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2005.11.01

義経 43

義経 第43回 「堀川夜討」

後白河法皇に拝謁する義経。平知康から、頼朝が伊予国に地頭を置いたため、自分の支配が及ばなくなったと知らされる義経。法皇は自らの所領に地頭を送り込んできた頼朝の無法を責め、義経には新しい所領を授けると約束してやります。何やら要領を得ぬまま、御前を下がる義経。

「頼朝が伊予国に地頭を置いたため、義経の支配が及ばなくなった事は「玉葉」に出てきます。義経は後白河法皇に頼朝に背く理由を説明しているのですが、その一つとしてこの事を挙げており、朝廷から賜ったものを無法に占拠されたと、この仕打ちに余程の恨みを抱いていた様子が窺えます。」

鎌倉、大倉御所。義経の所領を押領した事で、義経がどう出るかと思慮している頼朝。しかし時政は、既に渋谷重国の一族の者が既に都に向かっており、義経の牙も間もなく失われるだろうと頼朝に告げるのでした。

夜の京。六条堀川あたりを行く朱雀の翁と烏丸。彼らが義経の館に差し掛かると、あやしい人影がその門前を窺っていました。朱雀の翁は見慣れぬ彼らを訝り、烏丸に後を付ける様に命じます。

翌日、お徳の家を訪れている弁慶。彼はお徳から、堀川館の様子を窺っている怪しい人影があった事を知らされます。そしてその後を付けた烏丸から、三条のとある寺に東国から来たという者が10ばかり泊まっていると教えて貰いました。その首領が土佐坊とか昌俊と呼ばれていたと聞き、思い当たる節がある様子の弁慶。

「義経記に依れば、土佐坊の動向に最初に気付いたのは義経の身内とされる信濃国の住人、江田源三という人物でした。土佐坊が鎌倉から引き連れてきたのは93騎、うち56騎を引き連れて熊野詣の途中と称して京に入ってきました。その行列に行き当たった源三は、熊野詣にしては仰々しすぎる一行を怪しみ、巧みに彼らの仲の下人に取り入って、熊野詣とは名目で本当は義経を討ちに来たのだと聞き出します。源三はその足で堀川館に走り、義経に事の次第を告げたのでした。」

土佐坊が泊まっている寺に出向いた弁慶。寺の坊主は昌俊は居ないと誤魔化しますが、弁慶が大声を上げて昌俊の名を呼ぶと、脇の部屋の扉が開いて、昌俊が姿を現しました。

旧知の仲らしく、談笑する2人。昌俊は主人である渋谷重国の代参で熊野に詣でる途中と言いますが、弁慶はさりげなく代参に何故大勢の供を伴っているのかと問いかけます。弁慶がどこまで知っているのかと警戒し、答えない昌俊に、さらに熊野へはどの道を通っていくのかと問い重ねる弁慶。訝る昌俊に、弁慶は海沿いの道を行くのなら、熊野別当湛増に文を頼みたいのだと答えます。弁慶と湛増が肝胆相照らす仲と知り、吉野から山を越えていくと答える昌俊ですが、すると弁慶は本宮の宮司に文を届けてくれと頼みます。弁慶のしつこさに半ば呆れながらも、文を届ける事を約束する昌俊。弁慶は今夜文を届けに来ると約束して寺を後にします。

「土佐坊と弁慶が旧知の仲というのは、多分これもドラマに依る創作なのでしょうね。武蔵坊と土佐坊の類似性から来る連想でしょうか。それとも、そんな伝承がどこかにあるのか。土佐坊が出家したのは興福寺とされますし、叡山の僧兵であった弁慶とは接点が無いと思うのですが...。」

堀川館。考え事をしながら帰ってきた弁慶の様子を見とがめた義経は、何かあったのかと問いかけますが、弁慶は言葉を濁して逃げるように自分の部屋へと去っていきます。

夜、弁慶を中心に集まった郎等達。昌俊の様子がおかしいという弁慶に、梶原景時の上洛と何らかの関わりがあるのではないかと言う次郎。また、義久は萌が景時に会った事から、彼女の動向を気に掛けます。弁慶は用心に越した事は無いと言いつつ、とりあえず今夜昌俊に会ってくると皆に告げます。佐藤忠信がこれに同道する事にし、残りの者は屋敷の警護に当たる事になりました。弁慶は、子細が判るまでは義経には内密にするようにと皆に釘を刺します。

