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2005.10.17

義経 41

義経 第41回 「兄弟絶縁」

平宗盛親子を連れて都へ戻る途上の義経。宗盛から自分達親子の処分がどうなるのかと聞かれた義経でしたが、彼はそれに対する答えを持ち合わせておらず、代わって弁慶が都に戻ってからしかるべき沙汰があるだろうと答えてやります。それを聞いた宗盛は、腰越を発って以来顔が険しくなっている、何か重いものを抱えているのではないかと義経に問いかけます。宗盛にすれば、頼朝から自分たちを処刑せよと命じられている事が義経を煩わせているのではないかという事だったのでしょう。しかし、頼朝の真意を測りかねて思い悩んでいた義経は、その事には触れずに「何も無い」とだけ答えるのでした。

「ドラマでは、鎌倉を発つときには宗盛親子の処遇は決められていないままでしたが、実際には頼朝から宗盛親子を斬るようにと命令が出ていた様ですね。玉葉に、「近江の辺りで首を晒すべし、その後(その首を)朝廷の使いに引き渡すか、そのまま捨て置くかは院宣に従うべしと頼朝から申しつけられた」という義経の言葉が記されており、その辺りの事情が窺えます。
また平家物語では、鎌倉を発った後一日ごとに命が永らえる事を喜ぶ宗盛の姿が描かれていますが、息子の清宗の方は至って冷静であり、暑い時期であるので首が腐らないように、なるべく都の近くで斬るつもりなのだと気付いていました。しかし、父の心細げな様子を見てとても言えなかったと記されており、軽率な宗盛としっかりものの清宗というドラマの親子の描き分けは、ここから来ている様ですね。」

鎌倉、大倉御所。一人黙考する頼朝の下に、政子がやってきます。彼女は、義経に対する処分の事で頼朝が思い悩んでいるのではないかと考え、御家人の統制を考えればやむを得なかった事であり、義経の為にもむしろ良い事をしたと頼朝に話しかけます。しかし頼朝は、そんな事を考えていたのではないと言い捨てて、座を立ってしまいました。

夕刻、北条時政と大江広元が、頼朝を探し求めてきました。彼らの用件は、鎌倉に入れずに追い返した義経が、頼朝に恨みを抱いて謀反に及ぶのではないかという相談でした。頼朝がずっと考えていたのはまさにその事で、平家の総帥である宗盛と義経が組んで、自分に対抗して来るのではないかと危惧していたのです。頼朝は義経の力を殺ぐ為に、彼に与えていた平家の没官領24カ所を取り上げてしまいます。そして、宗盛親子を処刑するよう命じる事に決めるのでした。

「義経が腰越を発ったのは、1185年(元暦二年)6月7日の事でした。このとき義経が、「鎌倉に恨みを抱く者は我に従え」と捨てぜりふを残した事は前回に書いたとおりです。これを伝え聞いた頼朝は大いに怒り、義経に与えた平家没官領二十四箇所を取り上げる事を決めてしまいます。これは吾妻鏡の6月13日の条にある記述なのですが、同じ条に、「義経の功は頼朝の代官として多数の御家人を差し遣わした結果に他ならず、一人で奇跡を起こせる筈もないのに自分だけの大功と自称しているに過ぎない」とも記されており、頼朝と義経との間に抜き差しならない溝が出来てしまっていた事が窺えます。」

京への途上、とある寺に陣を張った義経の一行。宗盛が京に戻ったらどんな沙汰が待っているのかと思い悩んでいると知った義経は、自分も同じだとつぶやきます。訝る郎党達に、この先どうなるのかと、言葉を濁らせる義経。そこに喜三太が、この近くの寺に少し前まで重衡が滞在していたと聞き込んできました。それを知聞いた義経は、宗盛親子に知らせてやる事にします。

義経から重衡の消息を聞いた宗盛は、重衡には二度と会う事はあるまいと穏やかに語ります。南都に送られた以上、無事に済むはずが無いと判っていたのでした。義経は、平家の一族はみな兄弟の仲が良いように思えると話しかけますが、宗盛はそれは一門がこんな次第になったからだと自嘲気味に答えるのでした。そして、兄弟達に対して抱いていた自分の心情を淡々と語り始めます。

兄重盛に対しては、その立派な武者振りや人望の厚さに圧倒され、敬うよりもむしろ恐れていたのでした。そして、その死にあたっては、目の上の瘤が取れたという思いしかなく、それ故にその嫡男である維盛には必要以上に辛く当たったと述懐します。

さらに、知盛の強さには僻みを持ち、重衡の真っ直ぐさはひたすらに眩く、弟達にすら恐れを抱いていたと自らの胸の内をさらけ出し、あまりに心が狭かったと過去を顧みるのでした。語り終えた後、しみじみと重衡を思いやる宗盛を見て、心に迫るものを感じる義経。

