義経 41の2
義経 第41回 「兄弟絶縁」その2
都への旅の途上、近江国篠原にまでたどり着いた義経の一行。京まであと一日という所に来たことで、生きて都に帰れると嬉しそうな平宗盛親子。宗盛は、都に帰ったらまず後白河法皇にお詫びを申し上げ、出来る事なら仏門に入って、亡き一族の菩提を弔いたいとその心中を義経に語ります。そこに佐藤忠信が、鎌倉からの使者が来たと告げに来ました。それを聞き、何事かを悟った様子の宗盛。
鎌倉からの使者は安達盛長でした。彼は義経に頼朝からの言葉を申しつかってきたと告げ、上座に移った後、宗盛親子の首を刎ねよという頼朝の命を伝えます。長い時間宗盛と接してきた義経は、彼はもはや武士としては終わった人間であり、今更命を取るまでも無く、仏門に入れるなり遠国に流すなりすれば害はあるまいと反発しますが、盛長は頼朝の言葉を伝えに来ただけだとにべもありません。とまどいを見せる義経に、盛長は重ねて返答を求めます。宗盛の気持ちを汲み、せめて都に帰った後にと言いかける義経ですが、盛長はこの地にて討ち取られよとの命であり、自分はそれを検分した後、鎌倉に戻らなければならないと義経の言葉を遮ります。苦渋の決断を迫られ苦悩する義経と、固唾を飲んでそれを見守る郎党達。しかし、義経は遂に、頼朝の命を受けると答えるほか道は無かったのでした。
辛さを振り切る様に、大股で廊下を歩く義経。やがて彼は庭に降り、過酷な運命の前に悄然とうなだれるのでした。そんな義経を、じっと陰から見守る弁慶。
「昨日も書いた様に、宗盛の処刑は鎌倉を発った時から決められていた事であり、後から使者が追いかけて来たという事はありません。このあたりの設定は、宗盛と義経の交流、そして頼朝との絶縁を描くための演出ですね。」
夕刻、すっかり日が陰った庭を眺めている宗盛。彼は義経と昔話がしたくて待っていたのでした。彼を斬れと命じられた事を隠しつつ、宗盛の隣に座った義経。そんな彼に、宗盛は義経が牛若と呼ばれていた頃の事を話し始めます。牛若と兄弟の様に睦み合っていた知盛、重衡と違って、宗盛は牛若とはまともに口をきいた事はありませんでした。それは、牛若が清盛を父とも慕い、清盛もまた実の息子の宗盛以上に牛若を可愛がっていたせいでした。いつも清盛から叱られてばかりいた宗盛は、いつしか父は無いものと自分に言い聞かせる様になり、その父から可愛がられている牛若を憎く思っていたのです。その象徴ともいうべき出来事が、福原を描いた屏風を前に、清盛が自分の夢を牛若に語った事でした。およそ自分には向けた事のない嬉しそうな顔をしながら牛若に話しかける父を見て、心底牛若を妬ましく思った宗盛は、誰も居ない部屋に立てかけられていた屏風に石つぶてを投げつけたのでした。義経からその後の屏風の行方を聞かれた宗盛は、平家の都落ちの際に一条長成の屋敷から届けられた事、その屏風が平家の凋落を招いた様な気がして一度は焼こうとしたものの思いとどまり、その後の始末を家臣に任せた事を伝えます。義経は、あの屏風に描かれた、豊かで、穏やかで、争いのない世界こそが、自分が追い求めてきた夢の国だったのだと宗盛に告げます。義経の中に父清盛の思いが伝わっていると知り、感慨深げな宗盛。
「清盛が思い描いていた国というのは、確かにあったのでしょうね。恐らくは武士階級のための国造りを目指していたと思われ、貿易から富を得る事で従来の荘園経済からの脱却を図り、相対的に摂関家の勢力を殺ごうとしたと考えられます。そして南都北嶺の干渉を防ぐ為に都を遷そうとしたのでしょうね。そうした上で、武家階級が支配する体勢を固めようとしていたと思われますが、もしもそれが実現していれば、鎌倉幕府とはまたひと味違った国が出来ていた事でしょう。しかし、その国造りを果たす以前に平家一門が貴族化してしまい、福原遷都にあたっては、身内からも反対されるという羽目に陥ったのでした。清盛の理想は誰にも理解される事無く、後世にも伝えられる事はありませんでした。そして、奢る平家の総帥としての側面だけが強調されて今日に至っているのですね。(この項、池宮彰一郎「平家」参照。)
