとき、遅れて入ってきたうつぼが屏風の絵を見て、平泉だとつぶやきます。次郎はこの絵は福原だと教えてやりますが、うつぼは平泉もこんなふうに穏やかだったと答えます。その言葉に口々に平泉を称える郎党達の声を聞き、新しい国の手本は平泉にあるのかも知れぬと考える義経。そして、吉次の誘いの言葉を受けて、遂に平泉へ行く事を宣言する義経。そこで喜三太は、義経主従は自分にとって家族の様なものであり、誰一人欠けてはならないと言いだし、静を救い出して行くべきだと主張します。それを受け、静を救い出した上で、平泉に向かうと決める義経。

六波羅、時政の館。囚われの間で一人窓に差す夕陽を見つめる静。

三条の隠れ家。屏風を前に、平泉で新しい国を作ると決意を新たにする義経主従。


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