庭で紅葉を見つめる義経。その背後に現れた萌。彼女は郎党達が自分の様子を窺っていると義経に告げ、不信があるなら直に自分に問うて欲しいと義経に頼みます。義経はそのようなものはないと答え、それを聞いて萌は安心した様に微笑むのでした。

「義経の正妻「萌」(「郷御前」)についてはほとんど記述がなく、この頃どうしていたのかは判りません。ただ、後に義経の身内であるという理由で実家の川越氏の所領が取り上げられていることを思うと、夫と実家との板挟みになった苦しい立場にあったであろうとは想像できますね。」

源行家の屋敷。家来から昌俊が都に来ている事を聞き、その狙いが義経襲撃にあると見抜いた行家。彼はこの事によって義経が頼朝の存念を知る事を期待しつつ、堀川館を見張る様に家来に命じます。

夜、堀川館。静と2人で話している義経。彼は自分には内緒で、郎党達が萌の様子を探っているらしいと静に告げますが、静は彼らを責めないでやって欲しいと頼みます。郎党達はきっと義経の為を思ってしている事だと言う静の言葉に、自分にも隠し事はあると答える義経。彼は、自分の目指す国に郎党達は心を傾けてくれている、しかし、それを実現するのはたやすい事ではないのに、それを黙っているのが心苦しいのだと静に告げます。彼の言う新しき国とは、他国を犯すことなく今ある自領を富ます事で暮らしを立てられる国の事でした。土を耕し、魚を獲り、四季の穏やかな暮らしを喜べる国を作りたいと夢を語る義経の背中を、嬉しそうに見つめる静。彼女は、主人の夢は家来の夢であり、苦労を伴うのは承知の上だと義経を励まします。

「このドラマの主題の一つとも言えるのが清盛から義経が受け継いだ「夢の都」なのですが、あまりにも淡々とした「国」の姿であり、何の具体性も無い文字通りの「夢の国」ですよね。心の内で思うには良いのでしょうけれども、この観念だけで頼朝に対抗して戦おうと言うのですから土台無理というものでしょう。しかし、こういう少年じみた人物像がこのドラマで描きたい義経の姿なのですね。戦えば恐ろしく強いが、内面はどこまでも純粋で政治的な駆け引きを知らない無垢な存在、そして自らの栄達は望まず人々の幸せをのみ願っている人物、それが義経であると言いたいのでしょうね。現実の義経とは随分と異なるとは思いますが、滝沢義経はそのコンセプトを忠実に再現しきっていると思います。」

昌俊の寺を訪れた弁慶と忠信。しかし、彼らが乗り込んだ部屋はもぬけの空でした。義経の危機を悟り、慌てて引き返す2人。

静の酌で酒を飲む義経。身内同士で諍う事に心を悩ませている義経に、多くの事を求めてしまうからだろうと答える静。義経は、身内など初めから居なかったと思えば、少しは気が休まると答えますが、静はそれが本心からの言葉ではない事を見抜き、痛ましげに義経を見つめます。

「義経記に依れば、義経に命じられた弁慶がただ一騎で土佐坊の宿に乗り込み、昌俊を引っ捕らえて義経の御前に引き据えたとあります。義経から問いつめられた土佐坊は、自らの潔白を証するために熊野の牛王に7枚の起請文を書き、3枚は八幡宮に納め、1枚は熊野に納め、残り3枚は自らの体の中に収めるために焼いて飲み込むという事までしています。そこまで演じきった知土佐坊を一旦は許して帰すのですが、襲撃を心配する郎党達を余所に、義経は如何ほどの事があろうかと彼らをそれぞれの宿所に帰してしまいました。この夜、館に残ったのは義経と静、それに喜三太の三人だけでした。」

以下、明日に続きます。

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