義経 44の2
義経 第44回 「静よさらば」その2
摂津国、大物浦。天候が怪しくなる中、西国行きの船の準備がされています。それぞれの国で兵を整え、再び都で会おうと行家と誓い合う義経。
豊後国へと船を進める義経達。その船団を、激しい嵐が襲っています。そのとき、船の前方に現れた怪しい光。その光はやがて炎となって、行く手を塞ぐ様に広がっていきます。そして、その中から忽然と現れた平知盛の亡霊。驚く義経達に、知盛の亡霊は、西国の海は平家の楽土、義経に渡してなるものかと、おどろおどろしい声を響かせて来ます。さらに、一人残さず海の底に沈めてやると、呪いの言葉を吐く亡霊。大波が船を洗うと同時に、亡霊は船に乗り移って来ました。義経は、知盛のさまよえる魂魄を沈めよと弁慶に命じ、その声に答えて弁慶は経を唱え始めます。弁慶の経により、激しく揺れ始める知盛の亡霊。弁慶の霊験に逆らう様にもがいていた亡霊は、やがて最後の力を振り絞る様に落雷を呼んで姿を消しました。知盛の姿が消え一瞬の静寂が戻った海でしたが、次の瞬間大きな横波が義経達の船を襲い、これを覆してしまいます。波と共に海に放り出された義経達。
「義経の乗った船が難破したのは1185年(文治元年)11月6日の事でした。吾妻鏡には、大物浜にて船に乗ろうとしたところ、俄に疾風が起こり、逆波が船を転覆させてしまった為にやむなく渡海を取りやめたとあります。この結果、彼の徒党はことごとく散ってしまい、残ったのは弁慶ほか2名の郎党と妾(静)のわずかに4人だけだったと記されています。
また、玉葉によれば、義経の一行は前日に乗船して大物辺りに停泊していたのですが、夜半に起こった大風の為にことごとくが海に沈み、わずかに義経や行家達のみが小舟に乗って和泉国へ向けて逃れたとあり、他の者は波にさらわれたか囚われの身となったと記されています。
このことは平家物語にもあり、そこでは大物浦にて船に乗ろうとしたところ、にわかに激しい西風が起こり、義経の乗船は住吉浜へと打ち上げられたとあります。そして、その西風は平家の怨霊が吹かせたものだろうと記されていますが、実際に怨霊の姿が出てくるという筋書きではありません。
一行の前に知盛の亡霊が現れたのは、能の「船弁慶」からの引用なのでしょうね。船弁慶は大物沖での義経の遭難がモチーフになっており、ドラマのごとく西国を目指して船出した義経の前に、荒れ狂う海の間から知盛を初めとする亡霊が姿を現し、義経の船を沈めようと次々に襲って来ます。しかし、弁慶が五大明王に祈ると亡霊達は苦しみながら遠ざかり、やがて海の泡となって消えて行き、次第に海も穏やかになって無事に船を陸に寄せる事が出来たという筋書きになっています。」
黄瀬川の陣。義経達が都を落ち、西国に向かったと知った頼朝は、上洛を取りやめて鎌倉に戻ると宣言します。彼は、鎌倉の背後に居る奥州藤原氏の動向を気に掛けていたのでした。
和泉国のとある浜に打ち上げられた義経と静。浜には船の残骸が散らばっています。岩にもたれて気を失っている静の傍らで、呆然と立ちつくしている義経。ようやく気付いた静を気遣う義経は、嵐の中で大事に持っていた彼女の笛を手渡してやります。この浜にたどり着いたのは、2人の他には弁慶だけの様です。何もかも失った義経でしたが、静は彼の無事を何より喜ぶのでした。
以下、明日に続きます。
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