義経 39
義経 第39回 「涙の腰越状」
鎌倉近く、腰越の満福寺にて、鎌倉からの沙汰を待つ義経。夕餉の席に向かおうとする義経の下に、鎌倉から馬がやってくるとの知らせが入ります。すわ、鎌倉からの使者かと色めき立つ義経達ですが、その馬は寺を素通りして走り去ったのでした。
寺の門を入ってすぐのところにある石に腰掛けて、外を睨み付けている弁慶。そこに駿河次郎が、海藻を下げて帰ってきます。使者では無いと知り落胆する弁慶の下に、伊勢三郎達もやってきました。一日中そこに座っている弁慶を見かねて夕餉に誘う三郎達ですが、弁慶はその誘いを断り、相変わらず目を皿の様にして門の外を睨み続けています。
「弁慶が座っていたのは、ドラマの「義経紀行」にも出てきた腰掛け石でしょうね。このあたり実際にある伝説の石を上手くドラマに取り入れています。一日千秋の思いで頼朝からの便りを待つ義経の心情を、石から動かない弁慶に代弁させているのですね。」
鎌倉、大倉御所。頼朝に拝謁する平宗盛、清宗親子。彼らを前に頼朝は意外にも低姿勢で、まず拝謁まで時間が掛かった事を詫びます。その出方に驚いたのか、雰囲気に飲まれているのか軽く頭を下げるだけの宗盛と、その父を見て代わりに答礼をする清宗。北条時政は、宗盛に向かって三種の神器の一つである宝剣の行方を問い質しますが、宗盛は義経に答えた通り自分の知るところではないと、木で鼻を括った様な返答しかしません。見かねた清宗が再び父に代わって、自分たちの船は主上の乗った船とは離れた場所にあり、その最後がどうなったかは見る事が出来なかったと、理路整然と頼朝に答えます。次の言葉を発しない頼朝を見て、突然宗盛が頼朝に命乞いを始めました。ひたすら命乞いをする宗盛を、黙って冷たく見下ろす頼朝。
「宗盛と頼朝の対面については、平家物語に依れば庭を隔てた2つの部屋に別れて行われたとあります。そして、頼朝は御簾内にあって比企義員を使いとし、「自分はかつて池の禅尼と清盛の情けによって命を永らえたのであり、その恩を忘れてはいない。しかし、平家が朝敵となり院宣を賜った以上、平家を討つよりなかった。こんなふうに会う事こそ我が本意である。」と言わしめます。すると宗盛は、形を改め、畏まってしまいました。それを見ていた多くの御家人達は、その情けない姿にあきれ果て、捕らわれ人となって鎌倉に来たのも当然だと爪弾きにしたとあります。
また、吾妻鏡には、大倉御所の西の対に迎え入れられた宗盛でしたが、差し出された膳にも手を付けず、ひらすら愁涙に溺れていたと記されています。どちらにも頼朝に対してあからさまに命乞いをしたとはありませんが、あまり潔くなかった事だけは確かな様ですね。」
宗盛達が去った後、評定を開いている頼朝とその側近。宗盛のあまりの不甲斐なさに、平家の凋落も当然だったとあきれている頼朝。時政から、何故宗盛達を鎌倉に呼んだのかと聞かれた頼朝は、彼の器量次第では御家人に登用し、鎌倉と都を繋ぐ役目を与えるつもりだったと答えます。大江広元から、宗盛親子の処分について聞かれた頼朝ですが、後の思案とすると一旦保留にします。そして、それよりとつぶやき、後の言葉を飲み込む頼朝。
満福寺の一室の窓から海を見つめる義経。相変わらず石に腰掛けて、門外を睨み続けている弁慶。そこに飛び込んできたのは、杢助と千鳥の親子でした。驚く弁慶をいきなり怒鳴りつける杢助。その声を聞いて三郎達もやってきます。懐かしそうに声を掛ける三郎達に、ここまで来ていながら自分たちに知らせが無いとは何事かと食ってかかる杢助。自分の事を忘れたのかと弁慶に迫る千鳥。その剣幕に圧倒された弁慶は、やっとの事で訳があって鎌倉に入る事が出来ないと千鳥に伝えます。事情を知った杢助は、ここに居る間は自分たちが面倒を見ると弁慶達に約束し、彼らを喜ばします。そこに現れた義経は、嬉しそうに杢助親子に礼を言うのでした。
鎌倉、時政の館。時政に頼朝は義経をどうするつもりだろうかと聞く政子。そんな政子に、いかに御台所とはいえ、娘可愛さに頼朝の仕置きに異を唱える事はならぬと釘を刺す時政。
