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2005.09.19

義経 37

義経 第37回 「平家最後の秘密」

壇ノ浦。戦没者の供養を執り行っている義経達。読経をしているのは元叡山の僧であるところの弁慶。その声を遠くに聞きながら、亡き一門への思いを新たにする平家の女人たち。

法皇からのお褒めの言葉を頂き、狂喜する義経主従。この上は、宝剣を探し出さねばならぬと決意を新たにする義経ですが、忠信から主上の行方もと言われ、入水する時子の様子、能子が庇った子供の姿が義経の脳裏をかすめます。

鎌倉、大倉御所。義経の鮮やかな戦勝に驚嘆する北条時政ですが、頼朝は宝剣と主上の行方が知れない事が不満の様子です。頼朝の側近達にしてみれば、三種の神器と主上が自分たちの手にあれば、朝廷に対して圧倒的に有利になれたものをという思いがありました。しかし頼朝は、義経には引き続き京都守護を命ずる事にします。

一方、頼朝に無断で官位を授かった20数名の者に対する処分という課題が残っていました。この中には義経も含まれており、その処遇に苦慮する頼朝。彼は、処罰の内容を鎌倉に入る事はおろか、墨俣川を東に渡ってはならぬという事に決め、義経を通して該当者に伝えさせる事にします。そして、処罰の対象から義経を外す事で、義経の出処進退を見極めたいと考えます。

「三種の神器と主上を奉じて朝廷に対抗するという構想は、頼朝は持っていなかったはずです。それでは平家の二番煎じであり、そもそも朝廷の為に神器を取り返すというのがこの戦いの趣意だったのですから、そんな事をする大義名分はどこにも無いのですからね。あまりにも愚策と言うより他にないのですが、こうしたやりとりがあったとする資料は見あたらず、義経の失脚の理由を判りやすくしようとするドラマオリジナルの設定だと思われます。わずかに、原作本の一つである宮尾登美子の「義経」の中に、神器を返す前に頼朝の指示を受けるべきではなかったかという記述があり、そこから膨らませたものなのでしょう。

無断で官位を得た者に対する処分は、ドラマにあったとおりです。ただし、彼らが任官したのはドラマとは違って壇ノ浦後の事だった様です。確かにそこから義経の名が抜けているのですが、彼が官位を受けたのは一ノ谷の戦いの直後の事であり、そして屋島の平家を討つ前にその官位については追認されていた事から、改めて処分する対象とはならなかったのでしょう。また、義経が彼らにその処分を伝えたという事実も無い様です。

この処分において興味深いのは、対象者に対して一々辱めの言葉が加えられている事で、例えば「兵衛の尉」に任官した後藤基清という者に対しては、「目は鼠眼にて、ただ候すべきの処、任官希有なり。」とあり、「鼠のような目をして、平侍であるべき身分なのに、任官するとは珍しい事だ」と、いささか子供じみた嫌みを投げかけています。

また、義経の郎党である佐藤忠信も「兵衛の尉」に任官してこの中に含まれて居るのですが、彼に対しては「秀衡の郎等、衛府を拝任せしむ事、往昔より未だ有らず。涯分を計り、おられよかし。その気にてやらん。これは猫にをつる。」とあります。すなわち、「秀衡の郎党が宮門の守護官になった事は未だにない。身の程を知るが良い。なのにその気になったというのは、猫にも劣る。」と手厳しい非難を浴びせかけています。これには、秀衡に対する恐れと警戒、そして蝦夷に対する差別感情が含まれているかの様です。

この処分の内容は、墨俣川を東に渡れば、所領没収の上に斬罪に処すという厳しいもので、頼朝の凄まじい怒りが感じられます。御家人達が直接朝廷と結び付いてしまったのでは頼朝の統制権が失われたのも同然で、彼の政権構想を根底から揺さぶる深刻な事態だったのです。」

1185年(元暦2年4月25日)、京に凱旋した義経。早速院の御所に参内し、取り戻した2つの神器を法皇に返還します。宝剣を失った事についてもやむを得なかった事と理解が得られ、より一層検非違使としての勤めに励むようにとの言葉を賜ります。

「ドラマでは、白昼に義経自らが神器を運んでいましたが、平家物語では義経達が鳥羽にまで運んだところに朝廷から受け取りの使者が現れて引き継ぎ、そして真夜中の12時に御所に入ったとあります。司馬遼太郎の義経に依れば、神器は昼日中に持ち歩くものではなく、闇に紛れてしずしずお渡りになるべきものとあります。この場合の闇の事を浄闇と言い、神が通るにふさわしい清浄なる空間と考えられているのですね。」

六条堀川に新しく屋敷を賜った義経。そこで義経を出迎えたのは、正室の萌でした。一通りのあいさつの後、萌は静を座敷に呼びます。弁慶から佐藤継信が無くなった事を聞き、悲しむ静と、忠信に悔やみを言う萌。義経は、熊と通称されている鷲尾三郎に、新しく義久という名を与えます。突然の名誉に感激する義久。静からうつぼか嫁に行ったと聞き、喜ぶ義経と衝撃を受けた様子の喜三太。