これに対して、義経が新しい国作りの構想を抱いていたかというと、恐らくは何もなかった事でしょう。彼にとっては源氏の敵である平家を滅ぼす事が第一であり、その結果として恩賞に与る事は考えていたにしても、根本的に国のあり方を変えようという思想は持ち合わせてはいなかったと思われます。
このドラマの義経にしても、その国造りの理想というのはひどく情緒的であり、具体的な構想は何も見えて来ません。清盛が目指した国造りを理解している様子でも無く、これでどうやって夢の国を作るというのかと思ってしまいますが、ここでは清盛の思いを受け継いだという事が重要なのですね。それがこのドラマのコンセプトであり、今後の頼朝との対立軸となって行きそうです。」
宗盛は、鎌倉からの使者が来た時から、自分たち親子がこの地で討たれると悟っていました。その上で、清盛の血を絶やさない為にも、清宗の命だけは助けて欲しいと手を付いて義経に頼みます。出来ぬ相談を持ちかけられ、とまどいながら手を上げられよと宗盛を促す義経ですが、宗盛は頭を下げたまま動きません。そこに清宗が現れ、父に声を掛けます。彼は、頼朝がそんな事を許すはずが無い、清盛が頼朝達を生かしておいたがために、今日平家が滅びようとしている、そのことを誰よりも知っている頼朝が願うのは清盛の血を絶つ事だけだと父を諭すのでした。その言葉を聞き、まさにそのとおりであるとうなずく宗盛。そんな言葉を吐く清宗を、痛ましげに見つめる義経。
「ドラマでは宗盛親子をもって清盛の血筋が途絶えるとされていますが、平家物語に依れば維盛の息子に六代という者があり、一族滅亡のあと残党狩りの追求を受けるのですが、文覚上人の弟子になる事でかろうじて逃れています。六代は30歳まで生きた後、文覚上人が謀反の疑いを掛けられた事に連座して命を失うに至るのですが、彼の死をもって平家の嫡流が途絶えたとするのが正しいのでしょうね。」
翌日、処刑の場に座る宗盛。検分の座に座る義経と、その義経の振る舞いを見届けようとする盛長。宗盛は、清宗はもうと義経に問い質し、義経が無言でうなずくのを見ると悄然と視線を落とすのでした。言い残す事は無いかと問いかける義経に、もはや何もないと答える宗盛。そう言いながら、宗盛は何かを語りかける様に義経を見つめ、その気持ちを察した義経は無言でうなずいてやるのでした。そんな義経を見て、満足そうに微笑む宗盛。やがて観念した様に目を瞑る宗盛の横に立つ忠信。じっと首を差し伸べる宗盛に向かって忠信が太刀を振り下ろし、崩れ落ちる宗盛を凝然と見つめる義経。悲しみを堪える郎党達。長い旅の間に、彼らもまた宗盛に対して情が移っていたのでした。悲しみと怒りを堪えつつ身じろぎもしない義経の横顔を、底意地悪くじっと見つめている盛長。
「宗盛がアイコンタクトで義経に託そうとしたのは、やはり清盛の夢の国だったのでしょうね。平家が滅んだ後も清盛の思いは義経が受け継いで行ってくれると知った宗盛は、思い残す事無くあの世へと旅立った事でしょう。幼い頃から相容れることなく対立して来た2人が最後に至ってうち解けあい、2人にとっての父と言うべき清盛の志を義経に託す事で、このドラマの主題の一つが完結したと言えるのでしょうね。」
その夜、仏を前に涙を流す義経。その目は悲しみと同時に怒りをも含んでいました。胸の中の何かを斬る様に、太刀を振り抜く義経。
明け方、出立の準備を整えて待ちかまえる郎党達の前に現れた義経。彼は郎党達に向かって、宗盛の斬首を命じた頼朝の狙いは、清盛の血筋を絶やすと同時に、自分が宗盛を討てるがどうかを試したのだと語ります。そして、それは自分に対する不信感の現れであり、頼朝の存念がそこにあると知った以上、付き従う気力も思いも消え失せたと、頼朝に対する決別を宣言します。彼は、頼朝の目指す理を重んじ情を無くした世界は、自分の思い描いて来た国のあり方とは大きく異なり、夢の国を作るために頼朝とは別の道を歩く覚悟を決めたと郎党達に伝えます。義経の覚悟を知り、口々に彼に従うと誓う郎党達。新たな決意を胸に、都へと旅立つ義経主従。
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