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2005.11.14

義経 45

義経 第45回 「夢の行く先」

雪の大峰山中を行く義経、弁慶、伊勢三郎の一行。険しい道を行く内に、別れた静達の事が案じられます。

山中に響く鐘の音。弁慶に依れば、寺から寺へと何事かを伝える鐘ではないかと言います。抜け道を探そうという三郎ですが、義経は身動きのとれぬ獣道よりも、大きな道の方がかえって敵を防ぎやすいと、このまま街道を進むと決めます。

同じ頃、道案内の雑色を雇って吉野の麓の道を行く、静、佐藤忠信、駿河次郎の一行。静はどこか具合が悪いらしく、歩くのも辛そうです。見かねた次郎がこのあたりで休息を取ろうと気を利かせますが、静は大事ないと先を急ごうとします。

静達がとある小屋の前に差し掛かった時、あたりから武装した兵達が現れ、行く手を防いでしまいます。彼らは、追討の院宣が出されている義経を捕らえるべく命じられた土地の者達でした。兵士達から身元を聞かれた忠信は、自分と次郎は一条民部少輔の家人で静はその姫君と答えますが、彼らは目代の館まで同道せよと命じます。忠信は先を急ぐと同道を断りますが、彼らは力ずくで彼らを連れて行こうとします。そしてついには斬り合いとなり、大勢の兵士達相手に忠信達はたった2人で戦う羽目に陥りました。そのただ中に置かれた静でしたが、案内の雑色が兵士達に斬られそうになったのを見て、思わず止めに入ります。これを見た平氏達は静を捕らえ、館へと連れ去って行きます。後を追おうとした忠信と次郎でしたが、大勢の兵士達に遮られて思うに任せません。次郎は自分が兵士達を引き受け、忠信に静を追う様にと叫びます。その声に答えて囲みを突破し、静の後を追う忠信。

同時刻、大峰山中を行く義経達。不意に静の呼ぶ声が聞こえた気がして、後ろを振り向く義経。

山道を静の名を呼びながら懸命に彼女を探し求める忠信でしたが、足下を滑らせ崖の下へと転落してしまいました。そうとも知らずに、一人で戦い続ける次郎。気を失ったまま、連れ去られていく静。

「静が鎌倉方に捕まった経緯については、吾妻鏡に記されています。女人禁制の大峰山に入る事を許されず、やむなく義経と別れた静は、義経から金銀を与えられ、雑色に伴われて京を目指しました。ところが途中で財宝に目が眩んだ雑色達は静の金銀を奪って姿を消し、彼女を山中に一人置き去りにしてしまいました。途方に暮れた彼女はやっとのことで吉野の蔵王堂にたどり着いたのですが、そこで衆徒に怪しまれ、囚われの身となったのでした。

一方、ドラマでは静を追って崖から転落した忠信でしたが、義経記に依れば吉野の衆徒の追撃から義経達を逃す為に、一人で後に残ったとされています。彼は七人の手勢と共に300の追っ手と散々に戦かた上で、味方が全滅するや敵の大将に一騎討ち挑んでこれを倒し、自害すると見せかけて巧みにその場を逃れたと記されてれます。こうして敵の手を逃れた忠信はそこから都へと向かったとされています。これは、ドラマでの駿河次郎の役割とほぼ重なりますよね。
以上が義経記の「忠信吉野に留まる事」と「忠信吉野山の合戦の事」のあらましですが、史実はこれとは大きく異なる様です。吾妻鏡ではこうした事実は記載されておらず、何時の事ともまたその理由も記されていませんが、宇治で義経達と別れた後に京に潜伏していたとあります。もしかしたら義経の意を受けて朝廷に対する工作を行っていたのかも知れませんが、彼が京で何をしていたのかはよくは判っていない様ですね。」

大峰山のとある堂で仮眠を取る義経達。彼らは外に人が集まる気配を感じ、目を覚まします。扉の外に僧兵達が押し寄せているのを知った彼らは、扉を蹴破って外へと飛び出しまた。僧兵達は逆賊の義経を通す訳には行かぬと戦う姿勢を示し、麓でも女連れの者達が追われていると気掛かりな言葉を投げつけます。義経は2人の郎党に戦う様に下知し、自らも敵のただ中へと飛び込みました。弁慶が僧兵達を蹴散らしている隙に、堂の裏手へと駆け抜ける義経と三郎。後を追う弁慶。

再び山中の道を行く義経達。先頭を歩いていた三郎がふと立ち止まり、僧兵達が言っていた女連れが静達の事かどうかを確かめてくると麓に向かおうとします。しかし義経は、静の側には次郎と忠信が居るとこれを引き留め、熊野への道を急ぐのでした。

「吾妻鏡に依れば、義経の一行は吉野から多武峰に逃れ、南院内藤室の十字坊という僧に匿われました。そして、そこも安全ではなかったため、十字坊は八人の僧を付けてさらに十津川にまで落ちさせたとあります。」