無断で官位を頂いた者達24名に対する処分状を受け取った義経。その厳しさに驚きつつも、自分の名が無い事については頼朝の温情であろうと受け止めます。弁慶もまた、処分の言い渡しの役目を義経に与えた事は、頼朝の信頼の証だろうとその真意を理解出来ません。

鎌倉、大倉御所。梶原景時の報告を読む頼朝。そこには、義経の戦ぶりは不意打ちなどの奇策を好み、堂々たる戦ぶりとは思えない、また逆櫓の争いについてもその独断ぶりを非難し、とても一軍の将としての器ではないと疑問を投げかけていました。頼朝は、義経が戦の習慣も知らないままに大将になったのであり、多少の常識破りは仕方がないと理解を示します。しかし、そこに大江広元が都からの書状をもって現れます。そこには義経が神器を院に返したとあり、それを読んだ頼朝は愕然となります。広元はさらに、先に無断任官で処分を受けた者達は、ことごとく詫びを入れてきているのに対して、義経は何も言ってこないと告げ、頼朝は遂に激怒を発します。義経は何も判っていないと怒りの言葉を吐き捨てる頼朝。

「景時の書状は、世に景時の讒訴として知られるもので、吾妻鏡にその全文が収録されています。そこでは、最初に壇ノ浦の戦いにおいて源氏を勝たせる瑞兆が多く見られたと記し、次いで義経についての批判が書かれています。
まず、義経は頼朝の代官として御家人達を率いて戦ったのであり、その戦勝も御家人達の協力があったればこそである。しかるに、義経は一身の功のみを誇り、他の者を顧みる事がない。また、平家を滅ぼした後も常道を踏み外す事が多く、付き従う者は薄氷を踏む思いでおり、真実従っている者は居ない。自分は頼朝の厳命を受けているので屡々諌言を試みたのだが、かえって罰を受けそうになってしまった。もうこれ以上従ってはいられないので、早く帰参したい、とあります。

普通はこの讒訴を頼朝が信じて義経を疎んじるようになったと言われますが、吾妻鏡にはさらに続きがあります。そこには、和田義盛は、範頼の軍監として従っていましたが、範頼は頼朝の言いつけに従い、何かにつけて義盛に相談を持ちかけて来た。しかるに義経は独断専行する事が目立ち、頼朝の意向を守らず気ままに振る舞ったので、諸人の恨みを買った。これは景時に限った事ではないと記されています。すなわち、景時の言い分は鎌倉の後家人の総意を示すものであり、決して個人的な恨みによる讒訴ではないと言っているのですね。

この書状を讒訴と見るか、戦目付としての当然の報告として見るのかは意見の分かれるところです。後世から見れば義経の常識に囚われない天才性故に平家に勝つ事が出来たのであり、景時のような常識論では恐らくは負けていたと思えます。その観点から見れば、景時の報告は事実を折り曲げた讒言に他ならないと映るでしょうね。しかし、当時の人にとっては義経の先進性は理解の外にあり、その常識破りをそのまま表現すると景時の書状になると思われます。そして、頼朝もまた、御家人達の常識を重んじざるを得ない立場にあったのでしょうね。

そして、このドラマでは、さらに神器を勝手に返した事が頼朝の逆鱗に触れた事になっていましたが、そんな事実は無い事は先に書いたとおりです。」

京、義経の屋敷。外から帰ってきた郎党達が、周囲の様子がおかしいと騒いでいます。何事かと訝る義経の下に、梶原景季が訪れてきました。彼は義経主従の前で、頼朝から義経に従ってはならぬという命令が届いたと告げます。頼朝の勘気を蒙る謂われはといきり立つ郎党達。衝撃を受けつつも郎党達を鎮める義経。

夕刻、弁慶と2人で、頼朝から勘気を受けた理由を探る義経。いくら考えても心当たりのない義経は、戦しか能のない自分は、戦が終わればもはや不用な人間となったのかと嘆きます。頼朝に真情を理解してもらう事が出来ず、嘆き悲しむ義経。それを背後から悲しそうに見つめる静。

「頼朝が全国の御家人に対し、義経には従うなとの触れを出したのは事実です。西国に居た田代信綱という者に宛てた書状には、「義経はわがままで、御家人達に恨みを抱かれていると聞く。これからは、鎌倉に忠誠を誓う者は義経に従ってはならない様に、内々に触れを出せ。」と記されていました。また、梶原景時に宛てた書状では、「義経の過失を責める(勘発する)事にした。これからは命令に従わぬ様にせよ。」と指示を出しています。これは事実上罪人として扱うという事を意味し、義経の転落はこの時から始まったと言えそうです。」

以下、明日に続きます。

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