夜、政子の館。侍女に連れられて現れたのは千鳥でした。庭先で控える千鳥の前に現れた政子。
翌日、瓜を持って満福寺を訪れた千鳥。彼女は義経に向かって、たまには外に出てはどうかと誘いを掛けます。訝る義経に、千鳥は重ねてこれからすぐに近くの神社まで出かけてはどうかと勧め、弁慶の不審を買ってしまいます。弁慶に怒鳴りつけられた千鳥は、持っていた瓜を投げ出し、政子から頼まれたのだと白状してしまいました。彼女の口から、大姫が義高が斬られて以来心の病に伏しており、自分に会いたがっていると聞いた義経ですが、頼朝に無断で会う事は裏切り行為に当たると言って断ってしまいます。
義経の返事を聞き、怒りを露わにする政子。あまりに不器用な義経にもどかしさを感じる政子ですが、やがてそれは義経の怒りへと変わって行きます。
満福寺の縁側で夕陽を見つめる義経。そこにやってきた弁慶は、大姫に会ってもよかったのではないかと語りかけます。今下手な動きをしては頼朝に不審を抱かれる元となると答える義経に、頼朝の不審は今に始まった事ではないと言い返す弁慶。頼朝は立場のけじめに厳しく、生半可な理屈では動かない、そんな頼朝に対して義経は隙を見せ過ぎたと迫る弁慶。彼はさらに、これまでの頼朝の義経に対する仕打ちの数々を上げ、義経は義経で、一御家人として仕えると言いながら、その実は頼朝に対して兄弟の情を求めているのだとその真情を言い当ててしまいます。頼朝はそんなに甘い人間ではないと言いつのる弁慶を、身内の悪口を言われたくないと叱りつける義経。その気配を感じた三郎達が駆けつけてきます。彼らの前で、義経が頼朝に求めているのはただ一つ、兄弟としての情だけであるのに頼朝は決してそれに答え様としない、時には情を捨てよと義経に迫る弁慶。その言葉を聞いた義経は怒りを露わにし、郎党達にこれまで自分に従って来たのは、欲得抜きの情があったからではなかったかと問いかけ、その情を捨てよと言う郎党は要らぬ、早々に立ち去れと弁慶に申し渡します。口々にとりなす郎党達ですが、弁慶は泣きながら暇乞いをし、寺から走り去ってしまいました。
「この下りはドラマにおける創作ですが、政子ならずとも義経の愚直さにはあきれる思いがします。この展開ならば、弁慶の言うとおり大姫を救うために会いに行くべきなのでしょうにね。この頑なさが滝沢義経の真骨頂なのでしょうか。ひたすら情を説く義経と、理詰めで物事を進めて行く頼朝との、決して交わる事が無い2人の道を際だたせようという演出なのでしょうね。」
弁慶が向かったのは、千鳥の家でした。心配して見に来た喜三太と鷲尾三郎ですが、弁慶は誰にも会わないと面会を断ります。
満福寺で、弁慶を引き戻そうと話し合っている郎党達。しかし、彼らは義経の気持ちも弁慶の言う事も良く判るだけに、良い方法が思い浮かびません。
千鳥の家。杢助と千鳥に背を向けて、むせび泣いている弁慶。涙の川が出来そうだとあきれている杢助。
満福寺の自室で、夜の海を一人見つめている義経。
翌朝、満福寺に弁慶が溺れたと飛び込んできた杢助。
驚いて千鳥の家に駆けつける義経主従。彼らが目にしたのは、家の奥の板の間の上に横たわっている弁慶でした。義経が弁慶を揺らして声を掛けると、弾かれた様に弁慶が飛び起きて土間へと転がり落ちます。義経達がここに居る事を知り驚く弁慶を見て、偽ったなと杢助達を見る郎党達。千鳥は、弁慶が溺れたと聞けば義経がどうするのか知りたかったのだと答え、溺れたというのは偽りではなく、昨夜涙の川で溺れていたのだと続けます。泣いたのかと三郎達にからかわれ、思わず千鳥に離縁だと叫んだ弁慶ですが、弁慶と義経の事を思っての狂言だとかえって皆から諭されます。弁慶は遂に両手を突いて義経に謝ります。義経は、謝るのは自分の方だと弁慶に答え、その忠告を聞き入れる事にします。その言葉に、涙を流す弁慶と、その姿を見て嬉しげな義経と、好意的に笑う郎党達。
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