「最後を迎えた宗盛は、何やら透明感を持った人格者に生まれ変わった様ですね。どうしようもない煩悩の固まりだった宗盛も、全てから解放されてとても穏やかな心境になれたという事なのでしょうか。それほど平家の総帥という地位は重いものだったのでしょうね。
実際の宗盛はどうだったかというと、その死の間際に大原の本性上人という聖から教えを授かり、恨みを忘れて欣求浄土の思いを抱いたと吾妻鏡に記されています。最後に仏の道を知り、穏やかな心境で最後の時を迎えた様ですね。」

山城国、木津。南都の僧兵達が待ち構える寺に連れてこられた重衡。駕籠から降りた重衡は、彼の名を確かめる僧に対し、悪びれる事なく三位中将であると答えます。口々に喚く僧兵達に囲まれ、寺の中へと連れ込まれる重衡。

南都のとある寺。重衡の消息を訪ね歩く妻の輔子が、寺に入ろうとして門番の僧兵達に咎められます。重衡がここに居るかと問いかける輔子が彼の妻と知り、ここには居ないと乱暴に突き飛ばす僧兵達。そして、重衡は仏罰により灼熱地獄に落とされると呪いの言葉を投げかけるのでした。

木津の寺。僧兵達に囲まれて、その裁きを受けている重衡。彼は南都焼き討ちの事実を潔く認め、仏罰を恐れぬ逆臣であると決めつけられながらも、存分にされよと覚悟の程を見せます。

翌日、処刑の場に座る重衡。太刀取りが構え、重衡が目を瞑った時、彼の名を呼ぶ輔子の声が聞こえて来ました。その声が空耳では無いと気付いた重衡は、僧の長に向かって今生の別れがしたいと頼み込みます。その願いが聞き入れられ、背後の扉が開かれると、輔子が転がるように駆け込んできました。涙を流しながら重衡に縋る輔子と、それを見つめる重衡。輔子は形見をとせがみますが、何も持たない重衡は、自らの髪を食いちぎり、それを妻の手に渡します。そして、自分の後を追うことなく、寿命の尽きるまで生きよと言い聞かせ、来世で巡り会う事を誓います。そう言い終わると重衡は妻に背を向け、長に向かって刑の執行を促します。嘆きながらなおも夫に縋ろうとする輔子ですが、僧兵達の手によって、門外へと連れ出されました。やがて、閉じられた門内で夫が処刑された事を悟った輔子は、その場に崩れ落ちるのでした。

「重衡がその死の前に妻と別れを惜しんだ事は平家物語に記されています。そこではドラマの様に輔子が夫を訪ね歩いたのではなく、日野の里に居た妻を重衡の方から訪れたとされています。重衡を警護していた伊豆頼兼は、重衡が妻に別れを告げたいと申し出ると快くその願いを聞き入れ、日野に寄る事を許してやります。涙ながらに妻と会った重衡が、形見とするために髪を食いちぎって手渡したのはドラマにあったとおりですが、平家物語ではさらに、妻が新しい袷の小袖に淨衣を添えて夫を着替えさせ、重衡がそれまで着ていた着物を形見として受け取ったとあります。そして、お互いに別れの歌を作って、名残を惜しんだのでした。別れに際して、来世にて会おうと誓ったのはドラマにあったとおりです。
南都の僧兵達は重衡を憎む事甚だしく、一時は首だけを出して地面に埋め、のこぎりで首を切るという残虐な処刑を望む声が出るほどでした。しかし、それでは仏の道に背くという老僧の意見に依り、警護してきた武士達に処刑を任せるという結論に達しました。
後を任された武士達は、木津川の畔で斬る事にしたのですが、これを伝え聞いた数千という人達が見物に集まって来ます。重衡はそんな中で、かつて彼に仕えていた木工右馬允知時が用意してくれた仏像に繋がれた紐を手に持ち、念仏を唱えながら最後の時を迎えました。その殊勝な姿を見ていた人々は、皆涙を流して悲しんだと記されています。
彼の首は奈良坂の般若寺の前の大鳥居に晒されたのですが、そのあと胴体と一緒に妻が自分の下に取り戻しています。そして荼毘に付した後、骨を高野山に送り、墓を日野に築いて、後々まで菩提を弔ったとあります。」

六条院。重衡が処刑された事を知り、残された清盛の子は宗盛一人になったとつぶやく後白河法皇。その宗盛が京に帰って来れば何か使い道があるかと丹後の局が問いかけますが、法皇は宗盛よりも義経だと答えます。義経が帰ってくる事を、何よりも楽しみにしている様子の法皇達。


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コメント

こんばんは。
このHPを見れば「義経」を見逃してもストーリーがわからなくなったということはありませんね!とても上手にまとめられていて感心しました。
昨日の回は内容が重かったですね。
重衡・宗盛の最期は2回に分けてもよかったのでは・・・と思いました。

投稿: しずか | 2005.10.17 23:59

しずかさん、コメントありがとうございます。
重衡と宗盛の最後は、共に見応えのあるものになりましたね。
特に宗盛の変身ぶりには驚かされました。
でも、良い感じの人物になっていましたよね。
輔子と重衡の別れのシーンは、もう少し描き込んでも良かったような。
余計な回想シーンを削って、
この場面をもっと膨らませて欲しかったですね。

投稿: なおくん | 2005.10.18 00:32

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