鎌倉、大倉御所。御家人達を前に、守護、地頭を置く勅許を得たと説明する頼朝。彼はさらに、義経に同調し、自分を追討するよう院宣を出させた側近達を解官させ、朝廷の改革を迫ると宣言します。これからは鎌倉のもののふが天下を動かしていく、これぞまさしく天下の草創とと言い放つ頼朝。

京、六条院。丹後局と平知康を前に、頼朝からの要求を読み上げる北条時政。その解官を求める側近の中には、知康の名もありました。名指しで解官を申し渡され、驚愕する知康。院の側近の人事に、武士が口を挟むとは言語同断と憤る丹後局。しかし、時政は聞く耳を持たず、さらに豊後国を鎌倉方の知行国に加えて貰いたいと新たな要求を突きつけます。豊後は逆賊義経が向かうはずだった国であり、その後を頼朝が引き受け守護を置くのは当然という理屈でした。あまりの事に絶句する丹後局を見据えて、これぞ天下草創と嘯く時政。全てのやりとりを物陰から見ていた後白河法皇。

鎌倉からの書状を読み、怒りのあまりそれを床に叩きつける法皇。知康は、名指しされた公卿のうち数人を解官し、鎌倉の出方を見てはどうかと提案します。そうやって時間を稼いでいる内に、義経を担ぎ出す算段をしようと思いつく法皇。丹後局は、方々の寺々に、義経が頼ってきたらこれを匿う様にと内密に命を下してはと説き、法皇もこれに同意します。頼朝に対抗するには、やはり義経を使うしかないと思い定める法皇。

「天下の草創とは、頼朝が九条兼実に宛てた手紙の中にある言葉で、ドラマにあったような朝廷に対する人事や諸国の知行に関する要求書を出した事についての理由を認めた後に記されています。頼朝の並々ならぬ意気込みと自信を感じさせる言葉ですが、実際にはドラマの中で知康が言っていた様に数人の解官や追放が行われただけで、大改革とまでは行かなかった様です。
一方、義経を助けよという密命を下した法皇ですが、実際にそうした命令を下したという証拠は残っていません。しかし、後に義経の郎党の一人が法皇の側近と連絡を取っていた事が露見しており、義経の逃亡に法皇が密かに力を貸していた事は大いにあり得る事と思われます。実際、そうでなければ鎌倉の包囲網をかいくぐって、京の近くに潜伏し続けるという事は出来なかったでしょうね。」

1186年(文治2年)、弁慶の知る辺を頼って熊野の小さな堂に潜んで居る義経達。弁慶が熊野本宮で聞き込んできた情報に依れば、静達の行方は依然として知れないままでした。そして、法皇から寺社に対して義経を匿う様に内密に指令が出ている事も判り、法皇が自分を見捨てては居なかったと希望を見いだした義経。彼は追討の院宣を取り消して貰うために、都へと向かう決意を固めます。

都を目指し、熊野を発った義経達。彼らは伊勢から伊賀を経て近江にまでたどり着きました。しかし、そこから先は都に入る事が出来ず、小さな寺に足止めを食ってしまいます。義経は法皇に文を認め寺の別当に託しましたが、それが法皇の手元に届くかどうかまでは確信が持てませんでした。そこに、三郎に続いてうつぼが駆け込んできます。彼女は三郎と会って義経が辿った苦難の道を聞き、彼に会う為に飛んできたのでした。そして、彼女に続いて入ってきた喜三太と義久。彼らも遭難した船から無事に岸まで辿り着き、喜三太朱雀の翁の下に、義久は妹の家に身を寄せていたのでした。うつぼから、吉次やお徳、朱雀の翁達が、静の行方を探ってくれていると聞き、まだ自分には味方が居たと知り感慨深げな義経。

六条院。義経からの手紙を読む法皇。そこには、追討の院宣を取り消して貰いたい、そうすれば叡山の力を借りて再び入京出来るとありました。しかし、法皇は頼朝に義経と接触があったと知られる事を恐れ、丹後局の助言を受け入れて暫くは返事を保留しておく事に決めます。

近江国、義経の潜伏場所。都から帰った喜三太が、静は六波羅に囚われているという知らせをもたらしました。静は北条時政から義経の行方についての詮議を受けているらしいと聞き憂いを募らせる義経ですが、郎党達は生きていると判っただけでも良かったと安堵の表情を見せます。しかし、次郎や忠信の行方については、未だに消息が掴めないままでした。

「義経の居場所は転々としており、文治元年11月に吉野から多武峰を経て十津川に逃れた後、翌年の4月には京に潜伏中との風聞が流れています。また、6月には義経の母常磐と妹が捕らえられ、そこから京の北、岩倉の地に潜伏しているという情報がもたらされています。
一方、ドラマの手紙の中にあった叡山との関係については、文治2年4月に叡山が洛中に潜伏している義経と行家に力を貸しているという風聞があり、鎌倉から朝廷に対して叡山の悪僧を探し出す様にと要請が出されています。実際に6月中頃までは義経達は叡山に居た様で、3人の僧が彼等に同調していたとされています。
その後義経達は叡山から奈良の興福寺に移り、さらに潜伏を続けていた様ですね。」

以下、明日に続きます。

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